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Channel: 95歳ブログ「紫蘭の部屋」
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(203)路傍の花

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       (203) 路傍の花
 
 先日のバルーン大会の時、街の歩道を歩いていた外人さんが、ふと立ち戻ってきて、しゃがみこんで何かを眺めていました。
 
 やがてカメラを取り出して、パチリ・・
 そのままさっさと歩いて行ってしまいました。
 
 何だろうと思って見てみると、雑草らしい一輪の花に有田焼の茶碗のカケラがかぶせてありました。
 花が踏まれないために、誰かがかぶせたのでしょう。

 外人さんは、この焼き物のカケラに「日本人の心のやさしさ」を見つけたのかもしれませんね。
 焼き物には、お月さんのうさぎが、杵で餅を搗いている絵がついていました。
 
  
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(15)愛と恋

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         (15) 愛と恋

 
 昔から 「遠くて近きは男女の仲」 というが愛だ恋だ、という苗字も多い。
 
 「恋川」さんはじめ、恋のつく苗字はかなり多い。
 数年前まで「鯉川」さんという女子駅伝の選手もいたが、「コイカワ」と聞くと、顔を見なくても何となく可愛い女の人を想像してしまう。
 
 ところで、昔の漢字では恋は「戀」という難しい文字で、糸と糸との間に言うという文字が挟まっていた。だから、昔の人はこの難しい「戀」の字を、【糸し、いとしと言う心】と覚えたものだが、今の人は、「恋」という字は「またごごろ」だと、品の悪いことを言って喜んだりしている。
  恋塚、恋淵、恋水(こいずみ、こいみず)、恋田、恋中、恋屋、恋仲、・・・
 
 この「恋仲サン」などは、会社の同僚に冷やかされそうな名前だが、実はこの「恋仲」は当て字で、「小井中」という地名から来たものであり、「恋塚」は実は「肥塚」から変化したものなので、艶っぽい恋の塚ならぬ「肥やしの塚」では百年の恋も一度に覚めてしまうな気がする。
 
 
 「愛州・あいす」サンも、ちょっと眉唾物のようだが、実在していた人である。
  北海道にお住いの「愛州さん」は  

     
     
     ここは未だ雪一面の丘なれど
       惑わずに掘る妻の奥津城(おくつき)

 
     という、素晴らしく、また切ない夫婦愛の歌を作られている。
               (*おくつきは墓地の意)
 
 ↓ 武田菱

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実は「愛州」の愛は愛の愛ではなく、(相)の当て字の愛である!。
 つまり相(あい)とは(二つの川の出会う砂地)の意味でやはり、土地名である。
 「愛洲」さんの祖先は清和源氏・源義光の流れといわれ、一族は南朝に仕え、「愛須」の姓はそのとき天皇から賜ったという由緒正しきものなのである。武田信玄と同祖で家紋も同じ「武田菱」である。

 
 「アイス」の苗字では、ほかにもに「相須」とか「愛須」さんがいる。和歌山県の熊野川町にある「相須」がその発祥の地である。
知人に「愛場」さんという豪傑おばさんがいた。暑い夏のある日、すっ裸で独り扇風機にあたって昼寝をしたまま、心臓が止まって突然死した。独り身だったので警察の検視や実況検分がやかましかった。
 
  「愛敬・アイキョウ」
 佐賀には愛敬島という街がある。ヤギョウジマと読むが、もともと佐賀平野は遠浅の有明海の沖積地なので、古代は海の中のあちこちに島があったのだろう。今も街の真ん中で海とは全く関係がないのに「中島」とか「愛敬島」「北島」「万部島」「長瀬」「カキ久」など海に関する地名が多い。
 そういえば、昔の野球選手にも愛敬という名前の選手が居たような気がする。
 
 
 イメージ 2武田信玄が出てきたついでに、「武田」姓について少し考えてみると・・
 
 
 武田氏一族の家祖は「清和天皇第六代新羅三郎義光の末裔、武田信玄」であり、武田姓は全国で約13万。
 
 もちろん全部が信玄の子孫ではないものの、武田滅亡後に竹田、猛田、丈田、武多、などに変えたものを含め、全国に散らばっていて、同じ武田菱の家紋を使うものも多い。
 
 ← 信玄像  

 
 も一つ「渋谷」という姓について見てみると。。
中学時代の友人に「渋谷」君がいた。彼はいま東京に住んでいるが、彼の出自は台湾である。
   
 戦前、お父さんが台湾の大日本精糖にお勤めで、勉学のために母の里である九州の私の中学に進学してきたのである。いつか「司馬サンを偲ぶ会」で台湾に行ったとき撮ったビデオを彼に贈ったところ、彼の出身地の台南の風景が写っていて、大変喜んでもらったことがある。
 
 ところで、この渋谷姓のルーツは、東京の若者の街「渋谷」なのだそうである。
 彼の話では、川崎の豪族「川崎冠者基家」が「前九年の役」で功名を立て、当時の渋谷郷一帯を賜った。
 その孫「渋谷庄司重国」が源頼朝の御家人として信頼が厚かったそうである。
 また、相州高座の郡、早川郷(現在の神奈川県綾瀬市早川城址)も重国の領地であり、その子「光重」が「承久の乱」の戦功により薩摩郡(*今の鹿児島)に封じられ、以来三百数十年の間、「渋谷党」と称して北薩摩の「東郷地方」に割拠したという。
 
 以来、この地の渋谷一族は姓を「東郷」と改め、祖先発祥の地として「東郷一族」は、神奈川の早川城址に記念碑を建立したということである。
 (*日本海海戦で有名な、東郷元帥もこの一族なのであろうか。)
 手紙には、記念碑の横で写った渋谷君の誇らしげな写真が添付されていた。
 
 渋谷君のルーツがこの渋谷党であるかどうかは、なんとも言えないが、自分の系譜やルーツは誰しも興味にあるところで、自分の姓氏について、その由来を調べたり、記録を読んだりするのは、ひとつの夢としても楽しいものである。
     ・・・・

(204)眉刷毛万年青(まゆはけおもと)

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        (204) 「眉刷毛 万年青・マユハケ オモト)
 
 
 先ごろ、こんな変な花がニョキニョキと咲きだしました。
友人から貰った小鉢ですが、調べてみたら「眉刷毛万年青・マユハケオモト」という多肉植物でした。
 
 
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 「眉刷毛 万年青」はヒガンバナ科の球根植物で南アフリカ地方の原産。 日本には明治初期に渡来しています。。
 眉に使う刷毛のような花が咲き、葉が万年青(おもと)に似ているので、「眉刷毛万年青」の名前がついています。
 
 葉はサボテンのような多肉質で幅がひろくて太いです。
 10月~11月頃に急に花茎を伸ばして20センチくらいになり、その先に白い眉刷毛のような花が付きます。 たくさん集まった黄色いおしべが印象的です。
 
 
 
 
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  ○ 「エケベリア」
 
 同じく、その友達から貰った小さな鉢の「多肉植物」は6月ごろに1センチくらいの小さい可愛い赤い花が咲きました。
調べてみたら、「エケベリア」という品種のようです。エケベリアはベンケイソウ科の多肉植物で、メキシコが原産です。 

