(139) 「ナポレオンの右手」 6月18日
フランス皇帝「ナポレオン1世」の肖像画を見ると、何時も右手を上着の中に入れていますが、これにはいろいろな説があって、坂本龍馬の銅像の右手と同じく一種の謎になっています。竜馬は懐にピストルをしのばせている、と言われていますがナポレオンの右手はどうでしょうか。。
①単なるポーズ
②いつもの癖
③彼は皮膚病の疥癬にかかっていた
④彼は胃痛持ちだった
②いつもの癖
③彼は皮膚病の疥癬にかかっていた
④彼は胃痛持ちだった
などいろいろな説がありますが、これは本人にしか分からないかもしれませんね。横光利一の小説には「ナポレオンと田虫」と言う作品がありますが、一世の英雄ナポレオンがタムシがかゆくて、ボリボリ掻いていたとは、あまり様になりませんね。
・・・ナポレオンの腹の上では、径五寸の田虫が地図のように猖獗(しょうけつ)を極(きわ)めていた。この事実を知っていたものは貞淑無二な彼の前皇后ジョセフィヌただ一人であった。
ナポレオンの田虫は頑癬(がんせん)の一種であった。それはあらゆる皮膚病の中で、最も頑強な痒さを与えて輪郭的に拡がる性質をもっていた。掻けば花弁を踏みにじったような汁が出た。
ナポレオンの田虫は頑癬(がんせん)の一種であった。それはあらゆる皮膚病の中で、最も頑強な痒さを与えて輪郭的に拡がる性質をもっていた。掻けば花弁を踏みにじったような汁が出た。
乾けば素焼のように素朴な白色を現した。だが、その表面に一度爪が当ったときは、この湿疹性の白癬は、全図を拡げて猛然と活動を開始した。・・・ (横光利一)
などと、小説家は如何にもナポレオンの腹を見てきたかのように書いています。。
→ナポレオンのアルプス越え・・おや、なーんだ、ここでは右手が出ていますねー?
胃痛持ち だったという説では、ナポレオンの肖像画を見ると、いつも片手を上着の中に入れて、ちょうど胃のあたりを抑えています。これは彼が胃潰瘍を患っていて、痛む胃を抑えて居たからだ、という説があります。
事実、ナポレオンの胃潰瘍は相当重症で、そのために便秘がひどくなり、さらに彼の痔を悪化させることになりました。痔が悪いので彼は馬にまたがるのが大変苦痛になって居ました。
特に1815年6月18日の ワーテルローの戦い の前にはその痔の症状がひどく、そのため戦闘の開始が2時間ほど遅れました。
この戦いはベルギー(当時はオランダ領)のワーテルロー近郊でイギリス・オランダをはじめとする連合軍およびプロイセン軍と、フランス皇帝ナポレオン1世の率いるフランス軍との間で行われたのですが、フランス軍が敗退しナポレオン最後の戦争になりました。これは胃潰瘍のためと言うよりも、一軍を任せていたエマニェル・ド・グルシー元帥との連携に失敗したり、天候の都合で攻撃開始を2時間遅らせたことが裏目に出て、敵の勢力の結集を許してしまったのも敗因の一つになっています。
(ワーテルローの戦い)
この2時間の間にイギリス軍は戦線を整備することが出来たので、ナポレオンのフランス軍は敗北したのですから、この2時間は軍事的にはまさしく決定的な2時間で、もしフランス軍がこのチャンスを逃していなければ、勝利はフランス軍の方に上がっただろうと言われています。
要するにワーテルローの戦いの勝敗を決したのはナポレオンの胃潰瘍にあったと、言うことにもなりますし、その後のヨーロッパの歴史をも変えた戦いだったのです。
退位したナポレオン一世はイギリスに降伏してセントヘレナ島に流され、1821年にこの島で亡くなりました。・・・
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