(23) 紙芝居など
〇「お手玉」
「お手玉」もよく見かける女の子の遊びだった。今でも家内は三つ位は片手で器用にやっている。「三つ子の魂百まで」・・というが自転車乗りと同じく、小さいころに覚えた技量は80過ぎてもなかなか忘れないものだ。
お手玉の数は一つ二つから始めるが、佐賀では昔は七個くらいを使うのが普通だったそうだ。中には驚くなかれ、十以上十五個も使う子もいたそうである。お手玉の使い方を言葉で書くのはとてもできないし、その時歌う歌がまた面倒なので、一々書くわけにはいかないが、
お一(ひ)ざくら、お二(ふ)ざくら、お三(み)ざくら・・・ と始まって、最後には
お馬の乗り換え、お駕籠のかわり、お詰め、お詰め、
お詰めのお返し、一かんしょ ウウチョンキー
これで一巻の終わりだが、佐賀地方の方言なのか、どういう意味なのかはとんと分からない。。
〇足じゃんけん
「足じゃんけん」は、あまり見かけないが、手の指の代わりに足の形でグー、チョキ、パーを表現して勝ち負けを決めるじゃんけん遊びである。足の形は、グーは両足をつけて閉じた形、チョキは片足だけで立つ、または足を前後に開く、パーは両足を左右に開く。「じゃんけんぽん」といいながら2回片足跳びして、3回めに足じゃんけんの勝ち負けの形をするそうである。
戦時中の大阪の学生時代に、下宿の2階の窓から何げなく路地を見下ろしていると、近所の女の子が「足ジャンケン」をやっていたのを思い出す。今ごろもこんな遊びはやっているだろうか。。
〇 「足ジャンケン・ベティ・ミキ・クロさん」
女の子が二人向き合って、両足を横に開いたり閉じたり、前後に広げたりして遊ぶのである。
これはじゃんけんというよりも、一種のわらべ歌だったかもしれない。
「ベテ、ミキ、クロさん」「クロ、ミキ、ベテさん」「ベテ、ベテ、ミキさん」と言う風にいろいろ組み替えた掛け声が聞こえてくる。
夕闇迫る大都会の片隅で、いつまでも「ビキ、ベテ、クロさん」と言う可愛い掛け声が風に乗ってかすかに聞こえてくると、思春期の若者の胸には遠く離れた故郷の夕ぐれを想って、そぞろ哀感が迫ってきたものだ。
↑ベティちゃん → ミッキー
この足ジャンケンは、そのころの女の子の遊びのひとつで「ミッキー・ベティ・クーロ」と言うのだそうだ。ミッキーはチョキ(はさみ)、クロはグー(石)、ベティがパー(紙)である。 足を前後にするとミッキー(つまり、はさみ)、横に広げるとベッテ(ぱー)、足を閉じるとクーロ(グー)だったそうである。
相手のかけ声につられて、ほかの足の形をするとその子の負けになる。 戦前のアメリカ漫画のキャラクターだったミッキーマウスとベッティは分かるが、クロは何なのか良くわからない、一説では当時の日本の人気漫画の「のらくろ」から採ったものだと言うが、どうだろうか・・
← のらくろ上等兵。。 これは伍長かな?
