(87) 「十二月八日」
今日は12月8日、日米開戦・真珠湾攻撃の日だが、世間ではもうすっかり忘れられているようだ。
今朝は12時就寝で5時にトイレに起きた後、朝の8時までグッスリと寝過ごしてしまった。 ぬくぬくと電気毛布にくるまって朝寝をむさぼるなど、とんでもない!! 昔の中学生なら、危うく配属将校にぶん殴られるところだった。。
戦時中は毎年この12月8日には「大正奉戴日」として梅干しだけの日の丸弁当、中学生はゲートル巻いて、鉄砲かついで4列縦隊の分列行進があり、護国神社(昔は招魂社と言っていた)に参拝、捧げ銃(つつ)の敬礼をし、あとは鍛錬のための強行軍という一日だった。
今は開戦の日だと言っても、新聞、テレビ、まして 掲示板の書き込みもほとんど無い。何と言ってももう70年も前の出来事だから当然と言えば当然だろう。
しかし、現実に真珠湾攻撃と言う衝撃的な出来事を体験した少年にとっては、12月8日の開戦の驚きと興奮は生涯忘れる事が出来ない一日だった。
しかし、現実に真珠湾攻撃と言う衝撃的な出来事を体験した少年にとっては、12月8日の開戦の驚きと興奮は生涯忘れる事が出来ない一日だった。
考えてもご覧なさい、いま現在、明日の朝、目が覚めて穏やかな朝を迎えたと思ったら、突然に「戦争が始まった」と、テレビにニュースが流れたとしたら。。
皆さん、どうします?
皆さん、どうします?
まして、真珠湾攻撃を受けた方のハワイの市民の驚きはどうだったでしょうか。。
当時、米市民は米国の演習と思い面白がっていたところ、突然火柱が上がったので驚愕したという。これはハワイ沖の日本航空母艦から飛来したものと思われ、真に決決死的奇襲であったことが窺われる。これに対し米・ホワイトハウスも損害を確認、三千人の死傷者の半数は死者であり、飛行機多数(外電によれば300機)を地上撃破されたと発表。
「真珠湾奇襲攻撃」は米国民同様、日本国民にとっても寝耳に水の大事件だった。
確かに開戦時の国民は熱狂していた。ABCD包囲網をはじめ、外国が寄ってたかって日本をいじめているという口惜しい思いから、国民は真珠湾攻撃に快哉を叫んだ。 みんな愛国主義だったのだ。 国民のみならず、世間知らずの純真な少年の身ではなおさら興奮せざるを得なかった。
シランはまだ旧制中学を出たばかり、浪人中の17歳の少年だった。
当日の日記を見てみると、この日は今日と同じ月曜日で、初冬の明るい日本晴れが広がっていた。
当日の日記を見てみると、この日は今日と同じ月曜日で、初冬の明るい日本晴れが広がっていた。
○ 「昭和16年12月8日」
日米遂に開戦!
本日午前6時、大本営陸海軍部は、「帝国陸海軍は今八日未明、西太平洋において米英軍と戦争状態に入れり」と発表、さらに大本営海軍部は「帝国海軍は本八日未明ハワイ方面の米国艦隊並びに航空兵力に対して決死的大空襲を敢行せり」と発表した。
本日午前6時、大本営陸海軍部は、「帝国陸海軍は今八日未明、西太平洋において米英軍と戦争状態に入れり」と発表、さらに大本営海軍部は「帝国海軍は本八日未明ハワイ方面の米国艦隊並びに航空兵力に対して決死的大空襲を敢行せり」と発表した。
ラジオは今、この臨時ニュースと軍歌ばかり放送している。
いまや超、超非常時がやってきた。
日本民族一億が一つになって英米を討つのだ。 神よ!日本に幸あれ!
今日は日本晴れである。ラジオからは軍歌の「軍艦マーチ」や「勇敢なる水兵」が聞こえてくる。
いまや超、超非常時がやってきた。
日本民族一億が一つになって英米を討つのだ。 神よ!日本に幸あれ!
今日は日本晴れである。ラジオからは軍歌の「軍艦マーチ」や「勇敢なる水兵」が聞こえてくる。
♪護るも攻めるも くろがねの
浮かべる城ぞ 頼みなる・・。。
今や日本死活の戦いが始まった。 この戦いに勝てば日本は世界第一の強国となり、敗れれば世界の二流、三流の国となる。いや、その独立さえ危ぶまれるのだ。!
日本は勝つ!断じて勝つ!この意気を見よ!
・・・
(興奮斗緊張のあまり手がふるえてなかなか筆が進まない。。)と書いているところを見ると、17歳の軍国少年は、はなはだ興奮気味で、なにも手につかない状態である。
その他、日記には興奮のあまり各地の戦果などさまざまに書き連ねているが、おそらく新聞記事やラジオ発表の書き写しであろう。
・・・
(興奮斗緊張のあまり手がふるえてなかなか筆が進まない。。)と書いているところを見ると、17歳の軍国少年は、はなはだ興奮気味で、なにも手につかない状態である。
その他、日記には興奮のあまり各地の戦果などさまざまに書き連ねているが、おそらく新聞記事やラジオ発表の書き写しであろう。
いずれにしても、時移り人変わって、すでに70年の歳月を過ぎては往時茫茫として煙霧のごとし。。
時の流れとともに戦争の記憶が消えていくのも、詮無き事と言わねばなるまい。
驚いたことにその日から「進め!一億火の玉だ!」という歌がラジオからひっきりなしに聞こえてきたことだ。
♪行くぞ 行こうぞ ガンとやるぞ~
大和魂伊達じゃない~
と、初めから終わりまで絶叫型で、なんともいやはや。。
これが歌か、と思われるような軍歌でした。
おそらく、戦争が始まってすぐ、慌てて一夜漬けで泥縄的に作り上げたのかもしれません。 それとも大東亜翼賛会の選曲だからこの日の開戦が予定されていて、情報局であらかじめ用意されていたのかも。。
「進め一億火の玉だ」 作詞、作曲 大政翼賛会
♪ 行くぞ行こうぞ ガンとやるぞ
大和魂 だてじゃない
見たか知ったか 底力
こらえこらえた一億の
かんにん袋の 緒が切れた
大和魂 だてじゃない
見たか知ったか 底力
こらえこらえた一億の
かんにん袋の 緒が切れた
そうだ一億 火の玉だ
一人一人が決死隊
ガッチリ組んだ この胸で
守る銃後は 鉄壁だ
何がなんでも やり抜くぞ
一人一人が決死隊
ガッチリ組んだ この胸で
守る銃後は 鉄壁だ
何がなんでも やり抜くぞ