🍶 (316) 酔っ払いの歴史 「12月16日」
いよいよ今年も終わりに近づき、忘年会の季節になりました。いつもなら、12月16日は同窓会の忘年会でしたが、寄る年波には勝てず、今年11月、93歳で同窓会を解散、またひとつ飲む機会が減りました。長年幹事役を務めましたが、酒飲みもいろいろですね。静かに飲んだり、楽しく大声で軍歌を歌ったり、と思うと急に目が尖ってきて絡んできたり。。
酒飲みと言えば漂泊の歌人「若山牧水」が有名ですね。
一日に二升五合も飲んだそうです。こうなればもう立派なアルコール中毒ですね。肝臓が悪くなるのも当然です。 病床にあった牧水は奥さんの喜志子さんに「もう一杯飲まして呉れ、そしたら良く眠るから」と頼んだそうです。
死の前日にも朝一合、昼一合、夜一合を飲んだだそうですよー。 牧水の最後の歌は
酒ほしさまぎらわすとて庭に出でつ
庭草をぬくこの庭草を
庭草をぬくこの庭草を
旧友のボクホウ君は元中学の校長でした。酒好きで、よく一緒に二次会に出かけました。飲み始めは静かですが、次第に声高になり口角泡を飛ばすようになります。でも、彼は酔っ払う事は無かったです。一方、医者だったNは普段は無口で謹厳居士でしたが、飲み始めると途端に、女の子に抱き着くやら、キスするやら・・人格が一変してしまうような荒れようでした。
「百薬の長」と言われる酒もやはりほどほどが良いようです。酒癖の悪い人が居ると酒席もついしらけますね。
(揮毫・司馬遼太郎)
若い頃、うちの近所でも酒癖の悪いおじさんたちが居ました。みんな普段はとても好人物なんですが。。
○向かいのおじさん、こちらはも人には仏様のように良い人だったが、家人には傍若無人、柔道が強く、酒を飲んでは奥さんをいつも殴りつけていました。 いつか、掛かりつけのお医者さんまで投げ飛ばしてしまった、という豪の者でした。
もっとも、そのお医者さんとは幼馴染で小学校の友達でした。おじさんは肝臓ガンであっけなく他界しましたが、子供も同じ病で昨年63歳で亡くなりました。こちらは親に似ず酒は嫌いだったのですが。。
いま、解体された家の跡にはペンペン草が生えています。
○隣のおじさん、
税理士でしたがこれまた頭が低く、人にはすばらしく良い人だが、酒癖が悪い。いつも飲んできては、奥さんにやり込められていました。
ある晩、表で怒鳴り声がするので、おそるおそる覗いてみたら、隣のおじさんが家の前の電信柱と喧嘩していました。 大声で、「お前はそんな所に、いつまで突ッ立っているんだ!じゃまだぞ~! 早く退かんかぁ!!」 ~~。。
その電信柱も今は地中に埋設され、本人もあっけなくこの世から消えてしまいました。
○ 少年の頃、近所のおじさんも酒癖が悪かった。いつも酒の臭いがプンプンしていました。
勤め帰りに酒屋で焼酎をいっぱい引っかけて帰るので、いつも夫婦喧嘩の繰り返し。。家からどたばた、ガンガンと物を投げる音や、怒鳴り声が聞こえていました。
中学生ごろだったか、給料を飲んでしまい、また例の夫婦喧嘩。シランが離れの2階で勉強していたら、断りもなくこのおじさんが不意にドタドタと階段を駆けあがってきました。
あっけにとられていたら、棒切れを持ったおばさんが追っかけてきて、逃げ場を失ったおじさんは、二階の手すりを乗り越えて、物干し場から飛び降りて逃げてしまいました。。(@_@;)
この夫婦はノミの夫婦で、貧相なおじさんに対して丸髷を結ったおばさんはとても大きく見えました。 大柄で器量よしのそこの娘さんは高校を出てすぐに、力士あがりの料亭主人のお妾さんになって家を出ていきました。頭は良かったようです。。
とにかく、酒は魔物、ほんとに酔っ払いには手を焼きます。そんな酔っ払いの話です。
この夫婦はノミの夫婦で、貧相なおじさんに対して丸髷を結ったおばさんはとても大きく見えました。 大柄で器量よしのそこの娘さんは高校を出てすぐに、力士あがりの料亭主人のお妾さんになって家を出ていきました。頭は良かったようです。。
とにかく、酒は魔物、ほんとに酔っ払いには手を焼きます。そんな酔っ払いの話です。
1773年「12月16日」の夕方、ボストンの印刷工「B・イーデス」の家におよそ50人の人々が集まりました。彼らはイギリスの植民地支配に不満を持つ独立主義者たちでした。
そしてその日、ちょうどボストン港に停泊中のイギリスの商船三隻を襲撃しょうという計画をたてました。そこで、まず意気を挙げようと言うわけで、「イーデス」はまず大量のラム酒を運び出し、全員ことごとく酔っぱらってしまいました。その酔いの勢いにのって彼らは大騒ぎをしながら、港に向かい船荷のお茶を海に放り込んだのです。
そしてその日、ちょうどボストン港に停泊中のイギリスの商船三隻を襲撃しょうという計画をたてました。そこで、まず意気を挙げようと言うわけで、「イーデス」はまず大量のラム酒を運び出し、全員ことごとく酔っぱらってしまいました。その酔いの勢いにのって彼らは大騒ぎをしながら、港に向かい船荷のお茶を海に放り込んだのです。
これが有名な「ボストン・ティ・パーティ」で、ここから独立戦争が始まるわけですが、この50人の独立の闘士たちは泥酔状態でお茶を運んだものですから、二日酔いになったり、本格的な病気になったりしてしまいました。
(ボストン・ティー・パーティ)
酔いにまかせての歴史的事件はまだほかにもあります。
たとえば、←リンカーン大統領を暗殺した「J・ブース」は予定の計画とはいえ、その決行の当日ハシゴ酒をして、少なくとも1本のブランデーとかなりの量のウイスキーを飲みました。
2軒目の酒場にはリンカーン大統領のボデー・ガード「J・パーカー」が居合わせましたが、彼もすっかり泥酔状態でした。したがってそのときの大統領の身辺警護は完全に空白だったのです。
2軒目の酒場にはリンカーン大統領のボデー・ガード「J・パーカー」が居合わせましたが、彼もすっかり泥酔状態でした。したがってそのときの大統領の身辺警護は完全に空白だったのです。
J・ブース →
(リンカーン大統領暗殺)
また、西部劇でおなじみの←「カスター将軍」の率いる「第七騎兵隊の全滅」も酔っ払いと関係しています。
すなわちこの騎兵隊の副官「M・レノ大佐」はアル中で、つねに半ガロン入りのウイスキーのビンを携行していました。「勇将のもとに弱卒なし!」のたとえのとおり、この部隊の兵士たちもみんな酒好きで、戦闘の行われる4日まえに、折から付近の川でウイスキーを満載した船を見つけて、したたかに飲み続けました。
(第七騎兵隊・ビッグボーンの戦い)
その挙句の戦闘でしたから、戦場にはアルコールの臭いが立ち込め、兵士たちの死体のかたわらには、ウイスキーの入った水筒が散乱していました。
*飲みすぎての一戦には、くれぐれもご用心のほどを。。
*飲みすぎての一戦には、くれぐれもご用心のほどを。。
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*もうそろそろ暖かくなると思っていましたが、いつまでも寒さが続きます。
やはり今年は異常ですね。いつもより霧氷も早いようです。
(霧氷の林を行く・愛媛、寒風山)