(46) 「タバコ四方山話」
煙草を吸いだしたのはいつの頃だろう、学生時代に先輩が飲んでいるのを見て、興味本位で下宿でこっそり飲んでみたが、のどが痛くてこまった。だが、いつの間にやらまた吸い出してやめられなくなってしまった。夜、煙草が切れると矢も楯もたまらず、朝一番に煙草屋に駆け込んだものだ。
体Ðには悪いと思いながら、なかなか止められないのがタバコである。
戦時中は一般には「光」だったが、「鵬翼」という勇ましい煙草もあった。
1612年8月6日に、江戸幕府はタバコを吸うこと、および牛を屠殺することを禁じました。
このころには、ほとんど徳川家の支配体制は確立しており、家康としては秀吉まで続いた開放政策から鎖国体制への切り替えを始めたところでした。そこで外来の習慣である肉食と喫煙を禁止することにしたのでしょう。
もともとタバコの日本への渡来は1605年であったのに、あっという間に喫煙の習慣は広がってしまいました。これに先立って1609年にも禁煙令が出ています。しかし、禁煙令だけではあまり効果を挙げることができなかったようです。
(みのりは刻み煙草でキセルでのみます)
ところで「タバコ」という言葉は、その原産地であるメキシコの「タバスコ」という地名から来ていますが、タバコの葉を巻いて作ったいわゆる葉巻タバコ(シガー)はマヤ文明のなかで「喫煙」を意味する「シカッル」という言葉から転じたものです。ただし、これは今日でもそうですが、おおむね、お金持ちが吸うもので、値段も高いものでした。
その吸殻をセビリアの乞食たち拾って、紙で巻いたのが、紙巻タバコ(シガレット)の始まりで、はじめはパブリードと呼ばれていました。ちなみに「シガレット」という言葉が使われるようになったのは1814年、ナポレオンのスペイン遠征中のことで、そのときにフランス兵が紙巻に親しみ、シガレットという言葉はまずフランス語として習熟しました。
一方、イギリス人がシガレットを好むようになった契機はクリミヤ戦争でした。この戦争でイギリス人はトルコ産のタバコの味を覚え、シガレットはここで社会階級の壁を破ったのです。
とりわけ1873年の経済危機は、それまでシガレットをくわえていた人びとをシガレット党に転じさせる大きな役割を果たしました。。。
*葉巻の吸殻を拾って紙巻タバコにしたそうですが、紫蘭が陸軍病院にいたころは、候補生にはタバコの配給がなく、一般兵が捨てた吸殻を拾って、紙に巻きなおして吸ったりしました。
今では考えられない卑しい行為ですが、「煙草のみ」の卑しさはタバコが切れた人でなければわかりません。
戦後はたばこは配給制で、紙巻煙草でなく刻み煙草でした。そこでアルミ製の煙草巻き器やキセルが流行りました。煙草を巻く紙は、コンサイスの英和辞典が最適で、ほかの紙ではのどが痛くなって飲めません。 ですからシランの古い英和辞典は後ろの方から破り取られています。
予備士に居るとき、足を怪我して入院中に、中隊長の賀陽宮邦壽王殿下が見舞いに来られ、後で「恩賜の煙草」をいただきました。菊の御紋章がついていて、もったいなくて復員するまで飲まずに大事に取っておきましたが、戦争が終わって取り出してみたら、カビが生えていて苦くて飲めなかったです。
♪ 恩賜の煙草 いただいて
明日は死ぬぞと 決めた夜は
広野の風も なまぐさく
ぐっと睨んだ 敵空に
星がまたたく 二つ三つ
(恩賜の煙草)
シランはある年の7月1日、突如として感ずるところあり、その日のうちに禁煙してからもう、50年以上になります。煙草の肉体的な影響はは20年以上続くそうですが、50年もたつのでもう煙草の被害はないでしょう。
*昨夜は70年に一度というスーパームーンの名残りで、宵のうち東の空に大きな真っ赤な月が見えていました。 12時、就寝時に庭に出て空を見上げたら、すでに天上近くに澄み渡った満月が浩々と輝いていました。
軍隊に入るとき友達と別離の盃を交わして、深夜の御堂筋を蹌踉とした足取りで、下宿まで歩いて帰ったのを思い出しました。あの時も皓々たる満月が舗道に我が身の影を映し出していました。
あれから70年、あの月もひょっとしたらスーパームーンだったかも・・