 
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* 今日は温かい日差しの春を思わせる一日。
 
 片倉健さんが亡くなりました。
 いかにも九州男児らしい無口で素朴な役がぴったりでした。
 「幸せの黄色いハンカチ」よかったですねー。
 
 
  一面に大きく報じられた健さんの記事と対照的に、三面の隅に小さく「片山明彦」さんの死が載っていました。 88歳。
 戦前の「路傍の石」の恵まれない少年役を演じて、そのまつ毛の長いつぶらな瞳で人気抜群でした。
 
  「路傍の石」は、山本有三作の同名の小説の映画化でした。
   1938年だから、もう76年にもなるのか。。
 
  
 

(16)お色気苗字

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     (16) お色気苗字
 
 昔は、発音がついニヤリとしたくなるようなお色気のある珍名もいろいろあったようだ。
 歌手の「淡谷のり子さん」も名前ではずいぶんいやな思いをされたそうだが、
そこは大物の大歌手だけあって「だって、本名なんだから仕方がないじゃアーりませんか」と超然たるものであったという。
 
 「佐瀬益男」「腰野佳子」「多田万吉」「滴渡」「膝館 孝」「小里強兵」「穴水栄三」「鬼頭 猛」「尾尻良平」「赤染房太郎」「大腰 吉朗吉」「藪茂」さんなどは、きっと若いころにからかわれて、さぞ親を恨んだに違いない。
 
 ○女性ならば尚更深刻である。
 
「四ケ所ヨシ」「大毛ハマ」「越高陵子」「毛取えみ子」「高久キノ子」・・
 
 苗字だけでも困った人もいる。
 「加木屋」「四方・モカタ」「全先・マタサキ」「大開」「乗杉」「下口」「穴甘」などなど。
 
 十六女とか十八女という珍しい苗字の方も居られる。十六女は「イロツキ」と読み、女性としての色気が出る頃だし、十八女は「サカリ」と読むが、もちろん昔ならば十八は女盛りである。同じように十八娘は「イロザカリ」とか「ネゴロ」という苗字である。

 その十六女はもともと「シシメ」と呼んだ。十六=四×四だからシシ女なのである。
 でもシシメという言葉ははどこから来たのだろう。これはもともと地形の言葉で、イノシシが出るのを食い止める場所を言うらしい。そうだと分れば十六女のイロツキさんでも、別におかしいことはない。
 
 「鼻黒」さんという方もおられるようだが、「鼻」だけという気妙な苗字もある。
 そもそも、人間の鼻は顔の先にとんがって付いているが、地形でも室戸崎とか観音崎のようにとんがって突き出た場所があり、九州ではこの崎や岬のことを「鼻」という。鹿児島にあるのに「長崎の鼻」とか(*長崎と言ってもこれは地名ではなく、長い岬の意味である)海でないのに九重山系には「扇が鼻」とか、阿蘇山には「象が鼻」という地名があ、佐賀の背振山系にも「鬼が鼻」がある。
 
 この「鼻」に住んでいた人たちが「花」という苗字にしたらしい。地形が曲がっていれば「鼻輪」というが、これを苗字にするとちょっとおかしいので、「花輪」や「塙」の字に変えたものもある。
 名前ではなく、「花子」さんという美しい苗字もあるが、これも岬や鼻のようにとがった地形に関係があるのだろう。
 
 ところで花というと、花の名が付く苗字はいかにも女性らしくて可愛い。花山、花井、花田、牡丹さんとか紅葉さん、野菊さん、紅山(モミヤマ)さんはまだいいが、同じ花でも躑躅(つつじ)さんや柘榴さんではちょっと字が難しくて覚えにくい。
    ・・・
 
 
 * 久しぶりに山道を歩いてきました。
    拾った木の枝を杖にしてエッチら、おっちら2時間ほど。。
    花はあまり見れませんが、里山の黄葉、紅葉がすばらしい。
 
 春を思わせるような温かい日差しで、一枚・二枚と番町皿屋敷のように上着を脱ぎ、とうとうシャツ一枚に。。   それでも、少々汗ばむほどでした。
 おかげで昼寝もぐっすり。。
 
 
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(17)困った苗字

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   (17) 困った苗字
 
 
          野菊(竜脳菊)
 
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   「野菊」のように、可愛くて、きれいな苗字だと良いのだが、たとえばこんな苗字だと泣くにも泣けないだろう。・・・

 牛九十(うしくそ) 金屎(かなくそ) 牛糞(うくそ) 波波賀利(はばかり)さんなどはいかにも汚らしくて、こんな苗字の本人はほんとにいやで、ご先祖様を恨みたくなるだろう。
 
 「牛糞」といえば、むかし軍隊に入って馬を扱う騎兵や砲兵などに配属された兵隊は、入隊の日にすぐ「馬糞を拾ってこい!」と命じられていた。
 手つかみで、あのくさい馬糞を拾うなど、ちょっと考えられない事だが、次第に馴れてきて何ともなくなるそうだから不思議なものだ。そのうち馬の尻の穴に腕を突っ込んで洗ってやっても平気になると、友人たちが言っていた。。
 
 「牛糞」などという苗字はでたらめのようだが、「牛糞」は、昔はれっきとした苗字のひとつで「牛糞一族」の由来もはっきりしている。
 
 史料によれば・・・、
「牛糞氏」は薩摩の牛屎院(うしくそいん)という所がその出自で、「薩摩守・平信盛」が保元の乱の軍功により薩摩郡牛糞院を賜った。
 
 下って、南北朝時代には南朝方に「牛糞越前守」が、北朝方には「牛糞刑部権守」(ぎょうぶごんのかみ)の名前が太平記に記されている。
 
 もっとも、戦後の新民法では、変な姓は家庭裁判所で改姓できるようになったから、牛糞(うくそ)などという苗字の人はさっさと変えてしまったらしくて、現在はほとんど聞いた事がない。
その子孫は現在は「牛久」さんとか、何とか改名してしまったようで、この姓は現在は存在しない。社会生活上、そのままでは、やはりちょっと具合が悪いのではなかろうか。。
 でも、この位ならまだしも、もっとひどいのもある。
 
 首(おびと) 生首(なまくび) 墓下(はかのした) 百目鬼(どめき) 釈迦牟仏(にくるべ)・・・ その上、冥土(めいど)さんときては、まことに不気味でこわい苗字である。 
 
 四月咲(つぼみ)さんや、雲雀(ひばり)さん、濡髪(ぬれがみ)さんなら可愛くて喜ぶ女の人も多いだろうが、 禿(いなつけ)さんとか歯黒(はぐろ)さんはまだしも、毛穴(けあな)さんや鼻毛(はなげ)さんになると、せっかく出来た彼女にも嫌がられて、お嫁さんの来手も少ないかもしれない。
 
