(227) 丸山第二師団・無念の退却
一方、丸山部隊主力の本隊は迂回してジャングル内を進んだが、戦車や大砲がなく、大半が歩兵砲、山砲、速射砲などの小型で軽い大砲が配属されたにも拘わらず、人力で配送するのは困難を極め、その多くは戦場に間に合わず、武器と言えば僅かに小銃や軽機のみで砲兵、戦車の援護がない戦いを強いられたのである。
丸山中将は時に60歳だったが、折からの豪雨の中を、杖をつき、びしょぬれになり、泥んこになりながら、歩いて行った。第17軍司令官の百武中将からは、最後の訓示が22日正午全将兵に伝えられた。
「日米決戦ノ時期ハマサニ熟シタリ。
各部隊将兵ハ死力ヲツクシテ各々ソノ任務ヲ完遂シ、敵ヲ撃滅スベシ」
総攻撃開始は10月23日22時に決まり、我が軍の布陣は右翼隊長・川口少将、左翼隊・那須弓雄少将で一挙に飛行場に突入し、その間、住吉少将率いる砲兵主力をもって、西方から攻撃を加えるというものである。
ところが、いざ突撃という寸前に偵察機の決死的撮影をした写真を見たところ、第1回の総攻撃の時には見られなかった場所に、堅固な陣地が構築されていることを川口少将は発見した。
この敵の陣地は第一回総攻撃の時に失敗した同じ突入路であった。「前回の総攻撃より一層堅固な陣地となっている同じ陣地に向かって真正面から、少ない兵力で総攻撃をかけるとすれば、攻撃の失敗は眼に見えている」として、川口少将はひそかに敵の側面に回りたいと作戦変更を辻政信参謀に頼んだ。
↑辻正信参謀
ところが、本部からは「攻撃が一日遅れるので予定通り正面攻撃をせよ」との命令があり、川口少将は「正面攻撃は部隊長として責任を負い難い。迂回作戦を承知して貰いたい」と再度電話して30分ほど待ったところ、突如、命令不服従をもって川口少将は攻撃寸前になって旅団長を罷免されてしまったのである。 (後任は歩兵第230連隊の東海林俊成大佐)
22時、いよいよ総攻撃が始まり、すさまじい銃声がボハ川上流の百武軍司令官の元にも響いてきた。やがて軍司令部の無電班から「万歳!万歳!」の叫びが起こった。ルンガ飛行場占領の暗号電報「バンザイ!」が入ってきたのだ。この朗報はただちに大本営へ、そして東条首相へと伝達された。
しかし、30分後に明るかった大本営の空気は一変した。この電報が誤りで、続いて「ルンガ飛行場は落ちず、ただいま我が軍苦戦中」との第二報が入ったのである。豪雨に中で草原に突入した那須部隊がその草原を飛行場だと間違えたのであった。そして、続いて入ってくる電報は苦戦の知らせばかりであった。
左翼隊の那須部隊は那須弓雄少将指揮のもと、29連隊を主力とする夜襲師団の異名を持つ勇猛部隊である。那須隊は勇戦奮闘して敵陣に突入、敵の哨戒線を突破したが、第二、第三の堅塁に阻まれ、敵の猛砲火のため損害続出して攻撃はとん挫した。
左翼隊長の那須少将からは「古宮連隊長は、軍旗とともに敵陣に突入せるも、連隊長と軍旗は行方不明、各大隊長、中隊長もほとんど戦死、または負傷」という悲報が届いた。更にマラリヤの高熱に耐え、ごま塩頭に白鉢巻をして、野村副官の肩に寄りかかりながら進んでいた那須少将自身も敵弾を浴び戦死した。
(丸山師団、行動図)
また、川口少将から東海林大佐に変わった右翼隊の主力・東海林連隊は草原を北進して0時に敵陣地に接近し飛行場の一部に突入したが、敵の猛烈な敵の砲火に前進を阻まれていた。ある所では、兵の頭上30センチくらいの所に一面に火の幕が張られたように敵の砲火が集中して、身動きが出来ないという有様だった。このため敵陣地直前で敵と対峙したまま25日の夜明けを迎え、ついに右翼隊の夜襲も失敗してしまった。これは攻撃寸前の指揮官の交代という、統帥の混乱のためとも言えるだろう。
また、野戦電話中継所からの通信が間違って「占領」と早合点されたまま各方面に通報されてしまった。岡連隊では 「飛行場さえ奪えれば、もうこっちのものだ。あそこには、ビフテキだのミルクだのが山ほどある」と、持っていたすべての食糧を泥の中に捨ててしまい、岡連隊の将兵は、一瞬にして、ほとんどの食糧を失ってしまった。そして、敵はついに日本軍の背後に重油タンクを落として火を放ち、いよいよ万事休すとなった。
日本軍は、ここに刀折れ矢尽き、丸山師団長は涙をのんで10月26日、全軍に退却を命じたのであった。
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*今日は黄落の秋とは思えない暖かい一日でした。
また、10個ほど柿の実をちぎりました。昔は長い竹竿の先を割ってちぎったものですが、最近は高枝切りがあるので楽チンです。
毎日、おやつに食べているので尻が詰まらないか・と心配しきり・・
*今年は『なり年』なのか、うちの庭の柿の実も鈴なり、カラスも年寄りのために食べ残してくれました。 カキは赤き実(アカキミ)が語源だとする話がありますが、柿の美しい朱紅色は、いかにも日本の秋を感じさせてくれます。むかし、有田焼の酒井田柿右衛門が、柿の実の色の美しさに魅せられたのもうなずけますね。
柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺 子規
柿をたべても鐘はなりませんが、あまり食べるとタンニンのために便秘しますぞ・・
柿が赤くなると医者が青くなる、と言われるほど栄養満点なのですが・・