
平安初期の高僧「空海」の生まれた日は明らかでは有りませんが、835年3月22日(旧暦)に亡くなっています。死後に「弘法大師」のおくり名を享けました。
* 嫉妬は自分とそれ以外の人とは別々の存在だと思う心から生じる。
もし自分と自分以外の人を別ではなく、同じ存在だと見ることが出来れば、嫉妬することがなくなり、公平な心になり、全ての人の善行を心から賞賛できる。
もし自分と自分以外の人を別ではなく、同じ存在だと見ることが出来れば、嫉妬することがなくなり、公平な心になり、全ての人の善行を心から賞賛できる。
* 心を和らげて耐え忍ぶという心の鎧を着て、目的に向かって努力するという兜をかぶり、人として守るべきルールや道徳を守るという馬に乗り、心を静めて落ち着けるという弓を持ち、正しい事と悪い事を分別するという矢を射って外には悪の軍勢を破り、内には心の賊を滅ぼす。
これを仏という。
真偽のほどは判りませんが、「いろは47文字」も空海の作とも伝えられています。
↑ 空海の筆
← 「いろは歌」
これは、明治38年、17歳の娘時代に両腕を養父に切られた「大石順教尼」が、手の代わりに筆を口に含んで書いた「いろは歌」です。 (*明治38年・堀江廓6人斬り事件)
順教さんは腕を亡くしたあと「見せ物」として巡業に出る日々を送りましたが、19歳の時、カナリヤが口で雛に餌をやる姿を見て、口に筆を含んで文字を書くことを思いついたそうです。
我が家の法事やお彼岸にはいつも、この
(いろは歌)を床の間に飾ることにしています。
ちょっと色あせていますが、たおやかな筆致の中に、彼女が過ごした運命の非情さ、人生の悲哀がうかがわれます。
高野山の奥ノ院には、この切り落とされた腕を納骨して建てられた「腕塚」があります。 ↓
色はにほへど 散りぬるを![イメージ 4]()
我が世たれぞ 常ならむ
我が世たれぞ 常ならむ
うゐの奥山今日越えて
浅き夢みし えいもせず