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宿昔星雲の志、蹉跎たり白髪の年。。 一寸の光陰を惜しみ、老骨に鞭打って、よたよたブログの継続に努めたいと思っています。    ブログ開設以来満15年、みなさんのおかげで来訪者も51万名を越えました。 1月3日で95歳になり、またひとつの峠を乗り越えた思いです。今年からブログ名も「95歳ブログ」へと進級しましたが、あと乗り越えるのは果たして幾山河か。。  みなさん、これからもよろしくお願い致します。 === タイトル ===

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  • 10/22/14--02:13: (200)チャノキ
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          (200)  「チャノキ・茶の木」
     
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       「チヤノキ」は中国が原産と言われているツバキ科の常緑樹で、花は晩秋から初頭にかけて、芳香を放って、ややうつむき加減にいっぱい咲いています。
     「茶の花」は小さくて直径2,5センチくらいの丸っこい白い五弁の花で、花びらよりも金色のたくさんのおしべが極端に目立ちます。
     
     
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     「茶の木」は栄西禅師が12世紀ごろ宋から種を持ち帰り、佐賀の嬉野や京都の宇治に植栽したのが始まりとされています。 なお、日本で最初に栽培に成功したのは、佐賀県の背振千坊で、1191年栄西禅師が中国から持ち帰った種をまいたものです。(宇治にもあるそうです。)
     
               茶の花に ほのとゆくての 夕がすみ    飯田竜太 
     
     
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       茶の(樹高)で世界一は中国四川省の大茶樹で、高さ33、5m、(直径)の世界一は同じく中国の雲南省の大茶樹で直径が1,38mもあるそうです。
     また日本一は鹿児島牧園町の樹高4,5m、ついで佐賀嬉野の樹高4m・樹齢がなんと345年にもなります。
     
     
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      *冷凍しておいた「栗まんじゅう」をおやつに食べようとしたら、うっかり500℃でチンしてしまった。。
       アッチチチ!!白餡がガチガチのボロボロ・・・これじゃーまるで「固まんじゅう」だぁ。。(^^::)
       さて今度は失敗しないように、夕食の支度をしようか。。
     
     
     

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        (201) 木の実いろいろ
     
         
       秋も闌けてくると、野にも山にも赤や黄色の木の実が目立ちます。
     
       ○ 「ピラカンサ」
     
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     「トキワサンザシ」は一般に「ピラカンサ」と呼ばれていますが、トキワサンザシやタチバナモドキなどの総称が「ピラカンサ」だそうです。
     
     トキワサンザシは中国南部の原産で、明治中期に渡来しました。 初夏の花よりも、秋に鈴なりにいっぱい生る赤い実のほうが有名です。  葉のもとに、トゲがありますのでご用心・・
     
     
      ○「クサギの実」                     
     
     近づくと臭いので「クサギ」という名がありますが、それほど臭いとは思えません。
      プロペラ状の花も、黒い実の時期もきれいですし。。
     
         「羽子板の羽根の玉のように黒いクサギの実」
     
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     ↓ ○ 「真っ赤なガマズミの実」
     
     ガマズミはスイカズラ科の落葉低木ですが、10月下旬には美しい赤い実が熟して、食べられるようになります。また果実酒にすると見事な朱色の酒が出来ます。

     
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      ↓ ○ 「カラタチの黄色い金の玉」
     
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                                         (カラタチの落果)
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            「カラタチの花」    北原白秋
     
       
             からたちの花が咲いたよ
             白い白い花が 咲いたよ
             からたちも 秋はみのるよ
             まろいまろい 金のたまだよ  
     
     
      ↓ 「風船唐綿のふわふわの実」
     金色ではありませんが、「風船唐綿」の実も金の玉に似ています。 (^_-)-☆
     中には綿毛にくるまれた種が入っていて、タンポポのように風に乗ってどこかえ飛んでいきます。
     
                                  (風船唐綿の花と実)
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     ↓  「カリンの実」
      カラタチの実を大きくしたようなのが、カリンの実です。
      みかんぐらいかなぁ、淡紅色のまん丸い形をしています。
      
      カリンはバラ科の落葉高木ですが、黄色い実はカリン酒になります。
    語呂合わせで「金は貸すが借りない」という縁起をかついで、「庭の表にカリンを植え、裏にはカシノキを植えると商売繁盛になる」と言われています。

     
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     ○ 「どんぐり」                 
     
          木の実降る 石に座れば 雲去来     杉田久女
     
     
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      どんぐりとは厳密にはクヌギの実のことですが、一般にはブナ科ナラ属の木々の実を総称して、団栗(どんぐり)と言います。団栗には一年生と2年生があります。
     
      小ナラ、水ナラ、アラガシなどはその年の秋に熟す一年生で、クヌギやアベマキなどは年を越して2年で大きく成長する2年生の団栗です。2年生に比べて一年生は俗にいう団栗の袴・ハカマが貧弱です。
    縄文時代の遺跡のカメから炭化した団栗が発見されているので、当時は食用にしたので しょうが、渋みが強いので食べ物としては普及しませんでした。
     
     
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           老いの手を ひらけばありし 木の実かな     後藤夜半 
     
     
      *老いの手にしては柔らかそうですね。
         孫娘の手のてのひらです。(阿蘇で・・)
     

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  • 10/25/14--05:36: (84)お茶で乾杯
  •        (84) 「退院のご報告」 

      こんにちは。今日は真っ青な秋空が広がって、いいお天気になりました。
     皆さんに大変ご心配いただきましたが、おかげさまで家内が急に退院することになり、今日は早起きして電車で博多まで。土日は電車もバスの時刻表が違うので慌てました。病院も大戸を下ろして非常口からの出入り、懐かしい?病院ともしばしのお別れです。と言ってもまだ抜糸が済んでいないので、一週間後に外来で抜糸することになりました。
     
       退院後、娘と3人で博多駅の阪急ビル9階にある「加賀屋」で食事して帰りました。
     ランチですが、さすが加賀百万石の料理だけあって、淡泊で高尚な味がしました。器も九谷焼風だったり、輪島塗風だったり、なかなか雰囲気があります。 退院を祝ってっそりとお茶で乾杯! 
      
     さすが能登半島・和倉温泉の日本一のホテル「加賀屋」の経営だけあって、ランチでも3千円、夜は8千円からだそうで、お金の方もなかなか一流です。@@/
     
     
     家に帰って昼寝を1時間、やっと人心地が付きました。
     これで3週間の独身生活ともお別れです。
      やれやれ。。
     
         くどくどと、わがことばかり書きました、申し訳ありません・・<(_ _)> ・・    紫蘭
     
           (お茶で乾杯!!)
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  • 10/26/14--01:30: (85)カユイ話
  •   (85) 「ちょっとカユイ話」 
     
      全国の方言にはなかなか奇抜なものがあるが、いつかテレビで「チンチンカク」というのを聞いて驚いた。なんでも、富山弁で正座する、という意味だそうで、(ちんちんかかれんか)は(正座しなさい)だ、そうだ。
     
     たとえば「おちんちんかかんと、こっちでひろがらっしゃい」!?とか「おちんちんかかんで、崩してもらってかまわんちゃ・・」という風に使うそうだ。(正座してそんなにかしこまらんで、膝をくずしてお楽にどうぞ・・)という意味だろう。
     
     しかし、「ちんちん掻いて・・」、などと言われたら、我々他国者はつい顔を赤らめてどうしてよいか戸惑ってしまうだろう。 (いくらかゆくても、まさか人前でガリガリとはネ。。。( ^_^*)
     
                  「富山からは白銀に輝く立山連峰が望める」
     
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     ちなみに「ちんちんぼんぼ」とは肩車のそうである。また「滋賀、鳥取の方言で、ちんちんと言えば、「親友」とか「大の仲良し」という意味だそうだ。たとえば、「ほーやろ。やっぱ、あの二人は、ちんちんやろ(そうだろう。やはり、あの二人は大の仲良しだろう)などである。
     「ほうか・・」「ほうやろう」というのは鳥取の方言だろう。学生時代に鳥取出身のがよく「ほうか・・」と言っていた。標準語では「そうか。。」「そうだろ」という意味である。・・・
     
