(8) 鏡開き 「1月11日」
今日は鏡開きですね。正月の鏡開きは、一般に1月11日が多いですが、ところによって4日、6日、7日とまちまちです。
今日は鏡開きですね。正月の鏡開きは、一般に1月11日が多いですが、ところによって4日、6日、7日とまちまちです。
現在の「鏡開き」は正月の歳神(としがみ)さんに供えた鏡餅を祝って雑煮にしたり、ぜんざいにしたりして食べることを言います。その際、餅を割るのに刃物を使わないで槌などで叩き割るので「鏡開き」という名前になっています。正月早々、切るという言葉を嫌ったからです。
もともと、鏡は女性の象徴として、17世紀半ばまでは鏡に供えた餅を割って雑煮にして煮て祝う「女性の祝日」でした。
その後武家の社会になると共に、男はこれを「具足餅」と呼んで餅を供えて、男子の祝いにもしました。 男子はその象徴である鎧・かぶとを床の間に飾り、その前に餅を供え、女性は鏡台に供えた鏡餅を下ろして、それぞれ「刃柄祝い・はつかいわい」「初顔祝い」として、二十日に鏡割りを行いました。鎧に供えた餅ですから、その餅を刃物で切るのを嫌って槌などで割るようになったのです。
(江戸城内の鏡割りの儀式)
ところが1651年(慶安4年)4月20日に三代将軍徳川家光が亡くなり、20日は将軍の命日になったので、物忌みをせねばなりません。そこで翌年の慶安5年から日取りを変えて鏡開きを11日にしたのです。
ちなみに小さく割れた鏡餅は汁粉に入れるのが普通ですが、武家社会では小豆は腹が切れると言って嫌ったので、小豆の代わりに蕪(かぶ)の葉を「矢じり葉」と称して雑煮を作りました。 その後、一般に鏡餅を汁粉にするようになったのは、武家社会から太平の世となり、女性文化が花開いてからの事でした。
柔道の講道館では11日にお汁粉を食べて祝う鏡開きがあるそうですが、紫蘭の中学時代にも、柔道、剣道の早朝寒稽古が一週間あり、最後の11日にその打ち上げとして鏡開きのぜんざい会が開かれました。
美少年を手玉に取って寒稽古 本田一杉
ひじを打たれた痛みよりも、汗でぬれて冷たい稽古着に着替えるのが辛かった。。
(冷たい校庭のぜんざい会) 立ち喰いの先生も寒そう・・
ぜんざい会と言っても冷たい校庭に座り込んで、バケツに入ったぜんざいを水ひしゃくで配る、という何とも雑な打ち上げでした。なんといっても質実剛健・剛毅朴訥が校風だったからなぁ。。
柄杓でバケツに分配・・ (こっちの方がうまそうだなぁ・・)
‥・・・ ・・・・・・
*昨夜の飲み会の頃から雪が舞い始め、朝起きてみると一面の雪景色。
と言っても市内では積雪2センチくらいか。。
でも、これでも南国九州では年に一度か二度の珍しい雪景色だ。
山間部では15センチ、明日までにはもっと積もるようだ。。
♪雪やこんこん
あられややこんこん
降っても降ってだ降りやまぬ
犬は喜び庭かけまわり
猫はこたつでまるくなる
・・ シランもこたつで丸くなって、焼き餅でも食べようか。。
我が家のお地蔵さんも寒そう。。
雪搔くや神に近づく道として 小林康治
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