 鼻が出たついでに、顔に関係のある苗字を上げれば 「目」さんはメではなくサッカとかサカンと読むのだそうだ。昔の役職で四等官を主典(サカン)と言った。文書などを書いて、いわば目の役目をするので目の字をあてたのだろうか。
 サッカはサカンが詰まったものだが、山口県に目(サッカ)さんが居られるそうだが、正しくサッカと殆ど読んで貰えないそうである。
 
 ついでに耳や口さんはどうだろうか。。

 大阪には「耳」さんが、「口」さんは北陸に居られるそうだが、今は耳は「三美」とか「美見」という名前に変わっているそうである。 口は滝口とか山口・溝口などのように地形から来たもので、今は「久地」とか「久智」さんなどに改姓したものも多いとか。。
 
 
                 「紅葉さん」 というきれいな苗字の方もいる。
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(18)語呂合わせの名前

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    (18)ごろ合わせの名前
 
 ○ 語呂合わせであだ名になりやすいものもある。

 「朝居マス」と言う方は、夜は居ないのだろうか?と勘繰りしたくなる。そういえば「留守」さんという議員さんもいたなぁ。。
 「黒土四郎」さんはむかし横浜の校長先生だったそうで、生徒から「クロ・ツチ・シロ」から三毛というあだ名を奉られていたとか。。
 
 *・・・名前そのものであだ名をつけられるのは多い。
 シランの中学時代の恩師の「黒岩先生」はクロチン、「梅井先生」はウメチン、「宇賀先生」はウガチン、ズバリ名前そのものでは、カクゼン(覚禅)ブンロク(文六)ソウイチ(宗一)ライさん(頼逸)ヤスさん(安山)モイチ(茂一)フサイチ(房一)など、子供の発想は単純だがなかなか面白い。
 
 ヒトラーとかゴキブリ、アンビシャス(いつもボーズ、ビィ、アンビシャス(少年よ大志を抱け)と言っていた教頭先生。ナフタリン、マンドリン、夏ミカンなどのあだ名の先生も居たなぁ・・・
ほんとの名前よりも、山男とか風呂敷とかあだ名の方がよく覚えているのだからなんだか可笑しい。。
 
 そのほか、語呂合わせの珍名では
 「川端柳」「於曾能律」「井戸端由松」「上総守」「大戸もん」「川端整理」「尾根坊奈良」「大成与呂久」
 「雨森福蔵」・・・軍隊の同期生に 雨森候補生 がいた。
 「阿諏訪利男」「荒此身」「安食卓郎」「買場義雄」「隠岐アイ」「上方昇」「尾塩盛」さんたちも大変だろうな。
 
 「川端柳」という名も、なかなか語呂がいいが、「何をくよくよ川端柳、水の流れを見てくらそう・・」という都都逸は坂本龍馬が作ったそうですね。
 
 ○苗字そのものがあだ名になりやすいものもある。

「合掌」「休場」「泥」「刈込」「見学」「接待」「修行」「執行・シギョウ」「達摩・ダルマ」「仁王」「煙草」
「紅葉・モミジ」「面影」「追着・オイツキ」「唐笠・カラカサ」「愛須・アイス」「愛洲・アイス」「会場・アイバ」「角張・カクハリ」「入口」「会見・アイミ」「相笠」「香水・コウミズ」「開発」「揚箸・アゲハシ」
「甲斐荘・カイショウ」「武蔵関・ムサシセキ」「瓦葺・カワラブキ」「蟹・カニ」「狼・オオカミ」「鯨・クジラ」「猪・イノシシ」「阿比留・アヒル」・・・
 
                            日向ぼっこの (あひるさん)
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 ○名前では「余計」「嬰児・エイジ」「亜閑」「娘」「初宝」「本初」「久続」「可能」「早速」「狂四郎」などなど、こんな名前の場合は、珍奇な名前が苗字と重複しないことが多い、さすがに親が気を遣ったのだろう。
 例外としては甘栗太郎という名前があるが、姓と名前が奇妙にツジツマが合っているものもある。
 
「藍青也」「野呂横行」「青木緑」「薮内鳩太」「秋草実」「岩山乾」「朝日昇」「絵面ふで」「楠香」
「橘馨・タチバナカオル」「霞春雄」「漆光」「尾山登」「織内経緯・オリウチケイイ」「箙・エビラ弓之助」
「大星光雄」「片島港」 「遠藤近吉」は遠くて近きは男女の。。をつい連想してしまう。
 
「神立(カンダテ)年末」「中須(アタリ)好」「日馬(ヒュウマ)宙飛」さんは天馬空を行く人の様だが、お父さんの漫画の見過ぎかもしらん。。外語の先輩に「中馬・チュウマ」さんが居た。馬術部のキャプテンで、下級生を説教するとき、馬術用の鞭をビュンビュン振り回すのでとっても怖かった。
 
 「化女」という名前は「カメ」さんと読むが、めでたいのか怖いのかわからない。
 「荒鬼・アラオ」という名前の人の職業は警察官だそうだ。
 荒鬼さんに睨まれたら、犯人も縮み上がるだろう。
         ・・・
               (紅葉さん)はきれいだろうな。。
 
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(19)めでたい苗字

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    (19) めでたい苗字
 
 7億円宝くじが売り出されたが、紫蘭は宝くじに当たったためしがない。一度当たった時の気分を味わってみたいものだが、まだ一度も買ったことがないので、当たるはずがない・・(^^)
 不景気の時は逆に子供が金持になってもらいたいのが親心といものだろう。苗字や名前にも金の字が付いたものが多い。
 
 昔の中国語の先生に金子先生が居た。
中国音で金子は「チンツー」と読むので、あだ名もチンツー、チンツーで通っていた。学校のコンクリートの階段を下駄ばきで降りて来た司馬遼太郎サン(本名福田)が殴られて、メガネを壊したのも、この先生だった。チンツー先生は当時、生徒監をされて居たが、もともとは北京大使館勤務の外交官だったと聞いた。道理で中国語がうまいはずだ。チンツー先生はのちに外大の学長になられた。やはり金の字がついていたから、運がついたのかも知らん。
 
 「金子金春」「金子金義」「金子金蔵」「金子金太郎」「金子金平」「金子銀三」「金子銀蔵」「金子倉蔵」  「金子宝」・・
 「金井銀一」「金持金治」「金兜豊造」「金刺金吾」「金定金市」「金成金」「金成金一郎」「金成豊」
 「金野金治」「金成増彦」「金丸銀三」「金丸金兵衛」「金元倉造」「金谷〆吉」「金田金八」・・・
 
 まるでゴールドラッシユですね。今からでも遅くない・・皆さんも金持ちさんに改名されたらいかが?
 「金成」さんは、勿論「カネナリ」だが、カンナリとかカナリとも読む。東北地方に多いそうだが、宮城県には義経を助けた金売り吉次の話もあるから、他の金成の苗字も金の産地にちなんだものだろう。中には金成は「神成り」で、つまり雷の事だという説もある。
 
 金につながる苗字はやはり商売人が多いようだ。金持さんはそのものズバリだが、黄金(オウゴン)さんから銭箱(ゼニバコ)、金集(カナヅメ)金庫(カネクラ)さんまでさまざまである。
 