          
     ところで、カユイといえば昔はインキンタムシがかゆかった。
    ちょっと横道にそれるが、少しばかり「カユイ話」をしてみよう。
     
     中学で友達のは、学徒出陣で騎兵隊に入って馬ばかり乗っていた。 馬に乗って駆け回ると如何にも涼しそうだが、地上の演習以上に汗を掻く。その汗が体を伝って股間に集中し、やがて長靴の中までビッショリと濡れた状態になる。毎日、毎日この繰り返しなので水虫とインキンタムシは騎兵にとって避ける事が出来ない皮膚病であった。
     
     かゆいので掻くと気持ちがいいが、そのあとはヒリヒリと痛い。かゆいのと痛いとの悪循環である。と言って軍隊の医務室に行く暇もないし、薬も手に入らない。
     やむなく爆破演習の時の黄色火薬を持ち出して塗ってみることにした。
     黄色火薬は石炭酸に硫酸と硝酸を作用させて作ったものだと聞いていたので、タムシ菌が死ぬのではないかと考えたのである。
     
     厩(うまや)当番の時がチャンスである。誰も居ない時を見計らって馬糧の上にまたがって腰を下ろして黄色火薬の溶液を塗ってみた。
     「いた~い!飛びあがるような激痛が全身に走った。恰もそこら一面が火の海になったようである。彼は持っていた馬術教範(*軍隊の教科書)を持って下腹部を必死に扇いだ。無我夢中であった。
     
     その時である。コツコツと軍靴の音がして目の前に週番士官がやってきた。彼は教範で前を隠しながら「K見習士官、厩当番服務中、異常なし」と報告すると、思いがけぬ「週番士官」の声が返ってきた。
     「ご苦労!・・おお、勉強しとるな。 よーし、しっかり頑張りたまえ」。。

     前を隠していた馬術教範を見て、勉強していると勘違いしたのだろう。。
      明け方「厩当番」は無事終わり、彼のインキンタムシも数日のうちに快癒したそうである。彼が作った一句がある。
     
      当時の彼の一句がある。 かゆみもなくなって、すっきりしたのだろう。
         
           
       駒はせて 飛ぶや萩栗 女郎花 
     
     
     
     *皆さん、今回はいろいろとご心配いただき有難うございました。
       おかげさまで、久しぶりに我が家に戻って家内ものびのびしております。
       まだ、なんでもそろそろですが。。
        
     

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  • 10/27/14--02:37: ①苗字もいろいろ
  •      「奇姓珍名録」 
     
     ① 苗字もいろいろ
     
     「所変われば品変わる」で方言もなかなか面白いが、世の中には珍しい苗字があり、また名前の方にも珍名がある。
     
     テレビや新聞を見ていると、実に色んな苗字の人が出てくる。外科の先生で、「前さん」という先生も居たし、看護師さんにも「内」さんという可愛いメッチェンもいた。前さんや内さんが居るから、後ろさんや、外さんが居ても良いはずだが、残念ながら今までお目にかかったことはない、ただ「中」さんという知人が一人居た。
     
     簡単な名前では「一」さんという人もいるが、この一には読み方が三つある。イチ、ハジメ、カズ、。。だから「一和枝」さんは、カズカズエさんと読むのである。しかし、一の字は読みづらいし、間違えやすいので、「市」「井地」「伊智」などに改姓する人もあるそうである。
     
     「一」さんが居るからでもないが、「十」という苗字もある。もちろん「ジュウ」さんだが、「タテヨコ」さんと読むこともある。一は苗字にもあるが、名前にもよく使う。新歩一さんは「シンブイチ」とか「シブイチ」と読むそうだ。シブイチといえば、「四分の一」が同じくシブイチさんで、これは地名にはあるが苗字にはないようだ。四が死につながるので、縁起を担ぐのかもしれない。たいていは「渋市」とか「新武」「新分」などに変化しているようである。
     
     「四分の一」があるからには「二分の一」とか「三分の一」もあるに違いない。地名では福井県に「三分の一・サブイチ」栃木県に「五分の一・ゴブイチ」があり、苗字にも三分の一(サンブイチ)さんや五分の一(ゴブイチ)さんが居る。
     
     最近気づいた珍しい苗字では、盛、当麻(たいま)通事(とうじ)塹(ホリ)さんなどが目についた。盛(さかり)さんは、別に「十八女」と書いてもサカリさんと読む。女性も十八になれば女盛りである。「十六女」はイロツキと言い、女の色気が出てくるころだからだろうか。。

      当麻(たいま)は当麻寺が奈良県にあるし、北海道にも「当麻」の地名があるから、苗字になっても不思議ではないが、通事(とうじ)とか塹(ホリ)とかいう苗字が出てくると、ちょっと戸惑ってしまう。第一読み方が分らない。土を斬るのだから「堀」には違いないが、何と難しい読み方なんだろう。
     
      数日前には若い人で「葉梨」さんという珍しい苗字の人がテレビに出ていた。
    ふと、これは「話のタネになるぞ」と思って、「奇姓珍名録」と題して何のタシにもならないつまらぬ駄文を書くことにした。 
     いつかブログに「姓氏考」という記事を書いたが、今度は苗字だけでなく名前も含めて「姓氏考」の続きを考えてみた。我ながらなんともヒマな物好きジイさんではある。
     
        「同窓会のついでに、奈良の当麻寺を訪れたことがある」
     
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     *明日は久しぶりにゴルフです。
       お天気をよさそうだし、骨休めに精一杯 楽しんできましょう。
     
     

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         「珍名禄」 ②   長い名前・短い名前
     
      一さんとか、十さん、とか一字だけの短い苗字は案外多い。石さんとか兵さん、梅さん、秋さん、新さんに時さん、麓さんなどさまざまだが、藤さんという苗字は、名な歌手をはじめ、とても多くてン本には1万数千家もあるそうだ。
     
     この「藤」は昔から日本に特に多い植物で、根が良く張り、ほかの植物に絡みついてよく茂るし、長命でもあり、めでたい植物であるとされて来た。
     そのために、藤木、藤野、藤原、藤村などの苗字が生まれたが、一方、平安時代の名門・藤原氏一族の略称だとも考えられている。
     
     名前の長さも様々だ。一一(カズハジメ)さんのように極端に短い名前とはとは対照的にあきれるくらい長い苗字もある。昔のサムライの名前に「渡辺七五三吉五郎次郎三郎衛門」とか「古屋敷後部屋新九郎左衛門丞」などという舌がもつれそうな名前もあるそうだから、世の中は広いものだ。
     
     佐賀近郊の村落にもこんな民話が残っている。
     
      むかし、むかし。。
     ある所に、やっと一人息子が出来たが、その隣の家では子供が八人も九人も出来た。ひとり息子の家では、こりゃどがんでん(どうでも)長生きさせんばならんと、いろいろ考えた。。
     
     とにかく長生きさせるには名前も長い方がよかろうと・・
    「春の日に鶴の首がぬんだり(のびたり)そったり、あっくりこっくり長左エ門」という長い名前を付けた。
     
     ところが、隣の家では、「うちは子供がこぎゃん(こんなに)何人でんおっけん(何人でもいるから)どぎゃんでん、どうあろきゃー(子供がどうなってもどうでもいい)・・と言うことで、「ちょろい」という名前をつけた。
     
     ある日のこと、一人息子の方が川に落ちてしまった。そばにいた人が「春の日に鶴の首がぬんだり(のびたり)そったり、あっくりこっくり長左エ門」が川ン中にひゃ~ったぁ(入ったぁ!)」と叫んだが、名前を言う時間があまり長かったので死んでしまった。
     
     ところがその隣の「ちょろい」が落ちたときは、人が「チョロイ」が川にひゃぁこんだぁ(入り込んだ)というと、すぐに人々が飛んで来て、引き上げてくれたので助かった。
          そがん話ばんた。。(そういう話ですばい) 
                                  (原善吉さんの話)
     
     民話はこんな他愛もない話が多いですが、落語でも「ジュゲムジュゲム・・)という長い名前のお笑いがあります。。
     
     
       「寿限無 寿限無 五劫(じゅげむじゅげむごこう)のすり切れず
        海砂利 水魚(かいしゃりすいぎょ)の
        水行末(すいぎょうまつ) 雲来末(うんらいまつ)風来末(ふうらいまつ)
        食う寝るところに  住む所
        ヤブラコウージの  ブラコージ
        パイポパイポ パイポのシューリンガン
        シューリンガンの  グーリンダイ
        グーリンダイの  ポンポコピー
        ポンポコピーの  ポンポコナーの
        長久命の 長助さん」
     
