(10) 苗字の「五大姓」
もともと、日本で位の高い姓氏の代表的なものは昔から「源平藤橘・ゲンペイトウキツ」と言って源氏、平氏、藤原氏、橘氏の4氏であったが、これは歴史の表面上の権力者の姓氏の分別で、別の側面から苗字を大きく分けてみると、「五大姓」に分けられる。
海族と山族・田族・それに神官と武士の五つである。
①海族
日本の周りは海だらけである。当然海に関した苗字が多い。
海人アマ・渥美アツミ・安曇アズミ・熱海アタミ・磯イソ・島・渡辺などである。
島田、島本、島中、田島、中島、副島、福島、上島、大島、小島、・・・
②山族
一方、日本は山国だ。だから山に関する苗字も多い。山族には山本、山中・山下をはじめ、山に多い(木)や(森)がつく苗字が出来た。木下・紀伊・木田・などから森、森田、森永、森山、さらに林、林田、小林なども、山族と言えるだろう。
友達にも、山口、山崎、山中、中山、山田など山の付くものが多い。
(北海道・芦別山、屏風岩)
iいつか、我が家の名字の由来を調べていたら、槍ヶ岳山麓に同名の地名があった。古いお城もあったようである。
我が家のルーツももともとは山族で、あるいは城主一族の流れ者かも知れん・・などとと、他愛もない妄想をたくましくしている。
③田族
次の「田族」は言うまでもない。 日本は農耕民族だから多いのは当然だ。
田や畑のつく苗字をはじめ、原や村が付くのもみんな田族で、日本の姓氏では一番多い。先日のゴルフのパートナーも上田、山田、田中の三名だった。 それだけ我が故郷には農村が多いのだろう。
田の付く苗字は日本人の百人のうち20人もいるそうで、まさに日本の顔そのものである。 田族の中でも最も多いのは田中と中村だそうだ。
田中さんは,田の中に頑張って朝起きるとすぐに田を耕し、夜寝るまで仕事をする。そこで、田の中に小屋を作って家にも戻らないので、田中さん、中田さんという名前ができた。
その小屋を田舎(でんしゃ)といい、現在も農村のことを田舎(いなか)というのもその名残りである。だから田中さんは田づくりの名人であり、田中の地名は全国に約三千もあり、また、田中の人口は150万人もあるとか。。身の回りを見ても、田の付く友人知己は多い。我が家の母方の姓も内田だった。もちろん農家である。
田中、吉田、上田、内田、岡田、森田、山田、徳田、中田、武田、田口、田崎、
田代、田村、戸田、幸田,香田、好田、田辺、・・・と、数えれば切りがない。
村の付く苗字も多いが、これも田族に数えられるだろう。
さっき、テレビを見ていたら、男子フィギァスケートの日本選手の中に「無良」さんという選手が居たし、「田中刑事」さんも居た。中国の選手に「王一」さんもいたが、これはワンワンさんではなく、オウイチさんとフリガナがあった。中国語ならオウイさんだろうに。。ソレニシテモ、羽生君は不慮の怪我にもめげず、よく頑張った。あっぱれというほかはない、「倒れてのち止む」のまさに日本男子の面目躍如というべきか。。
④「神官」
「神官」の代表的なのは高橋と鈴木、斎藤の三つである。
斎藤は神官に仕える斎宮(いつきのみや)のトップである藤原氏のことで、高橋氏は古代に膳部(かしわでべ)として神や朝廷の料理をつかさどった一族である。
鈴木氏は神と農民を取り次ぐ神主で、田んぼの中に建てる稲積の中心に立てる棒の事を寿寿木(スズキ)というが、この棒を伝って稲作の神様が稲の中に降りてきて,豊作を招くのだという。
神官出の鈴木、斎藤、高橋の三氏は今でも十大姓の中に入るほど多いが、それだけ昔からもっとも尊敬を受けていた氏族なのである。
⑤武士
最後の武士の中心だったのは、平安時代に「この世をば我が世とぞ思う望月の・・」と、わが世の春を謳歌した藤原道長の一族で、上は摂政関白家となり下は地方に下って豪族となった。鎮守府将軍・藤原秀郷は関東一円に勢力を広げ、また藤原利仁将軍は北陸一帯に子孫を残して栄えた。
だから佐藤、加藤、伊藤など藤のつく苗字の多くは、貴族の藤原氏の一部が地方に下って武士化したものである。
現在、佐藤姓は210万、伊藤が60万、斎藤、加藤は20万、後藤が15万ほど居るそうだ。とにかく藤のつく苗字だけでも500万を超えるというから、武士族の勢力は強い。友達にも加藤、斎藤、佐藤、武藤、後藤、近藤クンなどが居る。
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*おかげさまで昨日、家内の手術の抜糸に行ってきました。患部はきれいにつながっていて、先生から早期に腫瘍を見つけてもらったので、15針くらいで済んだと、ほめられました。
診察のすぐ前の学生風の若い患者さんが診察後、入院手続きの書類を持って出てきました。 同じように手術するんでしょうか・・まだまだ若いのに・・お気の毒でした。。
でも、これからまた半年に一度は検査が必要です。。