 ○金だけでなく、縁起をかついだ、めでたい名前も多い。

「亀井鶴松」「亀千鶴子・鶴次郎」「梅原竹松」「梅蔭竹松」「浦島亀太郎」さんは有名製菓会社の元社長さんだった。昔の映画に「鶴八、鶴次郎」というのもあったなぁ。。 川口松太郎の原作で、長谷川一夫と山田五十鈴の主演だった。
 
 「鶴丸」という名前も縁起がいい。
鹿児島に「鶴丸高校」という名門の進学校がある。この鶴丸高はもとの鹿児島一中で戦前には、陸士・海兵の合格率で、母校の佐賀中と全国一二を争っていて、わが校の校長がよく鹿児島一中に負けるなと,生徒達を前にしてヒットラーのようにはっぱをかけていたのを覚えている。だからガキどもはあだ名で、ヒットラーとか、「ライオン」と呼んでいた。
 
 この鶴丸高は島津家の居城「鶴丸城」から来た名称で、鶴丸城は翼を広げた鶴に似た形をしているそうである。 そのせいか、九州には鶴丸姓が多い。鶴とつけば、目出度い名前だが、中学時代の友達にも「鶴丸君」がいて、神奈川のある電鉄の社長にまで出世した。 一方、近くの飲み屋街の親分は、いつか何者かにめった突きにされて、非業の最期を遂げた。
 鶴丸という苗字でも目出度いとばかりはいえないのである。
 
 家紋のひとつに「鶴丸」があるが、昔、この家紋の人が、没落かなんかして、本名を名乗れないときに、鶴丸の家紋を代名詞として使った、という説もあり、灌漑用水の水路を「ツル・水流」というから、「ツル」という地名に由来する、という説もある。
 
 その他、めでたい姓名には・・
「喜内福造」「稲村豊作」「稲実」「秋田豊作」「神長倉豊」「神野千代松」「萩原壽命吉」「菅無事平」
 
 苗字と名前に同じ字をダブらせるのも姓名判断上では縁起がいいそうだ。
 「加茂茂治」さんは、近所で衣料品屋をやっていたが、剣道は達人だった。子息も東大出だ。
 苗字と名前に同じ字があるのは
 「兼子兼吉」「亀田亀吉」「小川小一」「小蔵力蔵」「一条一馬」「荒川荒助」さんなどがいる。
     ・・・・・・・
 
 
  *絶好の小春日和につられて、自転車で城内公園を一周2時間、
   日差しの温かさで少し汗ばみました。
 川端の紅葉はもとより トウハゼ、ナンキンハゼ、銀杏、ユリノキ、モミジバフウなどの黄葉、紅葉が見事。
    久しぶりに命の洗濯をしました。
 
 
            (松原川の紅葉)
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                        (目を奪う綾錦)
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(20)月日の苗字

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       (20) 月日の苗字
 
 字を重ねるだけでなく、上から読んでも下から読んでも同じ、という凝った名前もある。元検事総長の「佐藤藤佐」さんが有名だが、野球の「三宅宅三」さんはじめ「久松久」「大石大」さんなどもいる。
 
 また、名前を縦一文字に断ち割って、左右が同じという名前もある。
「小林一三」「宮本憲吉」「臼井吉見」「中井英夫」「中西太」「幸田文」「木田
文夫」「林芙美子」「山本富士子」「香川京子」さんなどなど。
 
 しかし何としても、さっぱり読めない難解な名前がある。昔は特にひどかったようだ。勿論、江戸時代以前の話であるが。。
 「八月一日宮三千年(ホツノミヤミチトモ)」「佐々木百千万億兆(ササキツモル)」
  「古川三斗九升(シトナイ)五合
 「三斗九升五合」が珍しい。どういう意味だろうか。。四斗に少し足りないので「四斗ない・シトナイ」だろうが、佐賀の昔の方言では、少し足りない者を「二斗八升」と言って小馬鹿にしていた。三斗に少しだけ足りないのである。
 
 「八月一日宮」というのはどこのお宮だろうか、それとも宮様だろうか。
 それにしても月日に関する苗字も多い。東京には正月(しょうげつ)さんというお菓子屋さんがあるそうだし、また「正月一日」という苗字もある。
 
 これは「しょうがつついたち」さんではなく、実は「あら」さんとか「あお」さんと読む。
 昔、万葉時代には新年を「新しき年」ではなく「あらたしき年」と読んだ。
   
   ○万葉集 第20巻 №4516   大伴家持
 
  新年乃始乃波都波流能 (あらたしきとしのはじめの はつはるの)
  家布敷流由伎能伊夜之家余其騰 (けふふるゆきの いやしけよごと)
 
    新しき(あらたしき)年の始めの 初春の
      今日(けふ)降る雪の いや重け(しけ)吉事(よごと)
 
   (*万葉集の編者といわれる大伴家持の作で、万葉集最後の歌です。
      因みに、第一番の歌は雄略天皇の御製で、長歌になっています。)

    
 元日の「正月一日」は(あらたしき年)の最初だから「あら」というわけである
 この「あら」が転化して今は「アオ」と読むそうだ。
「アオ」と読む苗字にはほかに、安居、安老、明海、神、阿尾、青サン、などもあ
るそうだが、ちょっと「アオ」とは読めそうにもない。
 
 しかしこれらの文字はみんなめでたい文字だそうで、「アオ」は新しいという意味のほかに、めでたい、聖なる、長寿、緑の、若々しい、などの意味があるそうだ。
 正月にちなんだ苗字はそのほかにも門松、松の内、注連縄(しめなわ)餅月(もちづき)さんなどがある。
 注連は神棚の周りに張り巡らせる縄のことだから、注連内(しめうち)という苗
字もある。
 元日や松竹梅はないが、松竹や元日田(もとひだ)はあるそうで、もちろん一月
もある。
 これは「イチゲツ」とか「ムツキ」と読むのだそうである。
 
 月日にちなんだ苗字はまだまだある。
 「四月一日」と書いて「わたぬき」と読む。「四月朔日」も同じだが、これは、綿入れを脱いで単衣に変えるのが、四月始め〔旧暦〕だからであり、「綿貫」も「更衣」もワタヌキさんである。
 「綿貫」の姓は、もともと上野国(こうづけのくに)群馬郡綿貫の地から起こっ
た豪族で太平記にも綿貫五郎左衛門の名が出てくる。
 
 梅雨時の六月ごろ、山野を歩いていると、栗の花が目立つ。
 「栗花落」と書いて「つゆ」とか「ついり」サンと読む苗字があるし、「五月一日
と書いても同じく「つゆ」サン、「ついり」サンである。昔は旧暦だから5月1日ごろ、梅雨に入っていたのだろう。
「栗花落」で「ついりサン」とはなんとも風流な苗字ではある。