     
         こりゃ、なんのこっちゃ?? (~~*)    しらん

        
     
               (秋の日影)
     
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     *昨日は絶好のゴルフ日和、思いがけずドライバーもスプーンも真っ直ぐに良く飛んでくれました。    久しぶりに溜飲が下がる思い、意気揚々と引き揚げました。
        また行こうかなぁ。。  
     
      今夜は、バルーン大会の前夜祭で大通りはLEDのイルミネーションでにぎわっています。
     
     
     

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  • 10/30/14--01:30: ③寿限無の研究
  •       ③ 寿限無・ジュゲムの研究
     
      話が横道にそれたついでに、寿限無の研究をしてみましょう。
      寿限無の長い名前を漢字で書いてみると・・
     
         寿限無、寿限無
          五劫の 擦り切れ
         海砂利水魚の
         水行末 雲来末 風来末
          食う寝る処に 住む処
          藪ら柑子の 藪柑子
         パイポパイポ パイポのシューリンガン
          シューリンガンの グーリンダイ
           グーリンダイの ポンポコピーの ポンポコナーの
         長久命の 長助
     
     
        ・・・ですが、これを少し解説してみると。。
     
     ○「寿限無・ジュゲムは限り無い長寿のこと。
     
     ○「五劫・ゴコウの擦り切れず」
     落語ではすり切れ。というが、文意からすると「すり切れず」が本当らしい。
     
     一劫は天女が水浴びをするとき、その泉の岩が少しづつすり切れるが、それを繰り返して岩が無くなるのまでの時間が一劫で、その期間は40億年だそうです。それの五倍ですから、つまりそれほど長い時間、いわば殆ど永久に近い時間のことです。 熟語にも「未来永劫の愛」とか言いますね。

     
     
    ○「海砂利水魚
    カイジャリスイギョ
     は、海の砂利や水の中の魚のように数限りない事のたとえ。
     
    ○「水行末・スイギョウマツ雲来末・ウンライマツ風来末・フウライマツ
      は、大自然の水・雲・風の行き来には果てがない事のたとえ。
     
    ○ 「食う寝る処に住む処」
      は、衣食住の食と住まいに困らずに生きて行ける事を祈ったもの。
     
     ○「藪ら柑子・ヤブラコウジ
    「やぶらこうじ」は藪柑子(やぶこうじ)のことで、生命力豊かな縁
    起物の木の名前です。 「ぶらこうじ」はやぶこうじがぶらぶらなり下がっている様子なのでしょうか。。
     
     ○「パイポ、シューリンガン、グーリンダイ、ポンポコピー、ポンポコナー」
     は、いずれも昔の唐の国にあった架空の国「パイポ王国」の歴代の王様の名前で、みんな長生きしたという架空の話があります。
     
     また、「グーリンダイ」「シューリンガン」のお妃さまで、あとの2名が子供(娘)達だ、という説もあります。
     
     ○「長久命・チョウキュウメイ
      は、文字通り長く久しい命のことです。。
      古文の「天長地久」から来たのかも知れませんね。
     この天地地久のめでたい言葉から、戦前は天皇の誕生日を「天長節」、皇后の誕生日を「地久節」と呼んでいました。
     
      戦時中にシランも「武運長久」を祈願して友人たちと石清水八幡宮に詣でたことがあります。
     幸い祈願した友達はみんな無事生還しました。
     いや、一人だけ北京で戦病死したかな?
     
     
        以上、覚えてもなんのタシにもならない、つまらぬ雑学でした。(^^:)
     
     *今日から、インターナショナルバルーン大会が佐賀の嘉瀬川河川敷で始まりました。
    世界15ヶ国から100機ほどのバルーンが参加して5日間にわたり各種の選手権競技が行われます。
    来年は佐賀で世界選手権が開かれるので、今年は外国からの参加も多いとか。。
     
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     20年来、毎年ビデオやカメラ持参で出かけていましたが、今年は何時もより半時間早く風の出ない内にバルーンが飛び立つそうなので、出かけるのを断念しました。朝日が出ていないと、カメラ写りが悪いし、せっかくのバルーンも青空に映えません。
     
     とかなんとか言っちゃって、この寒いのに早起きして朝6時から家を出るのが辛いのが本音、やはり年ですね、それに膝が痛くなったら4日のゴルフにも差し支えるし。。


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  • 10/31/14--02:08: ④純情歌集
  •       ④ 「純情歌集」

     
     珍名録からどんどん横道にそれて行くようですが、話のついでなのでご容赦を…
     

     「寿限無・じゅげむ」は落語でよく使われますが、落語家と言えば終戦直後の荒んだ世の中に人気を博した若手落語家がいました。 「三遊亭歌笑」です。
     三代目「三遊亭歌笑」は戦後のホンの数年間、「歌笑純情詩集」と云う七五調の語りで「笑いの水爆」と云われたほど一世を風靡した落語家でした。
     
     当時はまだテレビのない時代、ラジオから流れる軽妙な歌笑の七五調の迷文句にみんなラジオにくぎ付けになりました。歌笑が出演する寄席には大勢の客が押し寄せて、いわゆる「歌笑ブーム」が起こりました。作家の坂口安吾はそれを「歌笑文化」と称していました。
     
     しかし、人気絶頂だった昭和25年(1950年)5月30日、ジャーナリストの大宅壮一さんとの対談を終えた帰りに、銀座七丁目の松坂屋前の道路を横断中に、進駐軍のジープに撥ねられて亡くなったのです。まだ32歳の若さでした。事故の原因は、歌笑の右目が極度の斜視だったために、ジープが良く見えなかったからではないかと云われています。
     
     「歌笑純情歌集」より  三代目・三遊亭歌笑 (1917 - 1950)
     
       エー、お笑いを一席。。。
     
       古(いにしえ)よりの言の葉(ことのは)に
       山紫水明の地、必ず偉人を生じるとかや、
       アア、されど我 いまだ偉人の部類に属することかなわず。
       若き落語家歌笑をはぐくみし故郷(ふるさと)は、
       南奥多磨絶景の地なり ・・・ 
     
     
    ◆  「歌笑純情詩集~ 豚の夫婦」
     
       ブタの夫婦がのんびりと 畑で昼寝をしてたとさ
       夫のブタが目をさまし 女房のブタに言ったとさ

       いま見た夢はこわい夢
       オレとおまえが殺されて こんがり カツにあげられて
       みんなに食われた 夢を見た

       女房のブタが驚いて あたりのようすを みるならば
        いままで寝ていた その場所は
        キャベツ畑であったとさ
     
     
     話は変わりますが、「ブタの夫婦」でふと思い出しました。
    戦時中にこんな替え歌が子供の間で流行りました。高峰三枝子の「湖畔の宿」の替え歌ですが。。
     
       「豚の遺骨」
     
      ♪ きのう生れた豚の子が 蜂に刺されて名誉の戦死
         豚の遺骨はいつかえる 四月八日の朝かえる
         豚のかあさん 悲しかろ
     
       ♪ きのう生れた蜂の子が 豚に踏まれて名誉の戦死
          蜂の遺骨はいつかえる 四月八日の朝かえる
          蜂のかあさん 悲しかろ
     

     高峰三枝子の「湖畔の宿」は戦時中、軟弱な歌としてレコードが発売禁止になりました。しかし、誰が作ったのか「豚の遺骨」として、その替え歌が歌われていたのです。
     四月八日はお釈迦様の日、あるいは、ひそかな庶民の反戦歌だったのかも。。
     
     
        (キャラクターバルーン)  熊蜂クンの夫婦
     
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     * 昨日からバルーン大会が開かれていますが、今日はキッズデー、たくさんの子供たちがバルーンのそばに入って楽しんでいました。
     近くで見ると、ほんとにバルーンは大きいです。
     
      でも、明日からのお天気が心配。。
     
     

