(111) 南紀の旅
伊藤は外語卒業後、京大を出て神戸大學の教授をしていたが、あるとき、「一度会いたいなぁ」という年賀状を呉れたと思ったら、その翌年にあっけなく亡くなってしまった。
卒業前にこの伊藤と吉井、それに柳を交えて4人で南紀の旅行をしたことがある。軍隊に入る前の娑婆の思い出としてみんなあちこち旅行に行ったようだが、我々は伊勢神宮から志摩半島の旅に出かけた。
(伊勢神宮前の朋友たち)
「昭和19年9月6日」の日記にその志摩の旅の記述がある。
☆ 友人四名と共に三重の志摩半島の波切(なきり)まで、汽車、電車、乗合自動車(バス)を乗り継いで行く。岬の先端の大王崎灯台より遥かに渺々(びょうびょう)たる太平洋の荒波を望む。我が心情、出征を前にして心平らかならず。 太平洋より打ち寄する怒涛の如し。
見晴るかす大王崎の荒波よ
逆巻く心 我に持たすな
9月末の仮卒業、ついで10月10日の予備士官学校入校を前にして、紫蘭の心は複雑であった。 兄を戦場に送り、母一人を残して、自分もまた軍隊に入らねばならぬ気持ちは、なかなか平静では居られなかった。
錯綜する思いを胸に、広漠たる太平洋の荒波の向うの、遥かなる南方の戦場を思った。
(大王崎灯台)
あれから、もう74年も経つ。
最近の大王崎には、その美しい風景から「絵かきの町」として知られ、若い画学生が多く集まるそうだ。 74年の時を経て、大王崎の荒波は、あの激動の時代の事どもを若者たちに語ってくれるだろうか。。
当時の「波切・なきり」 はただの小さい漁村で。うらぶれた小さい宿屋が一軒あっただけで、女中さんもただ一人、それも花の盛りを過ぎた中年のおばさんだった。
その日の日記には私の稚拙な歌が記されている。
☆ 寒漁村、波切にただ一軒ありし汚き宿屋に、これまた美しからざる女中のありて・・
故郷(ふるさと)は京都と言ひし宿女中
窓辺に倚(よ)りて海を眺むる
その後、彼女はどんな人生を歩んだだろうか。。
・・・・・
〇 「南紀の旅」
昭和19年秋、志摩半島の大王崎に行ってから2週間ほどあとで、また同じ仲間4人で南紀の旅に出かけた。残り少ない青春の思い出作りの旅だった。学徒出陣で入隊するまで余す所僅か半月ほどしか残って居なかった。 いわば最後の命の洗濯とでも言おうか。。
今度は紀州半島を逆に大阪の難波から南下して白浜から新宮、那智の滝を目指した。和歌山で電車から汽車に乗り換えたが、当時の国鉄・紀南線はノロノロの単線であった。
当時の日記を見てみよう。
☆ 「S19年9月19日」
【列車は遅々として進まず、トンネルまた多くして窓を閉じるに暇なし、(*蒸気機関車なので、窓から煙突の煙や石炭くずが飛び込んでくるのである)窓外に広がる白砂青松と点在する島嶼の秀麗さにも聊か飽きて来たる頃、8時間余の乗車に堪えてようやく新宮に到着せり。 (*今なら何時間くらいだろう・・)
されど新宮は工場の煙突林立し有れば忽ち嫌悪感を覚え、倉皇として再び列車に飛び乗りて「那智」の駅まで引き返したり。那智は戸数20数戸の小村落にして駅前には既に海浜迫り、頗る閑散としたる環境なりき。漸く鄙びし宿につき一風呂浴びればすでに日は落ちて、一同宵闇迫る海浜へと向かう。
天空爽々として星辰数多(あまた)、はるか沖合に不知火(しらぬい)の燃ゆるがごとく漁火(いさりび)の点滅するを望む。
また、打ち寄する白波の中には夜光虫の神秘の輝きを見る。友は砂浜を逍遥して歌を口ずさみ、我は大空を仰ぎみて星宿の神秘の光に歎じ居たり。
暗き海辺の白砂を我が手に盛れば、夜光虫の蒼き光とともに砂はさらさらとこぼれ落つ。
恰も砂時計の、我らが入隊までの時の短さを嘆ずるが如し。
秋深し 手に光虫の むくろかな
↑ 楽し気に肩を組む級友たち (今、残っているいるのは一人もいない・・)
我等、防人(さきもり)として往く日近く、心中深き哀感は我等の胸に塞がれて、しばしは声もなかりけり。 ああ、大熊座の輝きよ、夜光虫の蒼き光よ・・、
しばしたたずむ海岸を立ち去り難くなりにけり。。
・・・・・
*如何にも感傷的な若者の大げさな自己陶酔的な日記だが、この夜光虫の蒼き光は瞼の奥にいつまでも残って居る。 あの光は我等が20歳(はたち)の短い青春の輝きだったのだ。
あれからもはや74年を過ぎ、同行した友人たちも夜光虫の青白い光の如く、みんな旅立ってしまった。。
☆ 「19年9月20日」
〇 「那智の滝」
早朝起き出でて那智山に登る。森々たる山中にせせらぎの音かすかに聞こえ、人気ひとつ無し。
日本一の大滝に向かえば我が心胆、大自然の偉大さに圧倒されんとす。夏なお寒き滝の飛沫は、雲となり霧となりて我が衣服をしとどに濡らし、すさまじき轟音とともに落下する飛爆のもたらす清風は我等をして寒気をさえ催さしめたり。
まさに悠々たる大自然なるかな、人力の微小なるを痛感す。
「那智神社参拝」
お守り札を売り居し巫女よ、彼女の淋しき面立ちと赤き袴を忘れ得ず。
「木本到着」
鬼が城の断崖絶壁をよじ登り,渺々たる太平洋の怒涛を眺め再び大自然の強大さに圧倒されんとす。
☆ ここで我が若き日の日記は終わっている。
そして級友たちは各地の軍隊にそれぞれ入営して行った。
祖国防衛のために。。
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*今年は桜以来、花の開花が一週間くらい早いようです。
いつもならまだ咲いていない花も、もう咲き始めています。
いつの時代でも水遊びは楽しいですね。
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