 
 「六月一日」や「六月晦日」で「うりわり」サンというのも珍しい読み方である

 6月1日ごろに、瓜の実が割れるからだろうが、昔、瓜を割って神前に供えたと
いう記録もあるし、大阪には「瓜破」という地名もある。
 
 このように季節の行事を年月に当てはめた姓氏も多い。
昔は農業が多かったので、大方は農作業の目安である日付けを当てたものである。
 
   五月一日 (ついり)・・梅雨入り 
   六月一日 (うりわり)・・瓜割り
   八月一日 (ほづみ) ・・穂摘み
   十二月一日 (しわすだ)・・師走
   十二月晦日 (ひづめ)・・日がつまる
 
  そして極め付けは「春夏秋冬」と書いて、「ひととせ」サンである。
 
 ところで、十二月一日が「師走」というのは分かるが、「しわすだ」と読むのは
どうしてだろう。
 埼玉県のある神社で、お祭り用に使うために「十二月田」という田んぼがあるそ
うだ。その米の収穫で祭礼の費用に当てるのだが、この「十二月田」が地名となって、「しわすだ」と読む苗字が発生したらしい。
 
 「十二月晦日」は一年の最後の日なので「日が詰まる」・・から「ひづめ」サン
である。
 火爪、樋爪、肥爪などもそうだが、今は日詰さんが一番多いそうだ。
 
 
                                ( 黄葉の尾瀬ヶ原)
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   *温かい朝でしたが、少し雲が出て来たようです。
    さては雨になるのかな?
 
    白馬地方の地震ひどかったですね。
    これから寒い冬がやってくるので大変でしょう。
    謹んでお見舞い申し上げます。

(21)珍苗字の由来

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    (21) 珍苗字の由来
 
 数字といえば、こんなに長ったらしい可笑しな名前もある。
 
「渡辺七五三吉五郎次郎三郎衛門」 「一二三(ヒフミ)四五六七八九十郎」  「三反畑八反田」
「古屋敷後部屋新九郎左衛門丞」  「平平平平(ヒラダイラヘイベイ)」 「臍下珍内寒風衛門」
「九寸五分七五三二三(クズハタ、シメフミ)」  「山中いろはにほへと・・・・えひもせす」
 
 「九寸五分」がクズハタで「七五三二三」がシメフミとはまた難解な名前である。前に書いたように七五三はシメ縄に関係があるので、何となく理解は出来るが。。
 「臍下珍内寒風衛門」とは、これまた珍名の最たるものか。。珍内に寒風が吹きすさんでは、一物もさぞ縮みあがつているに違いない。 おかげで肝っ玉も小さいかも。。 
 
 いろはにほへと、と最後まで言っていると日が暮れてしまいそうで、落語の「寿限無寿限無、五劫のすりきれ・・」などを思い出してしまう。 「平平平平」でヒラダイラヘイベイというのも、なんだかクイズの問題のようでこれが名前だとは、とうてい思えない。
 
 「小鳥遊(タカナシ)由助」「飯酒盛男女重」「藤村芳州屋安兵衛文左衛門」などは、とてもカナ付けがないと読めたものではないが、さすがに今日ではこんなふざけた名前はつけられない。でも今でもまだこんな知恵比べのような読みづらい名前が残っているのである。

 
「飯酒盛男」さんも珍しいが、食べ物に関する苗字は案外に多い。
 御酒さんは、「ミキ」さんと読む。
 小学校の友達に、ミキちゃんと言う小柄な女の子がいたが、先年急に亡くなった
。「一度お食事でも・・」と、この85歳のおばぁさんから誘われていたのに・・ (-_^ *)
  もっともこちらの「ミキ」さんは、お酒ではなく名前の「美喜」さんである。
 
 飯の話では「飯久高・メシクッタカ」さんが面白い、ほんとに居られるかどうかは、確かではないが、あるいは飯(いい)久高(ひさたか)さんと読むのかもしれない。中国語で朝のあいさつの「お早うございます」は「吃飯了麻?チーハンラマ?朝飯は済みましたか?」というが、飯久高・メシクッタカさ~んと呼ぶと、お早うございま~す、の意味になるわけだから面白い。
 
 「豆腐」さんという名前もあるそうだ。
 別に豆腐屋さんだったというわけでもなさそうで、これには伝説がある。
「お殿様が長患いで、お豆腐が良いということになって、十年間も豆腐の御用達を
一手に引き受けた。
 殿様が全快されると、豆腐のおかげで良くなった、と「お前に豆腐の姓をさずけ
る」という事になったのだそうである。。
 
 「油さん」の油は菜種油である。
 昔、御油(ごゆ)という土地があった。これは油をとる畑のことだが、主に神社
の灯明用に、ここの田の油を使ったので、御の字がついて「御油田・ゴユデン」となったのである。これから、「油」さんが出て、さらに「油田・ゆだ」さんとなり、御油(ごゆ)さんも派生したのである。
 
 「菓子」さんは、さすがに何百年も続いたお菓子屋サンの場合が多い。 いわば菓子一族である。
この菓子姓から菓子谷、菓子屋、菓子田などとなった。菓子の読み方も「カシ」もあるし「カネ」サンと呼ぶ場合もある。
 甘いのでは、甘味、甘粕、などもあり、「飴」のつく苗字では飴谷、飴田、飴野、飴本、などがあるし、 辛党では、酒がついた「酒作」「酒屋」「酒本」サンなどもある。
 
 辛いのがお好きなら、「辛子・カラシ」さんも居る。これはもともと「唐子・カ
ラコ」さんで、大陸から唐辛子を持ってきた人々である。日本に渡来してみんなで団結して村を作り、唐辛子を栽培していたらしい。
 
 「塩味」さんという姓もなかなか愉快である。
「塩味」というと、板前さんか料理屋さんのようだが、これは「シオアジ」さんで
はなく、実は「シオミ」と読む。海潮の流れを読んで船の運航を決める船方さんである。同類に塩見、塩見、汐見さんなどがあるが、やはり四国に多いそうである。
 
 
 食べ物では「鰻」さんも傑作の方だ。
 今でも鹿児島の山川町には「鰻」さんが何軒かあるそうで、このあたりには大き
な池があって大鰻が捕れた。そういえば、鹿児島の指宿市の池田湖の大鰻が有名だが、この大鰻は体長2m、胴回り50cmもあるそうで、ひところは幻の怪獣「イッシー」ではないかと大騒ぎになったこともある。
 そこで、鰻の池が、「鰻」という地名となり、やがて村人の苗字になったという。ほんとかうそか分からぬが、明治になってここの村人もみな苗字をつけねばならなくなった。そこで、湯治にきた西郷隆盛に苗字をお願いすると、隆盛は湯殿の窓から一言「鰻がよか」と言ったという。。

 
 「昼飯」さんもユニークで珍しい。どうしてこんな名前が出来たのだろう。
 苗字の「昼飯」は「ヒルイ」と読む。この昼の字は当て字で、もともとは蒜(ひ
る)のことで、原野に自生しているネギ科の植物である。 紫蘭が軍隊に居るとき、腹が減ってたまらんので、野蒜(のびる)の根を取ってきて、おかずの足しにしたのも、ついこの間のような気がする。

 これらのヒルの生えている田んぼが「蒜野」であり、これから「昼野」となり、
さらに昼井、昼飯(ひるい)、昼居(ヒルイ)という苗字ができた。
 古代の「飯」は「いい」と呼び、「い」は「居」に通ずるのである。