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         ⑤ 「痴楽の恋の山手線」

     「歌笑」が出たついでに、同じ爆笑王の「痴楽」についてすこし。。
     
     急死した「歌笑」のマネージャーは急遽、歌笑の代演として「柳亭痴楽」を抜擢しました。痴楽は、歌笑の十八番「純情詩集」によく似たネタを演じることにして、同じ「七・五調」の新作落語「痴楽綴方狂室」の「恋の山手線」を演じました。

     また、「破壞し尽くされた顔の持ち主」、「柳亭痴楽はいい男」 というキャッチフレーズも、変な顔をネタにした歌笑が「珍顔」で売っていたのとおんなじでした。
     顔をくしゃくしゃにして、独特の節回しで演ずる痴楽の十八番「恋の山手線」のさわりを、ここで一席。
     
       ・・・・・
     
       痴楽・綴り方教室 (恋の山手線)
     
    ♪柳亭痴楽は良い男、鶴田浩二や錦ノ助、それよりもっといい男…

     上野を後に池袋、走る電車は内回り、私は近頃外回り…
     痴楽つづり方狂室の始まり、始まり・・・
     
     彼女は綺麗なうぐいす芸者(鶯谷)、にっぽり(日暮里)笑ったそのえくぼ…
     田畑(田端)を売っても命がけ…我が胸の内、細々と(駒込)、
      愛のすがもへ(巣鴨)伝えたい…おおつかな(大塚)ビックリ、故郷を訪ね、
      彼女に会いに行けぶくろ(池袋)、いけば男がめじろ押し(目白)・・・
     たかたの婆や(高田馬場)新大久保のおじさん達の意見でも、
     しんじゅく(新宿)聞いてはいられない・・・

     夜よぎ(代々木)なったら家を出て、腹じゅく(原宿)減ったと、渋や顔(渋谷)
      彼女に会えればエビス顔(恵比寿)・・・
     親父が生きて目黒い内は(目黒)、私もいくらか豪胆だ(五反田)・・・
     おお先(大崎)真っ暗恋の鳥、彼女に贈るプレゼント・・・
     どんな品がわ(品川)良いのやら、魂ちいも(田町)驚くような、
      色よい返事をはま待つちょう(浜松町)・・・

     そんな事ばかりが心ばしで(新橋)、誰に悩みを言うらくちょう(有楽町)・・・
     思った私が素っ頓狂(東京)・・・

     何だかんだ(神田)の行き違い、彼女はとうに飽きはばら(秋葉原)・・・
     ホントにおかちな(御徒町)事ばかり・・・
     やまては(山手)は消えゆく 恋でした。
     
        ♪「痴楽つづり方狂室」  終わり・・・♪
     
     
           (戦後の風景/海老名駅)    昭和28年
     
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  • 11/01/14--19:35: ⑥痴楽の流行歌
  •     ⑥ 「痴楽の流行歌」
     
      痴楽は落語だけでなく、こんなへんちくりんな歌も歌っています。
      歌詞は面白いですが、あまり売れた模様ではありません。。
     
     
       《痴楽の流行歌》       「男なんてポポイのポイ」
     
        男なんて ポポイのポイ
        とは言うけれどアラ 私は娘
        若くて紳士で ハンサムで
        しびれるムードの 持ち主にゃ
        とっても弱いの とっても弱いの
         感じるのョ
     
           男なんて ポポイのポイ
           でも今夜のアラ 私は変よ
           ネオンがうるんで 見えるんだもん
           こんな晩には ベットの中で
           知らず知らずに 知らず知らずに
            泣けちゃうのョ
     
     
        四十の坂を 二つ三つ
        越しているのに 持ったが病
        エンピツなめなめ ラブレター
        いとしあの娘に 書き送りゃ
        お心うれしく 存じます
        今夜逢いましょう 銀座の柳
        柳数えて 七番目
        きっと必ず 待っててネ
        うれし悩まし このこの返事
        ぐっと抱きしめ ポロポロパラリ
        流す涙が バケツに五杯

     (流行歌) 痴楽の「落語家ぶし」
     
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       「エー お笑いを申し上げます」
     
          一、
           粋な真打ほど遠い
           せめてなりたや二つ目に
           前座の修行は辛いけど
           夢で励ます母の顔
     
              「寿限無寿限無五劫のすり切れず
               海砂利水魚の水行末 雲来末 風来末
               食う寝るところに住む所
               ヤブラコウージのブラコージ
               パイポパイポ パイポのシューリンガン
               シューリンガンのグーリンダイ
               グーリンダイのポンポコピー
               ポンポコピーのポンポコナーの
               長久命の長助さん」
     
      二、
               二つ目になってもう八年
                いまだに売れずにブーラブラ
                テレビもラジオもこの俺にゃ
                みんな恨みのタネとなる
     
     
           「自らことの姓名を問いたもうや、
             父は元京大内の産にして 姓は安藤 名は慶三 字は五光
             母は千代女と申せしが わが母は三十三歳の折り 
             ある夜 丹頂の鶴を夢見てはらめるが故に
             垂乳根(たらちね)の胎内をいでし時は 鶴女鶴女と申せしが
             それは幼名成長の後これを改め
             亀女と申しはべるなり」
     
         三、
           苦労みのって真打に
           なれてうれしい披露宴
           なぜに母さんもう居ない
           せめて見せたや晴れ姿
     
     
                               「おあとがよろしいようで」・・・

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  • 11/03/14--04:14: ⑦ 戦後の時代
  •         ⑦ 「戦後の時代」
     
     歌笑や痴楽が生きた戦後の時代とはいったい、どんな世の中だっただろうか。敗戦というかって経験したことが無い、悲惨な現実に国民は打ちひさがれ、みんな希望の無い生活を送っていた。

     終戦直後に呉れた友人Yの便りにも、闇市や盛り場の模様など、そんな世相を垣間見ることが出来る。
     彼は軍隊から帰ったのち住友本社に勤めていたが、財閥解体に遭い、そのころは奈良の一隅で百姓の真似事をしていた。
     
     旧陸軍の罫紙に達筆の筆書きである。恐らくシランが友達の関と二人で、外語時代の学友たちを訪ねるときに、親しかった学友たちの戦後の動静を知らせてくれるように彼に依頼したのだろう。 そのとき、関と私は外語を出て九大に進学して、大阪からは遠く離れていたのである。
     
          (外語時代、京都仁和寺にて)
     
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     Yとは外語では特に親しくしていた。苗字のイニシャルが同じこともあって、学校でも何かにつけて席が前後することが多かった。彼とはよく文学論や人生論を戦わした。和歌や俳句もうまく、戦後、「大東亜戦争詩集」を彼に贈ったら、お返しに高村光太郎の詩集「智恵子抄」を送ってきたことがある。
     
     便りの文面からすると、彼は昔から好きな女の人が居たようだが、病気で余命いくばくもなかったようだ。それを気遣った友人の(関)もその頃好きな人が居たらしい。
     お互いに恋をする友人のことを気遣うなど、二人ともやっぱり昔風の感傷的な文学青年だったのだ。。
       。。。。
     
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      。。。。
     
      拝啓

     懐旧の情そぞろなる秋の夕ぐれ
    お便り拝見 友,鎮西にありて呼ぶ。 大和の国にも暫し晩愁の青空がある。
    御依頼の趣、承知した。在阪諸兄にも話して置く。だいぶ焼けているからどうかと思うが暫し待て。
     
     この俺が可愛そうだとは何事。恋は何時でも初恋の如しだ。関(同窓の友人・関谷)に遇ったら言ってやってくれ。今は惚れたり張れたり言ってないで、ぶっつかってみろ。甘い考えなんか飛び越しちゃえ。ぶっつかって見ろ。
      ゲーテを見ろ。やるなら勇敢に熱烈にやれ。ただ当方、その人は小生入隊中より胸を病んでゐる。多分死ぬ。忘れるつもりだからもう言ってくれるな。
     
     小生、目下 百姓よろしく。
    この間、伊藤(同窓生)が日曜を泊りがけでやってきて、午前中麦蒔きを手伝だってくれた。
    小生、思うところあり、住友本社の解体から、課長が傘下会社に就職を斡旋すると言ったが断った。
    但し百姓で押し通すんじゃないから御安心を乞う。
     
