(142) 「一期一会の出会い」
山の早い夕暮れのなかを傘をさして宿坊へ急いでいると、小さな蓮池に出た。朱塗りの太鼓橋があって橋の向こうの中の島には、旱魃祈願のための龍神を祀ってある。その紅いきれいな橋をビデオに撮っていると、ふとカメラの画面の中に橋の上の若い外人の男女が飛び込んできた。恋人同士であろうか、若いカップルである。
そして女性が、自分が持っていたカメラを指さして、片言で「スミマセン」という。すぐに了解して二人の写真のシャッターを切ってあげた。そして、英語の教師をしている近藤魁君から昨日の同窓会で習ったばかりの怪しげな英語で訪ねてみた。
「Where are you from?」 語学は発音よりもまず度胸である!・・/
が、彼女は首をかしげげて微笑んでいるだけである。私は慌てて今度は中学一年生のように、一語一語はっきりと話してみたら、彼女は「Germany」と言いながら近づいてきた。どうやら通じたようだ。私は思わず「おお、ドイッチュラント」と大げさに叫んでしまい、 しまった~、これはドイツ語だと思ったが、もう後の祭りである。
近藤君から習った通りに英語で「日本の印象はいかがですか?」と尋ねたかったが、咄嗟にはなかなか出てこない。仕方がないので最後は「good luck」と言って別れたが、果たして通じたかどうか、でも二人は楽しそうににこにこしていたから気持ちだけは通じたのであろう。国はどこであれ若人たちには輝やける未来がある。かねて外国人に出会うと、なるべく話しかけるように心がけているが、とっさにはなかなか言葉が続かない。それに、思わず中国語が混じるのが困る。ハローではなく、ついニイハオ(你好・コンニチハ)ツァイチェン(再見・サヨウナラ)シエシエ(謝謝・アリガトウ)などとと言ってしまうのである。
近藤君から習った通りに英語で「日本の印象はいかがですか?」と尋ねたかったが、咄嗟にはなかなか出てこない。仕方がないので最後は「good luck」と言って別れたが、果たして通じたかどうか、でも二人は楽しそうににこにこしていたから気持ちだけは通じたのであろう。国はどこであれ若人たちには輝やける未来がある。かねて外国人に出会うと、なるべく話しかけるように心がけているが、とっさにはなかなか言葉が続かない。それに、思わず中国語が混じるのが困る。ハローではなく、ついニイハオ(你好・コンニチハ)ツァイチェン(再見・サヨウナラ)シエシエ(謝謝・アリガトウ)などとと言ってしまうのである。
閑話休題・・そうこうして居るうちに、境内はいよいよ薄暗くなってきたので、足を速めて、ようやく桜池院の玄関にもどって来た。
高野山の別格本山「桜池院」はさすがに開基八百年の古刹だけあって、石庭あり、花木あり、日本庭園有りで、その池の中には見事な緋鯉が何匹もひっそりと泳いでいて、広い寺院には人気もなく森閑としている。玄関も古めかしく、昔の武家屋敷のように、つい「頼もう!」と、ひと声かけたいような気分になる。
高野山の別格本山「桜池院」はさすがに開基八百年の古刹だけあって、石庭あり、花木あり、日本庭園有りで、その池の中には見事な緋鯉が何匹もひっそりと泳いでいて、広い寺院には人気もなく森閑としている。玄関も古めかしく、昔の武家屋敷のように、つい「頼もう!」と、ひと声かけたいような気分になる。
(宿坊・桜池院玄関)
その「桜池院」に戻って暫くすると、先ほどの若年の学僧が食事の飲み物の注文を取りに来た。
禅宗の「葷酒山門に入るを許さず」ではないが、戒律が厳しい高野山で飲酒とは到底考えられないが、豈はからんや、酒やビールなどなんでもあるらしい。
弘法大師は、厳しい山上の寒さを凌ぐため、「塩酒(おんしゅ)一盃、これを許す」と仰せられたので、山僧は酒の事を「般若湯・はんにゃとう」と呼んでこれをたしなみ、身体を温めて厳しい冬の修行に耐えて来たという。
その「般若湯」をお土産に持ち帰り、いつもの飲み会に持っていったら、若い人に「般若湯・はんにゃゆ」という温泉はどこにありますか?」と尋ねられて、目を白黒してしまった。
ついで一人の老僧が「食事の支度ができました」と言いに来た。外出している間に隣の別部に用意して置いたらしい。その案内の老僧が大阪外語出身の修行僧であった。