  
    家にあれば笥(け)に盛る飯(いい)を草枕
       旅にしあれば椎の葉に盛る      
 
                     万葉集 有間皇子
 
       *有馬ノ皇子は壬申の乱で、中大兄皇子によって19歳で処刑されました。
 
 
                                    (小春日和)      
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(木守り柿)
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(22)珍名録も終わり

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    (22) 「奇姓珍名録」 最終回
 
 
 そろそろ紅葉も落ち始めて、秋の終わりを告げています。
 長々と、おかしな名前を書き連ねてきましたが、珍名録もこの辺で終わりにします。
  最後にもひとつ珍名をいくつか挙げておきましょう。。
 
   「大豆生田利枝」 「女屋勘右衛門」  「女部田繁市」 「温品欣助」 「月見里寅治」
   「小櫃智壽」 「金海坪珍」 「神谷日出照明」 「小野田豊治丸豊」
 
 数字にかかわる名前も多です。 
  そういえば甲子園球児に「一二三・ヒフミ投手」が居ましたね。。
 
  「一二三一二」  「人一二」  「一盛弥」 「三五博」 「三十尾清」  「四分一量平」
  「四十物弥右衛門」  「五十子千里」  「五上三一」  「鴨脚六三郎」  「山下七五三」
  「宇崎七五三夫」  「大貫七五一竹」  「九倭一郎」  「九十九(ツクモ)美治」
  「五百旗頭三郎」  「野老山幸風」
 
 カナ付けが無いので、なんと読むのかサッパリだが「五百旗頭」さんは「イオキベ」さんと読む。五百騎の旗頭だから大名に近い出自だと思えるが、実はこれは当て字で本当は「五百城部」だそうで、尾張地方の古代の豪族だとか。。その五百城も当て字で、ほんとは「イフク」といい、「伊福」とも書いたそうである。
 
 「野老山」は「トコロヤマ」と読む。野老はヤマイモ科の多年草で、根茎にヒゲがモソモソと生えていて、長寿の老人みたいで目出度いので、正月の蓬莱山祭りの床飾りにも使う。
 幕末に「野老山吾吉郎・トコロヤマアキチロウ」という土佐藩士が居たが、有名な池田屋事件の際に新選組に斬られて果てたそうである。 野老も縁起がいいのか悪いのか。。
 
 武家の名前では「家老」さんという珍しい苗字がある。カロウと読むだろうが、ケロウとか、ケロ、ケラとも読むそうである。もともとは大名の重鎮の家柄だろうが、家老は一つには地名からきているそうだ。
ケロのほか、ガラ、カレ、ガレとも読み、いわば「涸れ沢」のことで、水の枯れて岩が露出し、石がゴロゴロカラカラしている所である。
 
 家老さんと同じような苗字に「政所・マンドコロ」さんが居る。秀吉の妻のねねさんは、後年大政所となったが、もともと「政所」は政治を司る役所のことなので、日本全国に政所の地名がある。昔のいわば関所という所だろう。「武士垣外」という珍しい苗字は「ブシガイト」と読む。武士の一族の住んでいる武家屋敷の意味だそうである。
 
 武士といえば武田氏が有名だ、全国では北海道から九州まで13万もいるらしい。その一部は猛田、丈田、竹田となり、また武雄や武男という支流まで数えると、なんと50万にも及ぶとか。。 
 「左衛門三郎」といえば、昔の名前には違いないが、これが苗字である場合もある。もともとは武士の名前だったが、時移り、世が変わってこの屋敷があった場所が地名となり、その地名から住んで居る人の苗字になった。
 
 地名と苗字は密接な関係があるのであるが、職業上の屋号から来た苗字も多い。
 もともと、江戸時代までは武士を除いて一般には苗字を称することは禁じられていた。平民は原則として名字は許されず、名字を持つのは貴族や士族だけであった。
 
 いま手元に江戸末期の私の現住地の「かまど帳」(今の戸籍)の写しを持っているが、それを見ても足軽、家来以外の八百屋や大工さんには苗字がなく、単に野次さん、喜多さんというような名前だけである。そればかりか、おカミさんは、その名前すら載っていない、単に「女房、何歳」とだけ記載されているだけである。
   (*でも、子供は名前が載っているのが不思議といえば不思議・・)
       いかに男尊女卑、士農工商の別が厳しかったかが分かる、というものだ。
 
 現在、日本の苗字は20万ほどもあるそうだが、自分の苗字や名前を好きな人はあまり居ないようだ。前記のように、苗字は住でいる土地に由来するものが多いが、私自身の苗字を調べてみたら、なんと、むかしむかし、北アルプスの山中に同じ苗字の城主がいた!・・
 
 まさか、その一族というわけにはないだろうが、それでも「千葉さん」などは、遠い昔、関東の千葉から九州に移封された一族の子孫だから、あんがい、紫蘭も山奥の山賊の一味なのかも知れない。(と、自惚れ?てみるのも一興である。)
 ちなみにシランの苗字は全国に2万4千名ほどだった。あまり多い苗字ではなさそうだが、また特に珍しい方でもない。 まずは「中庸は徳の至れるところなり・・」と言ったところか。。
 
 そんな庶民にも明治八年二月二十三日に「苗字必称令」が出て、みんな苗字を付けねばならなくなった。だから、文字を知らない者たちは、こぞって学問のある和尚さんたちに苗字を付けてもらったり、職業の屋号をそのまま苗字にしたものも多い。
 
 長崎県の平戸市では「蛭子屋・えびすや」「恵比寿屋」「三徳屋」「鶴屋」「佐野屋」などの苗字がある。江戸時代には旅館などをしていたのだろう。
 その他、「油屋」「網屋」「掛屋(両替屋)」「盃屋」「俵屋」「などがあるが、これも職業から来たに違いない。また出身地の名前をとって、「石見屋・いわみや」「伊賀屋」「唐津屋」「紀伊国屋」などの苗字がある。
 不思議なことに、この平戸では寛政四年の平戸の町の見取り図に、これらの町人の(苗字)が記されていることである。
 
      丸屋治ェ門    問屋
      網屋和五郎    酒屋
      油屋又五郎    魚屋
      俵屋磯吉     米、ミソ、醤油販売
      紀伊国屋久平  問屋
      橋口京兵衛    八百屋
      米原善五郎    豆腐、うどん屋
 
 平戸は昔から大陸貿易の拠点として発展した街で隠れキリシタンでも有名だが、sょ卯任意苗字がついているとは、何か特別の理由があったに違いない。
(ちなみに我が家の旧宅が戦時中に家屋の疎開のために解体される時、階段の羽目板に「肥前屋ご主人殿」と宛名書きしたハガキの礼状が、市松模様にペタぺタ貼ってあるのを見つけた。父が生前に買い取った建物だが、建坪120坪もあったので、あるいはこの建物は江戸時代から明治の頃には宿屋ではなかったかと思っている。)
 