     今、大阪では闇市が大流行だ。梅田、えびす、天王寺、鶴橋が最も有名、焼け跡の人だかりを察してみたまへ。大劇、常盤座も残っている。歌舞伎座では猿之助の勧進帳。文楽その他道頓堀は焼けた。
    都市はいま人為的崩壊時期だ。新しい芽は田園に分散する。小じんまりした明日の日本の貌(かたち)
    では、これくらいにする。   十一月二十七日
     
            わがつくる草履の形ととのひて
                秋はいよいよ悲しくなりぬ
     
     二伸  すぎし昔の写真おくる、感なし、ただ肥えたろう。
     
          。。。。。
     
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    *写真というのは、彼が豊橋予備士を卒業するときに撮った写真の事だろう。  ←

     彼は歩兵砲中隊だけあって、なかなか頑丈な体つきだった。
     
     住友をやめて、百姓の真似事をした後、京大に進学し、のちに大学教授としてその真価を発揮した。
     手紙の文中にある、伊藤も京大に進学して、のちに神戸大教授として多くの著書を残している。
     
     
     
        往時茫々として今は煙霧のごとし、
         当時を偲べばただ懐かしき限りである。。

     
     
      
     
     
      * 明日はゴルフ、寒くなりそうだ。
        友達がひとり抜けるのが、なんだか侘しい。。
     
     
     

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             ⑧ 「戦後のアプレゲール時代」
     
     
      すべてを戦争のために・・・という道徳律に生きてきた多くの国民が、敗戦によって生きる目標を失った精神の荒廃の為であろうか、古い儒教的道徳観から、新しい個人主義的アメリカナイズへの急激な傾斜のせいであろうか、戦後の混乱期には、次から次へと社会を震撼させるような大事件が起った。
     
     
     「帝銀事件」・・昭和23年1月26日。
      全銀行員に毒を飲ませて、11名を死亡させた帝銀椎名町支店事件。 犯人とされた平沢は死刑となったが、95歳で刑務所内で病死した。
     
     
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    「戦犯裁判」・・昭和23年11月。
      戦犯25被告に対する判決。東條元首相以下9被告に絞首刑宣告。
     
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    「三鷹事件」・・昭和25年7月。
      無人の国鉄電車が暴走した三鷹事件。竹内被告に死刑判決。
     
    「下山事件」・・昭和24年7月
      下山国鉄総裁の無残な、そして不可解な死。色々な謎を生んだが、真相はついに分らなかった。。
     
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    「松川事件」・・昭和24年8月
       東北本線の松川駅付近で機関車が脱線。

     「黒人兵集団脱走事件」昭和25年7月
       小倉で黒人米兵200人以上が集団脱走し暴行・略奪。

          ・・・・
     そのなかでも、戦前の道徳観を失った無軌道な(戦後派)青年たちの犯罪が多発した。
     当時、これらの若者たちのことを「アプレ」と呼んでいた。
     文学の世界でも石原慎太郎の「太陽の季節」や田村泰次郎の「肉体の門」など、戦前には考えられないような肉体派の文学が出回った。
     
     「光クラブ事件」・・昭和24年11月
      東大生の学生社長・山崎が金融会社・「光クラブ」を設立して倒産。
      「人生は劇場だ」と言って自殺した事件。
     
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     「日大ギャング事件」・・昭和25年6月
      日大会計課運転手の山際が、日大職員の給料を強奪した事件、別名「オー、ミステーク事件」
      逮捕時に犯人山際は、肩をすぼめて「オー、ミステーク」と言ったという。
     
     「金閣寺放火事件」・・昭和25年7月
       京都の国宝・金閣寺が放火により焼失した。
     犯人の大谷大学生・林は6年後に刑務所内で病死。母親も事件直後に山陰線の列車から保津川峡に飛び込んで自殺している。
     この事件をテーマに三島由紀夫『金閣寺』や、水上勉『五番町夕霧楼』が書かれた。
     
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     「バー・メッカ殺人事件」・・ 昭和28年3月
     東京・新橋のバー・メッカで証券ブローカが殺害される。犯人の正田昭は慶応大卒のエリート。
     酒を飲んでいた客の肩口に、天井からポタリポタリと血潮が滴り落ちてきたのが発覚の発端だった。
     
     「カービン銃強盗事件」・・昭和29年7月
     もと保安庁隊員の大津健一がカービン銃をつきつけて強盗を働き、 美人女優と逃避行を続けた末逮捕された事件・逮捕後「マンホール殺人事件」も自供。
     
     
     そして、国際的には米ソ対立の冷戦下に、昭和28年に「朝鮮戦争」が勃発し、38度線を境に朝鮮は北と南に分裂したままま半世紀以上も経ってしまった。 かくて、新憲法が誕生し、朝鮮戦争による特需に潤った日本経済は、戦争の痛手から奇跡的な回復力を示して、高度成長期へと進んでいったのである。
     
      こんな荒んだアプレ時代を背景に、歌笑や痴楽の笑劇に、国民はしばしの精神の安楽を求めたのであろうか。。
     


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  • 11/05/14--23:39: ⑨名字と苗字
  •        ⑨ 名字と苗字
     
     (長い名前)の話をしていたら、歌笑や痴楽の話から、戦後の世相まであちこちに飛び火してしまった。ここらで本来の珍名録に戻ろう。。
     
        「珍名奇姓録」
     
     日本の苗字には約20万もあるそうだが、中には読み方も書き方もなかなか難しいものや面白い苗字が多い。
     最近メモして置いたのに、こんなものがあった。いずれも新聞やテレビで知った苗字であるが、世の中にはほんとに妙な苗字があるものだ。。
     
    皮籠石(カワゴイシ)・館鼻(タテバナ)・御簗(オヤナ)・伊呂波(いろは)・
    正随(ショウズイ)澗随(カンズイ)・上圷(カミアクツ)・吐合(トアイ)
    本田茂作左衛門・二角萬蔵・鹿・二十歩・梵・上拂(カミハライ)・葉加瀬(ハカセ)・
    六角精児・落・温水(ヌクミズ)・九間(クマ)久間(ヒサマ)・最所・税所(サイショ)
      などなど。
     中には留守さんという議員さんもいたが、いつも留守では後援者も困るだろうに。。
     
     「皮籠石」というのも珍しいが、九州に多く見られる「神籠石・コウゴイシ」の当て字だそうだから、神籠石と同じ意味だろう。神籠石は九州の300m~400m位の山に多い列石のことで、古代の山城の跡だそうだ。日本書記にも載っていないので、恐らくまだ歴史のない古い時代のものだろう。
     
       「名字と苗字」
     
     所で、私たちの姓氏は一般に「名字」という文字が使われている。文部省でも「名字」を使っているが、世間では「苗字」の方もよく使われている。その違いは何だろうか。
     
     ①名字と書くと「ナジ」とか「メイジ」とかに読み違えやすいが、苗字だとそんな心配がない。
     ②明治八年に、武士だけでなく誰でも名字を付けねばならない、という「苗字必称令」ができたが、それに「苗字」の字が使われている。
     ③江戸時代には「苗字」が使われていた。
     
     そこで、一般的には「苗字」の方が多くつかわれるようになったが、文部省では     「苗」の字に「ミョウ」という読み方はない。
      中世では、名字という文字が使われていた。
     
     などと、屁理屈?をつけて、公文書では苗字を名字に戻したようである。
     
     
     
     
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                         漫画の「トムトジェリー」も面白かったなぁ・・
     
     
      *雲は多かったですが、今日は少しは温かくなりました。
     バルーン大会も、唐津くんちも無事終わり、佐賀平野はまた元の静けさに戻りました。くんちと言えば長崎のくんちはこの月末です。
     唐津生まれの学友Sが亡くなってもう何年か。。「一度招待するから、唐津くんちの山笠を見に来てくれと、言って居たのにとうとう果たせなかった。。
     
     明日は、家内の手術の抜糸に行かねばなりません。
     手術は先月の9日だったからもう、一か月にもなろうとしているのに。。
     こんなに永くて、大丈夫かなぁ。。
     
     
     

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           (10) 苗字の「五大姓」

     もともと、日本で位の高い姓氏の代表的なものは昔から「源平藤橘・ゲンペイトウキツ」と言って源氏、平氏、藤原氏、橘氏の4氏であったが、これは歴史の表面上の権力者の姓氏の分別で、別の側面から苗字を大きく分けてみると、「五大姓」に分けられる。
      海族と山族・田族・それに神官と武士の五つである。
     
