(48) オリンピック 四方山話
(昭和11年) ベルリン、オリンピック・日本選手団の入場
今日は2月28日、「二月は逃げる」と言いますが、早いものですね。今日で2月も終わりです。
冬季オリンピックもメダル13個獲得で、めでたし、めでたしで終わりました。4年後の冬のオリンピックは、シランはもう見れそもありませんが、2年後の二度目の東京オリンピックの日本選手の活躍をなんとかテレビで見たいものです。。
冬季オリンピックもメダル13個獲得で、めでたし、めでたしで終わりました。4年後の冬のオリンピックは、シランはもう見れそもありませんが、2年後の二度目の東京オリンピックの日本選手の活躍をなんとかテレビで見たいものです。。
(昭和39年・東京オリンピック開催)
ところで、古代ギリシャの祭典であるオリンピックがクーベルタン男爵の努力で、1896年に近代オリンピックとして復活し、アテネで第一回大会が開かれましたが、オリンピックではいろいろな奇談が生まれています。
〇 マラソンの始め
古代オリンピックの記録として最初に残っているのは、紀元前776年に行われた競技です。その種目は競争だけでしたが、のちに円盤投げ、レスリングなどが加わり、ギリシャ中から男たちが集まってこれらの競技に参加しました。開催が4年おきというのもこの時代に定まっています。
(古代オリンピック想像図)
まず、陸上競技の華、マラソンはもともと競技種目には入っていなかったのですが、フランス人が、紀元前450年の「マラトンの戦い」で、マラトンからアテネまでを力走して「我勝てり」と勝利を告げて倒れた兵士「フェイディピデス」を記念して、ぜひマラソンを加えようと主張したので、このマラソン競技も行われるようになりました。
そこでギリシアの人々は地元の面目にかけて自国の選手に栄冠を与えたいと考え、選手として選ばれたのが水の運搬人「S・ロウエス」でした。
彼を勝たせたい一心から金持ちの「G・アベロフ」は、もし「ロウエス」が勝ったら多額の賞金と自分の娘をやろう、と約束し、アテネの床屋と仕立て屋は一生の間、ただで散髪し、好みの服をただで提供しようと申し出ました。またチョコレート工場の経営者は1000キロのチョコレートを差し上げようと言いました。
欲に眼がくらんだわけでもないでしょうがその「ロウエス」が優勝し、ギリシャ中が湧きかえりました。ロウエスは既婚者だったので、さすがにアベロフの娘は貰いませんでいたが、一生食べるのには事欠かない生活を保障されたと言う話です。
先日、東京マラソンで設楽悠太選手が日本記録を5秒更新して、ボーナス一億円を貰いましたが、古代は賞金だけでなく、娘やチョコレートまで貰っていたんですね。
〇 「キセルマラソン」
幻の日の丸 (昭和11年、ベルリンオリンピックで優勝の孫基禎選手)
1900年(明治33年)にパリで開かれたオリンピックの各種目の最終決勝戦は、7月14日の土曜日に行われることになっていましたが、この日はフランスの革命記念日なので、主催国のフランスはこの決勝戦を翌日に持ち越すことにしました。 すると今度はアメリカ選手団の一部が「この日は日曜日で安息日だから」として出場を拒否して大混乱になってしまいました。
そればかりではなく、マラソンの競技で終始トップを切っていたアメリカの「A・ニュートン」選手が悠々とスタジアムに戻ってみると、驚いたことにフランス人三人とスェーデンの選手一人がすでにゴールしているではありませんか・・!?
そしてフランス人の「M・ティアト」という選手が優勝者となりました。ニュートンは走っている間に誰にも追い越されなかったと主張し、厳重に抗議しました。
そこで調べてみると、先着の4人はマラソンの途中で近道を選び、おまけに馬車に乗った者まで居たらしいという有様。しかし真相はとうとう分からずじまいで審判は当惑して優勝者の決定を保留しました。それから13年後のに1912年になって、やっとティアトが優勝者である、と認められ金メダルをもらいました。ちなみにこの「ティアト」はパリのパン屋さんだったそうですよ。
↑ベルリン・オリンピック・得意満面のヒトラー総統
ついで、1904年のアメリカのセントルイス大会では有名な「キセルマラソン」の優勝者が現れました。 8月30日という猛暑の中、40キロのコースで開催されたマラソン競技で、アメリカの「フレッド・ローツ選手」は20キロあたりで力つき、道ばたに倒れ込んでしまいました。
彼はたまたま通りかかった車に乗せて貰ってスタジアムに帰ろうとしたのですが、スタジアムまであと5マイルのところで車がエンストしてしまい、体力を回復したローツは車から下りてそのままゴールを目指して走り出し、1着でゴールしてしまったのです。
しかし、ローツ選手を車に乗せた運転手がすぐに届け出たために、ローツ選手の不正が発覚して、およそ1時間あとにゴールしたアメリカの「トーマス・ヒックス」選手が優勝者になりました。
これが「キセルマラソン」としてオリンピック史上に残る不名誉なエピソードになっています。
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梅一輪一輪ほどの暖かさ 嵐雪