(22) 「奇姓珍名録」 最終回
そろそろ紅葉も落ち始めて、秋の終わりを告げています。
長々と、おかしな名前を書き連ねてきましたが、珍名録もこの辺で終わりにします。
最後にもひとつ珍名をいくつか挙げておきましょう。。
「大豆生田利枝」 「女屋勘右衛門」 「女部田繁市」 「温品欣助」 「月見里寅治」
「小櫃智壽」 「金海坪珍」 「神谷日出照明」 「小野田豊治丸豊」
数字にかかわる名前も多です。
そういえば甲子園球児に「一二三・ヒフミ投手」が居ましたね。。
「一二三一二」 「人一二」 「一盛弥」 「三五博」 「三十尾清」 「四分一量平」
「四十物弥右衛門」 「五十子千里」 「五上三一」 「鴨脚六三郎」 「山下七五三」
「宇崎七五三夫」 「大貫七五一竹」 「九倭一郎」 「九十九(ツクモ)美治」
「五百旗頭三郎」 「野老山幸風」
カナ付けが無いので、なんと読むのかサッパリだが「五百旗頭」さんは「イオキベ」さんと読む。五百騎の旗頭だから大名に近い出自だと思えるが、実はこれは当て字で本当は「五百城部」だそうで、尾張地方の古代の豪族だとか。。その五百城も当て字で、ほんとは「イフク」といい、「伊福」とも書いたそうである。
「野老山」は「トコロヤマ」と読む。野老はヤマイモ科の多年草で、根茎にヒゲがモソモソと生えていて、長寿の老人みたいで目出度いので、正月の蓬莱山祭りの床飾りにも使う。
幕末に「野老山吾吉郎・トコロヤマアキチロウ」という土佐藩士が居たが、有名な池田屋事件の際に新選組に斬られて果てたそうである。 野老も縁起がいいのか悪いのか。。
武家の名前では「家老」さんという珍しい苗字がある。カロウと読むだろうが、ケロウとか、ケロ、ケラとも読むそうである。もともとは大名の重鎮の家柄だろうが、家老は一つには地名からきているそうだ。
ケロのほか、ガラ、カレ、ガレとも読み、いわば「涸れ沢」のことで、水の枯れて岩が露出し、石がゴロゴロカラカラしている所である。
家老さんと同じような苗字に「政所・マンドコロ」さんが居る。秀吉の妻のねねさんは、後年大政所となったが、もともと「政所」は政治を司る役所のことなので、日本全国に政所の地名がある。昔のいわば関所という所だろう。「武士垣外」という珍しい苗字は「ブシガイト」と読む。武士の一族の住んでいる武家屋敷の意味だそうである。
武士といえば武田氏が有名だ、全国では北海道から九州まで13万もいるらしい。その一部は猛田、丈田、竹田となり、また武雄や武男という支流まで数えると、なんと50万にも及ぶとか。。
「左衛門三郎」といえば、昔の名前には違いないが、これが苗字である場合もある。もともとは武士の名前だったが、時移り、世が変わってこの屋敷があった場所が地名となり、その地名から住んで居る人の苗字になった。
地名と苗字は密接な関係があるのであるが、職業上の屋号から来た苗字も多い。
もともと、江戸時代までは武士を除いて一般には苗字を称することは禁じられていた。平民は原則として名字は許されず、名字を持つのは貴族や士族だけであった。
いま手元に江戸末期の私の現住地の「かまど帳」(今の戸籍)の写しを持っているが、それを見ても足軽、家来以外の八百屋や大工さんには苗字がなく、単に野次さん、喜多さんというような名前だけである。そればかりか、おカミさんは、その名前すら載っていない、単に「女房、何歳」とだけ記載されているだけである。
(*でも、子供は名前が載っているのが不思議といえば不思議・・)
いかに男尊女卑、士農工商の別が厳しかったかが分かる、というものだ。
現在、日本の苗字は20万ほどもあるそうだが、自分の苗字や名前を好きな人はあまり居ないようだ。前記のように、苗字は住でいる土地に由来するものが多いが、私自身の苗字を調べてみたら、なんと、むかしむかし、北アルプスの山中に同じ苗字の城主がいた!・・
まさか、その一族というわけにはないだろうが、それでも「千葉さん」などは、遠い昔、関東の千葉から九州に移封された一族の子孫だから、あんがい、紫蘭も山奥の山賊の一味なのかも知れない。(と、自惚れ?てみるのも一興である。)
ちなみにシランの苗字は全国に2万4千名ほどだった。あまり多い苗字ではなさそうだが、また特に珍しい方でもない。 まずは「中庸は徳の至れるところなり・・」と言ったところか。。
そんな庶民にも明治八年二月二十三日に「苗字必称令」が出て、みんな苗字を付けねばならなくなった。だから、文字を知らない者たちは、こぞって学問のある和尚さんたちに苗字を付けてもらったり、職業の屋号をそのまま苗字にしたものも多い。
長崎県の平戸市では「蛭子屋・えびすや」「恵比寿屋」「三徳屋」「鶴屋」「佐野屋」などの苗字がある。江戸時代には旅館などをしていたのだろう。
その他、「油屋」「網屋」「掛屋(両替屋)」「盃屋」「俵屋」「などがあるが、これも職業から来たに違いない。また出身地の名前をとって、「石見屋・いわみや」「伊賀屋」「唐津屋」「紀伊国屋」などの苗字がある。 不思議なことに、この平戸では寛政四年の平戸の町の見取り図に、これらの町人の(苗字)が記されていることである。
丸屋治ェ門 問屋
網屋和五郎 酒屋
油屋又五郎 魚屋
俵屋磯吉 米、ミソ、醤油販売
紀伊国屋久平 問屋
橋口京兵衛 八百屋
米原善五郎 豆腐、うどん屋
平戸は昔から大陸貿易の拠点として発展した街で隠れキリシタンでも有名だが、sょ卯任意苗字がついているとは、何か特別の理由があったに違いない。
(ちなみに我が家の旧宅が戦時中に家屋の疎開のために解体される時、階段の羽目板に「肥前屋ご主人殿」と宛名書きしたハガキの礼状が、市松模様にペタぺタ貼ってあるのを見つけた。父が生前に買い取った建物だが、建坪120坪もあったので、あるいはこの建物は江戸時代から明治の頃には宿屋ではなかったかと思っている。)
新聞、テレビを見ていて、先日から気になった苗字があった。
小鑓(こやり)さん、車古(しゃこ)さん、五箇(ごご)さん、物袋(もって)さん、七五三掛(しめい、しめかけ)さん。。などなど。
何となくこんなに名前が目につく所をみると、長々と、珍名奇姓を書いているうちに、習い性となったのかもしれない。
そのうち夢にまで出てきたら大変だ。ボケないうちにこんなラチもない無駄話はここらで止めておいた方が無難なようである。 では、この辺で下手な鉄砲も打ち止めにしようか。。
「奇姓珍名録」 おわり
物好き年寄りのつまらぬ記事のために長々とお付き合い頂き、皆さんにも大変ご迷惑をおかけしました。 ほんとに有難うございました。
頓首再拝 和紙屋紫蘭 m(__)m
少年老い易く 学成り難し
一寸の光陰 軽んずべからず
未だ覚めず 池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢
階前の梧葉(ごよう) すでに秋声
朱熹・「偶成」