     ①海族
     日本の周りは海だらけである。当然海に関した苗字が多い。
     海人アマ・渥美アツミ・安曇アズミ・熱海アタミ・磯イソ・島・渡辺
    などである。
      島田、島本、島中、田島、中島、副島、福島、上島、大島、小島、・・・
     
     ②山族
     一方、日本は山国だ。だから山に関する苗字も多い。山族には山本、
    山中・山下をはじめ、山に多い(木)や(森)がつく苗字が出来た。木下・紀伊・木田・などから森、森田、森永、森山、さらに林、林田、小林なども、山族と言えるだろう。
    友達にも、山口、山崎、山中、中山、山田など山の付くものが多い。
     
                   (北海道・芦別山、屏風岩)
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       iいつか、我が家の名字の由来を調べていたら、槍ヶ岳山麓に同名の地名があった。古いお城もあったようである。
     我が家のルーツももともとは山族で、あるいは城主一族の流れ者かも知れん・・などとと、他愛もない妄想をたくましくしている。
     
     
     ③田族
     次の「田族」は言うまでもない。 日本は農耕民族だから多いのは当然
    だ。
    田や畑のつく苗字をはじめ、原や村が付くのもみんな田族で、日本の姓氏では一番多い。先日のゴルフのパートナーも上田、山田、田中の三名だった。 それだけ我が故郷には農村が多いのだろう。
     
     田の付く苗字は日本人の百人のうち20人もいるそうで、まさに日本の顔そのものである。 田族の中でも最も多いのは田中と中村だそうだ

     田中さんは,田の中に頑張って朝起きるとすぐに田を耕し、夜寝るまで仕事をする。そこで、田の中に小屋を作って家にも戻らないので、田中さん、中田さんという名前ができた。
     その小屋を田舎(でんしゃ)といい、現在も農村のことを田舎(いなか)というのもその名残りである。だから田中さんは田づくりの名人であり、田中の地名は全国に約三千もあり、また、田中の人口は150万人もあるとか。。身の回りを見ても、田の付く友人知己は多い。我が家の母方の姓も内田だった。もちろん農家である。
     
     田中、吉田、上田、内田、岡田、森田、山田、徳田、中田、武田、田口、田崎、
     田代、田村、戸田、幸田,香田、好田、田辺、・・・と、数えれば切りがない。
     
     村の付く苗字も多いが、これも田族に数えられるだろう。
     さっき、テレビを見ていたら、男子フィギァスケートの日本選手の中
    「無良」さんという選手が居たし、「田中刑事」さんも居た。中国の選手「王一」さんもいたが、これはワンワンさんではなく、オウイチさんとフリガナがあった。中国語ならオウイさんだろうに。。ソレニシテモ、羽生君は不慮の怪我にもめげず、よく頑張った。あっぱれというほかはない、「倒れてのち止む」のまさに日本男子の面目躍如というべきか。。
     
     ④「神官」 
     「神官」の代表的なのは高橋と鈴木、斎藤の三つである。
     斎藤は神官に仕える斎宮(いつきのみや)のトップである藤原氏のこ
    とで、高橋氏は古代に膳部(かしわでべ)として神や朝廷の料理をつかさどった一族である。
     
     鈴木氏は神と農民を取り次ぐ神主で、田んぼの中に建てる稲積の中心に立てる棒の事を寿寿木(スズキ)というが、この棒を伝って稲作の神様が稲の中に降りてきて,豊作を招くのだという。
     
     神官出の鈴木、斎藤、高橋の三氏は今でも十大姓の中に入るほど多いが、それだけ昔からもっとも尊敬を受けていた氏族なのである。
     
     ⑤武士
     最後の武士の中心だったのは、平安時代に「この世をば我が世とぞ思う望月の・・」
    、わが世の春を謳歌した藤原道長の一族で、上は摂政関白家となり下は地方に下って豪族となった。鎮守府将軍・藤原秀郷は関東一円に勢力を広げ、また藤原利仁将軍は北陸一帯に子孫を残して栄えた。
     
     だから佐藤、加藤、伊藤など藤のつく苗字の多くは、貴族の藤原氏の一部が地方に下って武士化したものである。
     現在、佐藤姓は210万、伊藤が60万、斎藤、加藤は20万、後藤が15万ほど居るそうだ。とにかく藤のつく苗字だけでも500万を超えるというから、武士族の勢力は強い。友達にも加藤、斎藤、佐藤、武藤、後藤、近藤クンなどが居る。
     
      ・・・・
     
     *おかげさまで昨日、家内の手術の抜糸に行ってきました。患部はきれいにつながっていて、先生から早期に腫瘍を見つけてもらったので、15針くらいで済んだと、ほめられました。
     診察のすぐ前の学生風の若い患者さんが診察後、入院手続きの書類を持って出てきました。 同じように手術するんでしょうか・・まだまだ若いのに・・お気の毒でした。。
     
     でも、これからまた半年に一度は検査が必要です。。
     いつまで続く検診ぞ・・ (^^:)

     

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  • 11/09/14--01:06: (202)ツワブキ
  •       (202) ツワブキ
     
     秋も闌けて見るべき花も少なくなりましたが、野に山に今「ツワブキ」の黄色い花が満開です。
     
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     ツワブキはキク科の常緑多年草で、季語としては数少ない「冬の花」です。
     狭い我が家の小庭も、まばゆいばかりの黄色で彩ってくれます。 ツワブキは和名は「石蕗・ツワ」といい、葉がフキに似ていて、艶があるので「艶蕗・ツヤブキ」・・
     また、葉に厚みがあるので「厚葉蕗・アツバフキ」ということからこの名がつきました。
     
      
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      「ツワブキ」は本州中南部の海岸や山の水際、林の中の日陰などによく繁茂していますが、菊の花に似た一重咲きの黄金色の花が美しく、鑑賞用に庭や公園によく植えられています。
     
     フキ同様、茎は食用になり、根は河豚や鰹の中毒の薬に使われます。
     また、生の葉は、ヘキセナールという成分を含んでいて、火傷や打撲などにも効くそうです。
     
     
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             石蕗(つわ)に虻(あぶ)来る日よ四辺澄みわたり    星野立子   
     
     
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                         さびしさの目の行く方や石蕗(つわ)の花    蓼太  
     
     
         

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  • 11/09/14--18:52: (11)奇姓珍名
  •      (11) 奇姓珍名
     
     奇姓も珍名もいろいろだが、有馬頼寧さんの随筆集「ひとりごと」には、もと検事だった槙田鱗二さんが大正時代から集めた珍名奇姓の資料が載っている。たとえば
     
     ◇「三毛猫三」「新聞見高」「浜馬面長助」「日本無比」「畑雲雀」「風呂太久蔵」
      「北南」「古糞為糞」「胃袋破裂」「横枕楽吉」「今久留主留守吉」「大洞ふき」
      「仕入れ安」「行方(ナメカタ)不明」「豆野豆太郎」「豆野豆次」「表通」
      「百百百百(ドド モモヒャク)

     「三毛猫三」とか「風呂太久蔵」「新聞見高」などはまだ愛敬があるが、
     「大洞ふき」大ほら吹きさんや「古糞為糞」「胃袋破裂」さんとは。。 ほんとかなぁ?
     