彼は柿色の作務衣(さむい)姿でひざを固くして正座している。1ヶ月ほど前にここで得度(とくど)出家したそうで、すでに頭は丸めてある。
そして「大阪外語出の方だそうですね」と話かけてきた。私が「十津川での外語の同窓会の帰りです」と告げると、彼は般若湯ならぬキリンビールを注ぎながら、ぽつりぽつりと話だした。
朴訥な人柄らしい。
彼は柿色の作務衣(さむい)姿でひざを固くして正座している。1ヶ月ほど前にここで得度(とくど)出家したそうで、すでに頭は丸めてある。
そして「大阪外語出の方だそうですね」と話かけてきた。私が「十津川での外語の同窓会の帰りです」と告げると、彼は般若湯ならぬキリンビールを注ぎながら、ぽつりぽつりと話だした。
朴訥な人柄らしい。
彼は英語部の出身で二期後輩であった。したがって73歳(当時)になる。私たちの年配では修行は大変でしょう、とねぎらうと、もちろん体もきついが、お経を覚え、数珠をまさぐり、読経をするのが大変らしい。いずれにも密教独特の夫々の細かい仕草や所作が決まっていて、すぐ間違えて困る、と苦笑いしていた。
高齢者は記憶力が極端に落ちてしまうのだ。それに毎朝5時に起き、掃除や床上げ、配膳の用意、6時からの勤行と早朝から分刻みの肉体労働が待っている。その上、長い間の正座が辛そうだ。
高齢者は記憶力が極端に落ちてしまうのだ。それに毎朝5時に起き、掃除や床上げ、配膳の用意、6時からの勤行と早朝から分刻みの肉体労働が待っている。その上、長い間の正座が辛そうだ。
ビールが大瓶の上、夕食の精進料理は三の膳までついていて、いくら豆腐料理とはいえさすがに腹が膨れる。しかも畏まって給仕してくれる老僧の前で、一人で飲むのは何だか気が引ける。
「一杯どうですか?」と勧めてみたが「いや、お酒は飲みません」と言う。修行中のせいなのか、ほんとに飲めないのか・・強いては勧めなかった。
「失礼ですが、実家はお寺さんですか?」と尋ねてみた。最近、瀬戸内寂聴や山田五十鈴など素人が得度するケースが多いが、この老齢で出家するのには、何か特別の理由があるのに違いない。
「いいえ、実は大阪の心斎橋で商売をしていましたが、バブルがはじけて倒産してしまいました」・・
道理で、何か肩身が狭そうであった。聞けば家は三代続いた老舗だったそうである。 大阪随一の繁華街の心斎橋筋で三代続いた老舗であれば、おそらく明治始めからの大店に違いない。その店をつぶしてしまい、また多くの人に迷惑をかけ、家族にも申し訳なく、彼は一時は死も覚悟したらしいが、檀家寺の和尚さんに勧められて、この高野山に来たという。
(大阪ミナミの心斎橋筋)
いくら大きな会社でも、有名な老舗でも、ひとたび倒産してしまえば、とたんに手のひらを返したように人の目は冷たくなる。 哀れみの影に潜む軽蔑の白い眼だ。
資本主義社会にあっては、優勝劣敗、弱肉強食の世界である。敗れたものは山奥か地の底に逼塞して世間の冷たい目を逃れるしか方策はないのである。
いくら大きな会社でも、有名な老舗でも、ひとたび倒産してしまえば、とたんに手のひらを返したように人の目は冷たくなる。 哀れみの影に潜む軽蔑の白い眼だ。
資本主義社会にあっては、優勝劣敗、弱肉強食の世界である。敗れたものは山奥か地の底に逼塞して世間の冷たい目を逃れるしか方策はないのである。
私は慰めようもなく、それ以上詳しく尋ねる勇気がなくなり、ビールの味もすっかりまずくなってしまった。 「また良い事もありますよ」とか何とか、在りきたりの言葉でお茶を濁したが、彼も席がまずくなったのか、「まだ仕事が残っていますから」、と匆々に引き下がっていった。
雨は小降りになってきて、代わりに風が強くなってきた、明日は雨も上がるだろう。その夜はカタコトと隙間風が障子を鳴らして、暫くは寝付かれなかった。
若い外人のカップルと、老齢の新米修行僧・・
弘法大師の引き合わせか、同窓会帰りの不思議な一期一会の出会いであった。
弘法大師の引き合わせか、同窓会帰りの不思議な一期一会の出会いであった。
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