〇 「紙芝居」
遊びではないが、戦前、戦後、紙芝居屋さんが町々を自転車で廻ってくると、途端に遊びに熱中していた子供たちも遊ぶのを止めて飛んで行ったものだ。
そのころ、縁日などの見世物に「覗きメガネ」と言う露店があって、組立て式の小さい舞台の前にあるメガネを覗くと「金色夜叉」などの芝居の絵が見えて、おじさんが鞭を叩きながら芝居の筋を調子よく語る、というものだった。紙芝居はそんな覗きめがねを子供用に小型にした様なものだろうか。
←旧満州の「のぞきからくり」
紙芝居は台本に沿って描かれた十数枚の絵を揃えて重ね合わせ、オジサンが、1枚目から順に観客に見せながら、筋書きとセリフを語っていく。見せ終わった絵は、横に引き抜いて裏に回し、物語を展開させていくのである。
子供は宿題をしていても、遊びに熱中していても、紙芝居屋さんの拍子木が聞こえてくると、もうじっとして居られない。 シランも母からもらった十銭玉を握り締めて、近くの決まった町角まで飛んでいくのだった、胸躍らせて・・
(浅草の紙芝居屋さん、黄金バット)
今でも母が買ってくれた「ポン太郎あめや」という紙芝居の古いレコードのことを思い出す。当時は大陸雄飛が日本の国是だったので、国民の満州への関心が深かった。
そのころ馬賊の歌↓という歌が流行ったが、紙芝居にまでそんな影響が出て居たのである。
♪俺も行くから君も行け
狭い日本にゃ住みあいた
波たつ彼方にゃシナがある
シナにゃ四憶の民が待つ
俺に父なく母もなし
別れを惜しむ友もなし
ただいたわしの恋人や
夢に姿をたどるのみ・・
↑ ♪戦友の古いレコード
この馬賊の歌は、紫蘭が生まれた大正末期の歌、そのころは中国の人口もまだ四憶だったんですね。 13憶の今の中国が考えられません。一世紀の時の重みを痛感します。
* 紙芝居 「ポン太郎あめ屋」
【さぁさぁ、坊ちゃんに嬢ちゃん、ポン太郎あめ屋でござーい」
ポン太郎飴はそんじょそこらの飴とは飴が違う、第一お口に入れるとトローリトロリ甘くなっておいしいのなんのって、大一番!・・それに頭が良くなって、学校の成績はいつも一番!うそじゃない!
さぁ、買ったりー買ったり~・・
今日は天下の豪傑「デコ山ポン太郎」でござーい。
満州漫遊の旅に上った「デコ山ポン太郎」は、鴨緑江という大きな河を渡り、鼻歌を歌いながら悠々と北へ北へと進んでいく・・
♪国を出たときゃ玉の肌、今じゃ槍傷刀傷・・
今しも、恐ろしき大馬賊「馬占山長右ェ門」が棲むという興安峠(*満州の興安嶺)へさしかかったところへ、突如、目の前に雲つくばかりの大男が現れたり~
「やい、サンピン待て~、ここは馬占山長右ェ門様のいらっしゃる興安峠だ。有り金残らず置いて行きゃーよし。いやだなんぞと抜かしたら、腰のダンビラ伊達じゃねえ~」・・
いや、こやつの後ろには、居るわ居るわ、馬賊どもがうじゃうじゃ居る。
このときポン太郎は少しも騒がず、カンラカンラと大笑い・・
「いやー、これは木っ葉うじ虫ども、馬賊とは貴様たちのことか、耳をかっぽじいてよーく聞け、我こそは大日本の豪傑、デコ山ポン太郎なり~。一人二人は面倒だ、束になってかかって来い~!」
チャーン、ちゃーん、ちゃんちゃんちゃん、
ちゃんちゃんちゃんちゃん、ちゃんちゃんちゃーん・・・
さてこの収まりはいかが相成りますか、この続きはまた明日のおたのしみ・・
坊ちゃん嬢ちゃん、さようなら~、爺いもおうちへ帰りますぅ~~】
ポンポコポンノポン。。
・・・・・
*今朝も寒いなぁ。。 風が冷たい、心が寒い。。
今年はこのまま記録的な厳寒の冬で終わるのだろうか。。
寒いといつもこんな歌を思い出す。 ♪ 酷寒零下三十度~~・・
満州事変のころだから、昭和6年ごろの歌だろうか。。
まだ小学校に入ったばかりだった。。
♪ 「満州行進曲」
酷寒零下三十度
銃(つつ)も(剣つるぎ)も砲身も
馬のひづめも凍るとき
すわや近づく敵の影
防寒服が重いぞと
互いに顔を見合わせる