 新聞、テレビを見ていて、先日から気になった苗字があった。
 小鑓(こやり)さん、車古(しゃこ)さん、五箇(ごご)さん、物袋(もって)さん、七五三掛(しめい、しめかけ)さん。。などなど。

 何となくこんなに名前が目につく所をみると、長々と、珍名奇姓を書いているうちに、習い性となったのかもしれない。
 そのうち夢にまで出てきたら大変だ。ボケないうちにこんなラチもない無駄話はここらで止めておいた方が無難なようである。
  では、この辺で下手な鉄砲も打ち止めにしようか。。
 
             「奇姓珍名録」 おわり
 
 物好き年寄りのつまらぬ記事のために長々とお付き合い頂き、皆さんにも大変ご迷惑をおかけしました。 ほんとに有難うございました。 
 
                                 頓首再拝  和紙屋紫蘭   m(__)m
 
              
   (尾瀬の池塘) 
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         少年老い易く  学成り難し
         一寸の光陰  軽んずべからず
         未だ覚めず  池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢
          階前の梧葉(ごよう)  すでに秋声
 
                                 朱熹・「偶成」
 
 

(205)皇帝ダリア

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     花だより14年 (205)  「皇帝ダリア」
 
 
  秋も闌けてはや満目黄落の季節、山野を彩る見るべき花もありません。
わずかに民家の庭に見る、皇帝ダリアの爽やかなピンク色の大輪の花が目を楽しませてくれます。
 
 
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 「皇帝ダリア」はキク科ダリア属の多年草で、10月ごろにつぼみをつけ、11月ごろにピンクがかった藤色の20センチほどの大きな花を咲かせます。
 
 
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 丈も大きく、放っておくと3m位になり、見上げるほど大きくなります。大きいので皇帝の名がついているほどです。しかし、皇帝ダリアは寒さに弱くて霜に当たると一発で枯れてしまいます。
 
 
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   *今日も温かいいい天気でした。
     とても晩秋とは思えません。このまま春がきてくれれば。。
     などと年寄りは虫のいいことを考えています。
     寒さはこれからが本番だというのに。。
 
 
 

(206)山茶花①

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       (206)  「山茶花」 ①
 
 「山茶花」はツバキ科の常緑小低木で,日本の四国・九州には自生しています。もともと野生の山茶花は白い一重の花で、プロペラのような形をしています。
 
 
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                                少しピンクがかったのは交配種かもしれません。
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 しかし、山茶花には色々と品種が多く、赤や、ピンク色、紅白混ざったもの、八重咲きのものなど様々です。
 
 
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 山茶花はとても息の長い花ですが、今年初めて見たのがこの↓八重の白い花で、 とても清楚な感じがしました。
 
 
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                    山茶花の長き盛りのはじまりぬ   富安風生
 
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 *農協直売所に野菜の買い出しへ。  帰る頃から雨になりました。
   温かい小春日和が続いていましたが、この雨のあとは時候替わりで急に寒くなるようです。
 
 
 

(207)山茶花②

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      (207) さざんか②
 
 公園に日中友好のしるしとして、中国の山茶花と日本の山茶花が並べて植えてありました。
 
                   (日本の八重・山茶花)
 
 
 
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 中国では山茶花といえば(椿)の事を言い、山茶花は(茶梅)と言います。
 日本の山茶花の花は、開いておしべが見えていますが、中国の山茶花は花がすぼんでいておしべが良く見えません。 花色や花の形も微妙に違うようです。
 
            (中国の山茶花)
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 山茶花はツバキ科なので椿とよく似ていて、なかなか見分けがつきません。
 山茶花の咲くのが秋から冬にかけてなのに対し、椿は冬から春にかけて咲きます。
だかあら、俳句の季語「としても、椿が春の部なのに山茶花は冬の部に入っています。 
 また山茶花は花びらがひとひら、ひとひら、はらはらと散るの対し、椿の花は首からポトリと落ちます。
 それに葉が山茶花の方が小さく、葉を太陽に透かして見ると、ツバキの葉脈は白く、山茶花の葉脈は白いとか。。(まだ試してみたことはありませんが。。)
 
            (これは日本の山茶花です)
 
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      山茶花に 日あたれば恋得(え)しごとし    細見綾子
 
 
  *夜来の雨が上がって急に寒くなりました。
   明日も時雨れて寒そう。。予定ののゴルフはどうしょうかな?。。
 
   友達に電話したら、やっぱり行く!という。
    よーし、義を見てせざるは勇無きなり!  じゃー、行くぞォー!!
 
      と思った途端に、また電話あり。
   外に出てみたら、あまりの寒さに縮み上がり 「やっぱり、止めとこか。。」 だと・・
 
   年寄りの冷や水、90歳がこの寒さでゴルフとは、物笑いの種になる。。
   やっぱりゴルフは止めて、コタツにでも入っていた方が正解のようだ。。
 
 
      初しぐれ 猿も小蓑(こみの)を ほしげなり       芭蕉
 
    
 

(208)銀杏

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      (208) 「銀杏」
 
  花の季節も過ぎたので、しばらく紅葉風景をお届けします。
   黄色く色づいた銀杏の並木は、いかにも晩秋の黄落を思わせる風景です。
 
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  銀杏はイチョウ科の落葉高木で中国の原産、世界各地の自生のものは絶滅して今は中国の浙江省に自生するだけになっています。日本への渡来は分かりませんが、寺院に多いところをみると、恐らく僧侶によって齎されたのではないかと考えられています。
 
 
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  春の若葉、秋の黄葉が美しいので北は北海道から南は沖縄まで広く植えられています。また、銀杏は樹勢が強く、大気汚染にも強いので街路樹として広く植えられています。
 
 
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         ここに来て死ねよと山河黄落す    籏 こと 
 
 
 *寒波襲来・・ブルブル。。
   朝一番にゴルフ場に、90歳組3人の予約取り消しの電話。
   おかげでコタツでぬくぬくと一日が過ごせました。
   これで2,3日は寿命が伸びたか  どうか・・(^_^)?
 
 

(209)ナンキンナゼ

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        (209)  ナンキンハゼ
 
          佐賀城公園
 
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 「ナンキンハゼ」はトウダイグサ科の落葉高木で樹高15m、中国の原産ですが、日本では佐賀平野に多く生育しています。
  これは江戸時代佐賀藩が種子から蝋や油を採るために栽培したのがその起源です。
 
 
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                佐賀城・西堀
 
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 南京櫨(ナンキンハゼ)は春の緑の若葉、秋の紅葉が美しく、初冬にかけては白い種子が樹上に残って、四季それぞれに美しい景観を醸し出しています。そのため、佐賀市内の公園樹や街路樹としてよく使われています。
 
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             多布施川
 
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  造化の妙と言いますか、季節の移ろいとともに自然の微妙な色の変化に驚かされます。
  九州は寒いですが、風がなくて昨日よりは過ごしやすい一日でした。
   植木の刈込みなどで、今日も為すこともなく終わりました。
 
 
        落葉して木々りんりんと新しや     西東三鬼
 
 
 