     こんな名前だったら、子供は親を恨みたくなるだろうなぁ。 あるいは・・・
    親が先祖伝来の奇姓を恨んで、焼けのヤンパチでわざと珍名を子供につけたのかもしれない。
    昔は名前はなんとか代えられても姓は代えられなかったのだから。(明治8年の姓氏必称令)
     
     大正12年の関東大地震の際には「復興節」が流行ったが、その中にこんな歌詞がある。
     
         (二)
            かかぁが亭主に 言うようは
           
     お前さん しっかりしておくれ
              アラマァ オヤマァ
     
            今川焼さえ 復興焼と
            改名して 居るじゃないか
            お前さんもしっかりして
            エーゾ エーゾ
            帝都復興 エーゾ エーゾ
     
         (三)
            
    さわぎの最中に 生まれた子供
            つけた名前が 震太郎 
              アラマァ オヤマァ
     
            震二に震作 震子に復子 
            その子が 大きくなりゃ
            地震も 話の種 エーゾ エーゾ
            帝都復興 エーゾ エーゾ
     

     震子や震太郎も面白いが、百百百百さんも傑作だ、ドドモモヒャクさんとは、なんだかシャックリが出そうな名前でである。
     百から一つ引いた「九十九」さんも居る。九十九さんはツクモさんと呼ぶが島根県や尾道市あたりに多いそうだ。
     この「ツクモ」というのは「フトイ」という草のことで、この草が繁茂している様子を九十九髪(つくもがみ)のようだ、という。この草は水辺に生えているので、そのあたりに「九十九田(ツクモダ)とか(ツクモ谷)などの地名が出来て、そこに住む人に九十九(つくも)という苗字が出来たそうである。
     
     ついでながら、ツクモさんには「白」の字を当てることもある。百から一を引くと白になるからである。また、雲にも届くという意味で「津雲」、固まって茂っているので「築茂」と書くこともあるとか。。
     
     シランはいま、卆寿だが、あと9年で九十九の「白寿」になる勘定だが、果たしてそううまく問屋が卸してくれるかどうか。。
     昨夜も小雨の中を救急車が来て、何事ならんと思いしに、95歳の幼馴染のおじぃさんが、玄関口で急死されたとか。。
     シランもあんなにパタンキューと逝けたら幸せなんだがなぁ。。。
     ボケまくってまで長生きはしたくないなぁ。。
     
     
            (柿紅葉)
     
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  • 11/11/14--18:56: (12)一の字
  •      「珍名録」 (12) 一の字
     
     「百」のように数字で表す苗字には「九十九」のほかにもいろいろある。
     数字の初めの「一」と言う漢字には、苗字も名前もある。

     (一)の普通の読み方では、イチ、ハジメ、カズの三つである。
    一の文字は数の初めだから縁起が良いし、簡単でそのものズバリである。そのように一は数の初めだからカズとも、ハジメとも呼ぶようになったのである。
     だから「一和江」さんは(イチカズエ)と言い、同じ東京に住んでいても「一和枝」さんは、(カズカズエ)と呼び方が違う場合も起ってくる。関西にお住いの「一長二郎」さんは(ハジメチョウジロウ)さんだそうだが、なかなか正しくは読んでもらえないそうである。
     
     その他「一」は(ヒトモジ)とか(イチモンジ)と読む苗字もあるそうだが、初対面の人にはなかなか正確に読んで貰えないので「市」とか「井地」「伊智」などに改名するものも多かったようだ。私の恩師の一人である「伊地智教授」は先年亡くなられたが、この「伊地智」とか「伊地知」「伊地知」などの姓も、もともとは「一」が起源ではないかと私は思う。
    「一」は一字しかないから、「いちじ」であり、その転化で「伊地智」という姓になったのではなかろうか、もちろん之は私の推測であり、独断である。

     なんと言っても、一の読み方でなるほど・・とうなずくのは(一)と書いて「二の前」さんと読む苗字である。なるほど一の数字は二の前にあるから理屈には叶っているが、ほんとに人の意表を突く読み方である。
     それに数字を一、二、三と数えるときに、ヒトツ、フタツと数えた場合に九までは(ココノツ)という風に(ツ)の字がつくが、十にはツがつかない、そこで(十)と書いて「ツナシ」と読む事もあるそうで、これも何とも難解な苗字ではある。
     あ、いつか高校野球に「一二三」という名投手がいたが、これはヒフミ君だった。プロに入ったようだが、その後どうなっただろうか。。
     
     ついでながら、苗字でなく名前の方の(一)も読み方が多い。
    小学校の友達に「00一一」君が居たが、これはカズイチと読む。しかし我々ガキどもはみんな「イチイチ」とか「チョンチョン」とか言って冷やかしたものだ。同じ幼馴染に「廿千」という同級生が居た。ハタチ君である。小学校卒業以来、彼とは二十歳のハタチ頃に偶然市役所で一度出会って以来、まったく会ったことがない。その後、どういう人生を送っただろうか。。
     
     (一)の名前の呼び方は・・
     
    ハジメ、イチ、カズのほか、オサム、ススム、ヒトシ、マコト、マサシ、カツ、カタ、イツ、クニ、タダ、ヒジ、ヒデ、ヒト、モト、サネ、モロ、ノブ、カ、チ、ヒ。。
     などと、到底読めないものまである。昔の親がいい加減に名前を呼んでいたのに違いない。
     
     一は数字の一番だが、「一番合戦」と言う勇ましい苗字の方も居られる。これはイチバンガッセンと呼びそうだが実は、「イチマカセ」「イチマガセ」「イチバカセ」と読むのだそうだ。
    一番合戦のもともとは「一番ヶ瀬」で、川の瀬につけられた地名である。そこで同じような地名として、一ノ瀬、一瀬、市瀬などの地名が生まれ、さらに同じ名の苗字に転化して来た。
     
     ともあれ、「一番合戦」という苗字は、数ある奇姓のなかでも傑作の部類に入るだろう。
     
     
                             (ラクウショウの黄葉)
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     *昨日はご近所の幼馴染の葬儀あり、隣組のよしみで会場の受付をしてきた。
       夜分、小雨の中で急に救急車のサイレンが近くで消えてなくなり、何事ならんと思いしに、やはりそこのおじいぃさんが、玄関先で倒れていたそうだ。 95歳。
     
     ここの一族は、ほんとに華麗なる一族で、兄弟は副知事やら全国銀行協会の会長やら、なかなかの大物ばかりだった。
     
     三男のKさんは大学の先輩で、戦後の混乱期に一時一緒に借家住まいをして自炊していたことがある。その頃研究室の助手をされて居たが、戦時中、学徒出陣から特攻隊に入り航空隊では、鶴田浩二さんと同期だった。
     新聞社のニューヨーク総局長をしていたころ肺がんを発病、数年後に惜しくも52歳で亡くなった。
     葬儀には鶴田浩二も参列して、弔辞を述べたとか。。
     
     Kさんには、先輩として、また少年の頃の遊び仲間のガキ大将としていろいろお世話になったが、思い出深い一族もすべてあの世へと旅立ってしまった。。 
     
       すでに幽冥所を別にしては、懐かしき想い出を語るすべもなし!
     


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  • 11/13/14--01:04: (13)数字の苗字
  •      (13) 「数字の苗字」

      数字の名前では、二の前さんの(一)も珍しいが、この一を縦に(|)と書いて、イツポウウボーと読む方も居られるそうだ。だから、|一と書いてイッポンボー・ハジメさんだそうで、珍名もここまでくれば、これはこれはと驚くほかはない。
     
     尤もイッポンボウさんには「一品房」と書く人もある。一品は経文の巻数で、房は部屋の意味だそうで主に僧侶関係に多いとか。
     母校の射撃部の上級生に「三品」さんが居られた。ミシナさんはスペイン語が専攻で、帽子には靴墨を塗りたくってピカピカに光らせ、学生にしては珍しく赤靴をはいていて、なかなかダンディな先輩だった。と言っても、決して軟派ではなく、やさしい紳士的な学生だった。学徒出陣で軍隊に入られたが、その後の消息は知らない。

     しかし、同年の堅田部長の方は戦死されてしまった。こちらは生真面目な堅物で、気合を入れるとて、ほっぺたを殴られたこともある。でも、東京の陸軍戸山学校であった全国学生射撃大会の時には、ビアホールで生ビールをおごってもらった。 生まれて初めて飲むビールの味はとてもホロ苦かった。
     
     数字の苗字では「十」の字も読みづらい。ふつうはやはり「ジュウ」さんだが、これを「ヨコタテ」さんと読むこともある(タテヨコではない)。道の十字路だから「辻・ツジ」さんと読むと思いがちだが、これは十の字が辻の字のシンニュウを外した字だから、というのが本当らしい。。
     (ツジ)と読む苗字には、そのほかいろいろある。街、巷、都路、都司、津道などの苗字はみんなツジと読むが、これらは辻の字から転化したものである。
     
     同じ数字でも(七五三)さんは、シチゴサンではなく、「シメ」さんと読む。七五三はめでたい行事だが、もともとは縄を七五三に束ねてなって、しめ縄として神前にかけたものだ。いわば立ち入り禁止の神様の占有地の目印のようなものである。だから七五三と書いて「シメ」と読むのである。しめ縄は上から垂らすので、〆掛・七五三掛(シメカケ)とも書く。また〆田さんや占野さんも居るそうである。
     
