(295) イギリス発汗病
暑いと汗をかくのは当たり前のように思えますが、汗をかくのは人間と馬など限られた哺乳類だけの話で、犬や狼などは汗腺がほとんどないので汗が出ません。そのため犬は体温調節のため長い舌を出してハァーハァーとせわしなく空気に触れて体温を下げます。
人間は汗のおかげでマラソンなど長距離を走れますが、犬などは汗が出ないので長距離が走れません。そこで古代の狩猟民族は、体温が上昇して走れなくなるまで獲物を追いかけて狩りをしたのです。
今日はむかし、イギリスで大流行した「発汗病」の話です。
「発汗病」といっても、大抵の人は知りません。
というのは、この病気は15世紀から16世紀にかけて何回か流行して、その後ぷっつりと消えてしまった病気だからです。
というのは、この病気は15世紀から16世紀にかけて何回か流行して、その後ぷっつりと消えてしまった病気だからです。
この病気にかかった患者は、突然の悪寒とふるえから始まり、めまい、頭痛と共にひどい疲労感があり、発熱、嘔吐がそれにつづき、肩、首、四肢の激痛と共に、激しい汗をかきます。そして発病数時間後に、長くても24時間で死んでしまうのです。 このように死亡率はきわめて高く、助かるものは100人中一人あるか、ないかと言うほどでした。
その流行の第一回は1485年のことで、イングランド王「ヘンリー7世」の時代、ロンドンではあっという間に数千人が死にました。そして第2回、第3回と、10年おきくらいにこの病気は流行しましたが、なぜかその発生地は常にイギリス、それもロンドンでした。
そして不思議なことに、フランスやオランダに侵入しても、この病気に感染したのは、すべてイギリス人でした。イギリスでは地方によって、この病気で人口の半分が失われたこともあります。オックスフォ-ド大学は、この病気の流行期に6週間にわたって完全閉鎖を行いました。
↑ヘンリー7世
1528年には、第4回目の大発生が起こり、この時はとてもひどいものでした。最初に5月の終わりにロンドンで始まり、イングランド全体に急速に広がりました。特にロンドンでの死者は膨大でした。そのため宮廷はひどい状態になり、ヘンリー8世はロンドンから逃げ出してあちこち居場所を変えたのです。
この病気での最も特筆すべき事実は、ヨーロッパ全体で突然に大発生したことで、ハンブルクで突然発生し、急速に広がり、千人以上の死者を数週間で出しました。このように猛烈な発汗病は、東ヨーロッパで猛烈な死亡率で破壊的な被害を与えて行きました。
この病気はコレラと同様に大きく広がり、12月にはスイスに、その後北に向かって、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、そして、東に向かって、リトアニア、ポーランド、ロシアへと広がりましたが、フランスとイタリアには広まりませんでした。そして、その年の終わりには完全に消滅してしまい、この後、ヨーロッパ本土では全く現れなかったのです。
最後の流行は1551年でした。イングランドで起こり、数日間で1000名近くが死にました。しかし、イギリス在住の外国人はひとりもこの病気にかかっていないのです。まさしく奇病ですね。
従って、この病気が「イギリス発汗病」と言われるようになったのです。
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* 今朝は小雨模様で暖かく明けました。
満目黄落の秋、春には純白の花をつけた白木蓮の葉もすっかり黄色く色づきました。
のやまは枯るるたびごとに
ちとせの春にかえるなり 藤村