(210)ナンキンハゼ②

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          (210)ナンキンハゼ ②
 
 
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  「ナンキンハゼ」の紅葉の盛りには、白い種子が樹上に残り、紅葉と相まって独特の光景が見られます。葉が落ちてしまっても樹上にはこの白い種子が一杯残っていて独特の美しさがあります。
 
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 ハゼという名前がついていますが、山ハゼとは違いナンキンハゼは触れてもかぶれることはありませんが、白い種は有毒だそうです。
 この種は日本でも化石が発見されているので、日本でも自生していたかもしれません。
 
 
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 *朝から時雨模様で、寒い一日でした。
   家内の歯医者さん送迎から、チャリンコでトーフやバナナ、冷凍野菜などの買い出し。
   カゴごいっぱいの買い物で、ハンドルがぐらぐらしそうだぁ。。
 
  時雨は冬の風物詩、語源は「過ぐる」だそうだが、晴れたり、曇ったり・・定めなく降る冬の雨をいう。
 「し」は風、くるは「狂う」という意味だともいう、風に伴い突然に降り、また突然に止むからだろう。
 
 その冬初めての時雨を「初時雨といい、京都ではこんな雨がよく降るので、「北山時雨」ともいう。
山から山へと雨が移動して、片側では降っているのに片側では晴れているという、雨の風情が愛されて、時雨は昔からよく詩歌にも取り上げられている。陰暦の十月はこの時雨が良く降るの「時雨月」ともいうそうだ。
 
 
       初しぐれ 猿も小蓑(こみの)を ほしげなり       芭蕉
 
       今朝からの 日和うしなふ 時雨かな       阿波野青畝
 
 
 

(211)山ハゼとチャンチン

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     (211) ヤマハゼとチャンチン
 
   「ヤマハゼ」の紅葉もナンキンハゼに劣らず綺麗です。
 
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 ヤマハゼはウルシ科の落葉小高木で、関東以西の日本や朝鮮・中国の山野に自生しています。また平野部でも見られるのは江戸時代にこの木の実からロウを採るために栽培されたものです。
 
 昔、対馬藩の飛び領地であった佐賀県東部の鳥栖・基山地区では対馬藩の専売として製蠟が盛んに行われていました。紅葉がカエデ類に劣らず美しいので公園にもよく植えられていますが、葉に触れるとウルシ同様にかぶれるので、ご注意。。。
 
 
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 ヤマハゼによく似ているのに「トネリハゼ」があります。ウルシ科の落葉高木で、中国の原産、葉の形がトネリコの葉によく似ているので、この名があります。
 
 
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    ↓これは根元から枝分かれしているので、チャンチンかもしれません。
 
 「チャンチン」はセンダン科の落葉高木で中国の原産、生育が早く1年に2m以上も伸びるそうです。新芽は白から赤紫に変わり、夏は緑色となり、新葉は秋になると赤く紅葉します。
 
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  * 今日も冬型で寒さが厳しい、明日は雪が降る見込みだそうだ。 ブルブル・・
     早く春が来ないかなぁ。。
  
 
   

(212)イロハモミジ

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     (212)   いろはもみじ(イロハカエデ)
 
        (四国・奥祖谷のかずら橋)
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      山暮れて紅葉の朱をうばひけり   蕪村
 
 
 
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 紅葉(こうよう)とは落葉樹の葉が緑色から赤く変わることを言いますが、その中でもカエデ類の紅葉がとりわけ美しいので、紅葉といえばカエデの紅葉を指すことが多いですね。

 
 楓の中でも、「イロハカエデ・イロハモミジとも」はその代表格で日本の福島以南の山地でよく見られ、公園などの植栽も一番多くなっています。葉が七裂していて「いろはにほへと」と数えることから、この名前がついています。
 
 
       ↑ かずら橋(女橋)
 
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                 (佐賀・松原川)
 
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                                          (水に映る紅葉)
 
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 カエデとは「蛙手」という意味で、京都では高雄にこのカエデが多いので【高雄楓】とも呼ばれています。謡曲の「紅葉狩」に出てくるカエデもこのいろは楓で、秋になると赤くなるのは、クリサンテミンという紅色の色素が出来るからだそうです。
 
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    *今日は寒かったですね。しんしんと骨身に沁みる寒さです。
      時雨模様の中を、スーパー買い出し。
      ついでに灯油も4缶買って来ました。1890円。 
      ガソリンの値段が下がった割には安くなっていないようです。
      こうなっては、電気と灯油・・どちらが安いのかなぁ。。
      ガンバ大阪、頑張りましたね。優勝!
      田舎チームの佐賀ン鳥栖も、4位と頑張りました。予算も少ないのに。。
 
  
 

(213)モミジバフウ

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         (213) モミジバフウ(紅葉葉楓)
 
 
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  モミジではありませんが、モミジの葉によく似た「モミジバフウ・紅葉葉楓」の紅葉がきれいです。
 
 モミジバフウ」はマンサク科の落葉高木で北アメリカの原産、昭和初期に日本に渡来しました。幹が直立して雄大、端正な樹形をしています。秋の黄葉が美しく街路樹や公園木としてよく植えられています。
 
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  葉の形がモミジの葉のような楓(フウ)類という意味で、モミジバフウの名がついて居ます。 蛙手型の大きな葉の紅葉がカエデ同様にきれいです。
 
 
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   モミジバフウの葉が落ちたあとに残るトゲトゲの種子が枯れ枝にブラブラとぶら下がっていて、これもなかなか面白い晩秋の光景です。
 
 
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 *今日はしばれるような寒さでした。
   農協直売の「街角はたけ」に野菜の買いだし、さすがに客も商品数も少なかったですが、
   ここは農家の方が毎朝直接持ち込むので、品数も多くて新鮮です。
   今日から、石油ストーブをつけました。直接火の気を見ると、身も心も温かい。。
 
 
     着ぶくれて齢(よわい)傾く思ひかな     村山古郷
 
 
 

(214)トウカエデ(唐楓)

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           (214) トウカエデ(唐楓)
 
 
       (佐賀・城内公園)
 
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                 (遠景のビルは佐賀県庁です)
 
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 トウカエデ(唐楓)はカエデ科の落葉高木で高さは15m、中国東部の原産で江戸時代に日本に渡来しました。葉の形が五本の指のような深く切れ込んだカエデと違って浅く三つに分裂しています。
 
 
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 トウカエデは春の新緑、秋の黄葉、直立した冬木立の姿など四季折り折りの変化が楽しめる樹木として、公園木や街路樹として広く植えられてます。
 葉が三つに分かれるので中国では「三角楓」と呼ばれています。
 
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                (市村記念体育館前)
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 *今朝も寒かったが、夜11時半就寝、5時に一度トイレに起きたら8時過ぎまでぐっり眠りすぎて、慌てて飛び起きた。
 
 今日は12月8日、昔なら開戦記念日で、学生はゲートル巻いて鉄砲担いで日の丸弁当を持って強行軍に出かけなければならなかった。
 
 電気毛布にぬくぬくと、朝寝するなどトンデモナイ!!配属将校にぶんなぐられるところだった。。
 何やかやと言いながらも、世の中、平和だなあ。。
 
 
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