     数字の苗字の読み方は様々だ。
     一の字は前に書いたとおりだが、(ニワ)さんには、二輪、丹羽、仁和さんが居り、(三)には三輪、美和、美羽、箕輪さんが居る。五輪さんは(イツワ)と呼ぶ場合が多い。 五輪はもともと仏教の宇宙観で、宇宙の生成を地、水、火、風、空の五大で表し、これを形として表したのが「五輪の塔」で、四角、円、三角、半円、宝珠の形の石を積み上げて仏塔にしたものである。
     高野山の奥の院には戦国武将たちの苔むした五輪の塔が敵味方仲良く、呉越同舟で建ち並んでいる。(いつか行ったときには、兄が戦死したビルマ戦没者の慰霊碑はパゴタの形をしていた。)
     
     五にちなんだものは,五味(ゴミ)さんや五明(ゴミョウ)などがあるが、(六)の字では、六本木さんが多い、地名では東京の六本木が有名だが、苗字でも東京には200人以上居られるそうだから、もともと全国的な名前なのだろう。
     
     「八代さん」は、熊本の地名から来ているのもあるようだ。。とにかく八代は運が強い良い苗字である。もともと八代は社(ヤシロ)のことで、いわゆる神社であり、神社の社を苗字にするのは恐れ多いので、八代の二字に分けてつけたものである。だから、八代だけでなく、矢代、家城、弥代、八城などの二字の苗字も派生している。
     ちなみに歌手の八代亜紀さんは、八月に社のもとで生まれたので、芸名を八代としたのだそうで、芸能人としても運が良かったのかもしれない。
     
      「数字の苗字」で珍しいものを列挙してみると。。
     
    九(いちじく)十(つじ)十(ももき)一二(つまびら)十六(いざ)二十四(つるへい)三一(みはり)
    三二(みに)九九(つくも)一二三(うたたね・ひふみ)三八九(さんやく)五五五(ごごもり)八百(やお)
    七五三(しめ) 廿千(はたち)十(つなし)五六(ふのぼり)万(よろず)万千百(まちお)千万億(つもい)。
     
     最後は百千万億で、(つもる)と読むのだから傑作だ。 まるでマージャンみたいである。
     
     
                                       (メタセコイヤの黄葉)
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      *急に寒くなりました。
         明日はゴルフだが、さむそう・・ ブルブル。。
     
     

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            (86) カモとたわむる
     
     
     朝は冷え込みましたが、今日はお日様が燦々。。
     良いお天気になりました。家内の歯医者さんから、スーパーの買い出しです。
     
     昨日は寒い一日、山岳コースのゴルフで歩き回りました。
      友達三人、90歳二人と89歳。
       91歳は前回のゴルフで、なんと背骨が折れたとかで、欠席(~~:)
     
     
                                       佐賀市内を俯瞰して・・
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      89歳が途中で腹が痛いと言い出し、トイレに連れて行きましたが、どうせ出ないからいいと、そのまま、また続けました。かねて腸閉そく気味だとか。。 
     うーん・・とにかく、つまらんでよかった。。
     
     彼は昼飯でジャンボ・ハンバーグを食べたので、さては。。
     こちらはハンバーグでなくて、辛口カレーだったのがよかったのカモ。
      おかげで、久しぶりの快打連発で大満足。。
     
     
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         池のそばにカルガモの一族がやってきたので、米ツブを与えました。 
         みんなよろこんで、ガァ、ガァ、ガァ。。
     
     
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      このあたりは、「今山陣地」という古戦場です。
      大友宗麟の大軍を鍋島直茂が鬼面を付け、鐘・太鼓を打ち鳴らして夜襲。
      大友軍を敗走させたところです。
      今でも「面浮立」という郷土芸能が残っています。
     
     
                  女丈夫のはるかに偲ぶ古戦場。。 
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                            ↑ 世の中、レディファーストかも・・  
     
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                 ここらでちょいと一休み・・
                         米ツブをパラパラと。。
     
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                西海の 山の裾野の ゴルフ場に
                 我れくたびれて カモとたわむる・・
     
                       詠み人 (九十路の啄木?カモしらん)
     
     
     
          あの時もっと飛んでおれば、パーがとれたかも。。
          かも、かも、かもと カモ尽くしの一日でした。。
        
     

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  • 11/15/14--22:18: (14)子供の名前
  •       (14) 「子供の名前」
     
     数字の苗字には一とか十とかの整数があるが、同じ数字でも分数の苗字もある。
    「新歩一」さんという苗字は難解だが、これは「シンポハジメ」さんではなく三字続けて「シブイチ」という。
     しかし、もともとはこれは当て字で、その原型はなんと分数の「四分の一」である。だから「四歩一」とか「渋市」と書く苗字も「四分の一」からの変形である。
     
     「四分の一」はもともとは中世の地名で、庶子に土地を分割した際に、四分の一に分割した地名から起こった苗字である。
     
     だから、二分の一だと「二分方・ニブカタ」「二分野・ニブノ」「仁分・ニブン」「二歩・ニホ」などの苗字が出来たし、「三分の一。サブイチ」「五分の一・ゴブイチ」など、様々な地名や苗字が出来てきた。この五分の一はのちに権淵と呼ぶようになり、四分の一が新歩一、渋市などの苗字に変化していったのである。
     
      「珍しい名前」

     苗字ばかりでなく、名前にも珍名が多いですね。
     最近は名前も常識的に円満化したので、極端な珍名は少なくなったが、とくに女の子の名前も変わりましたね。今は洋風の名前に漢字で当て字をするのが流行っていて、かえってとても読みづらい。
      
     いつか朝日の天声人語にも、雪月花(せしる)美星空(うらら)騎士(ないと)などと言う、ちょっと読めないような子供の名前が書いてあった。尤も、明治の森鴎外の娘さんが茉莉(まり)と杏奴(あんぬ)だから、一概に最先端とも言えません。漱石の娘さんは筆子と恒子ですから、こちらは常識的です。
     
     最近は「花子」とか「恵美子」とか「子」のつく昔風の名前はすっかりなくなりました。
     昭和のはじめに「静子」とか「絹子」とか言う(子)のつく名前が流行る前の、明治生まれの女性は「梅ウメ」「松マツ」「秋アキ」「春ハル」などの一字名前ばかりで「子」は着いていなかったし、子がつくとなんだかモダンな名前に聞こえたものですが、まぁ、時代はめぐるということでしょうか。
     
     阿蘇高原の草千里に居る観光用間の乗り場の馬たちはみんな女性でしたから、この馬たちにも、今風のモダンな名前がついていました。

        「ルミ」「ミキ」「ミナミ」「アイ」「ナツ」「ユイ」・・・
     
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           馬にまで「ルミ」ちやんが。。
              色は白いですが、立札には「後ろから近づくと、蹴られられます!」と・・
     
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       吾輩の当て馬は「ユウ」ちゃんでした。
     駄馬なので、人馬ともに短い脚が特長です。
     でも、馬の胴体ってとても幅が広いですね。幅が広くて短足では股が裂けそうでした・・まさか。。
      昔、騎兵になるにはスマートな長身でなければなれなかったのが、良く分かりました。
     
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     ところで人間の苗字はどうでしょうか・・
     最近の子供の名前を挙げてみると、

    美羽(みう)来夢(ライム)騎士(ナイト)瀬詩瑠(セシル)乃絵瑠(ノエル) 奏夢(リズム)未来(フュ~チャ) 愛深 (マナミ)美羅乃(ミラノ)蘭素(ランス)  理在(リアル)
    偉大盛(イデア)紗音瑠(シャネル)愛果夢(アイカム) 奏日亜(ソフィア)・・
     
     と、例をあげれば切りがないが、双子で大也(ダイヤ)主人(モンド)などは子供の名前で親が遊んでいるようなものです。
     
     我々の時代は太郎・次郎や春子・秋子など単純なものが多かった。
     その前の親の時代は、マツ、タケ,ウメなどの植物の簡単な名前が多かったが、ほんとに世の中、変われば変わるものだ。
     昔人間から見ると、名前だけでなく、人間の意識の変りようも驚くばかりである。
     
     
    ・・・


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