(138) 「象が来た日」 6月7日
日本に初めて象が来たのは1728年(享保13年)6月7日の事でした。この日インドシナ半島の交趾(こうち・ベトナム)から大象2頭が船で運ばれ長崎に到着しました。一頭は7歳のメス、もう一頭は5歳のオスでしたが、日本の気候が象には適さなかったのか、メスの方はその年の秋に死んでしまいました。
しかし、オスの方は陸路江戸まで行くことになりました。長崎出発は翌年3月14日、その一日の行程はせいぜい20キロほどで、超重量の象が通るというので、あちこちの橋を補強したり食料を用意したり、大騒ぎでした。江戸への途中、4月26日に京都に到着してひと休みしましたが、その時、中御門天皇はこの珍しい動物をご覧になって大いに喜ばれ、
ときしあらばひとの国なるけだものを
けふ九重にみるぞうれしき
と言う歌を詠まれました。
また京都では「象のかわら版」が出されて、それには
「象の大きさは長さ一丈(3m)、高さ五尺余(1・5m)あり、鼻は長く四尺(1・2m)もある。眼は笹の葉のごとく、すべて長い鼻を巻き伸べて食をとり水をのむ。足は柱のごとく太く、足指は見えず、栗のような爪五ツあり。尾は牛の尾のごとし。その寿命五百年をたもつ」
とあって、寿命が五百年とはちょっと大げさですが、初めて象を見た人々の驚きがよくわかります。
その後、象は東海道を通って江戸の浜御殿に到着し、時の将軍吉宗が江戸城大広間から象を見物しています。そのとき幕府お抱えの絵師「狩野元信」が写生した象の絵が残っています。 ↓
この象はその後、浜離宮で飼育されましたが、年間の飼料代が200両もかかり、食料の世話のほか、番人を殺すなどの事故があったため、民間に払い下げられることになりました。
。払い下げられた象は中野村の源助などが周囲に堀を巡らした柵内に、足には鎖を繋いで飼育しましたが、毎日大量に出る象の糞を乾燥して黒焼きにし、疱瘡(天然痘)の薬であると言って売り出して大もうけしたそうです。 しかしこれは糞ではなく涙だったという説もあります。
象の飼育舎は見物人で賑わい饅頭も売れたそうですが、一年後の寛保二年(1742)に象は死亡しました。長崎に上陸してから14年後のことでした。異国で孤独で死んだこの哀れな象は皮は剥がされ、頭蓋骨と牙、鼻の皮が中野村の源助に与えられ、いまも中野宝仙寺に象の骨と皮の一部が残っているとか。。
尤も、象が日本に来た記録としては、これより古いものがあります。
1596年(文禄5年)の夏にスペイン船が四国に漂着しましたが、秀吉はてっきりスペインが日本に攻めて来たものと勘違いして乗組員をみんな殺してしまいました。これを知ったマニラ政庁が乗組員の遺体の引き渡しを要求し、その代わりに象一頭を秀吉に献上しています。当時、俵屋宗達が壁に描いた象の絵がありますが、これは、この時の記録によるのかもしれません。
また、1813年(文化10年)にも3歳の象が一頭献上品として長崎にやってきています。そこでどう処置したらよろしいか、と江戸に照会したら、象は日本の風土になじまないから即刻送還せよ、との指示がきました。せっかく遠い日本までやってきたのに、この象は国外退去になってしまったのです。その時長崎の絵師が写生し、それだけが象の日本渡来の記念として残ったのでした。
。。。。
ところで、象の話で最も哀れをとどめたのは、戦時中の上野動物園の人気者・象の「花子」でした。
昭和18年になると、戦局は悪化の一途をたどり、本土空襲の恐れが出てきました。 そこで、万一帝都が空襲にあった場合、ライオンたちが逃げ出す危険性が考えられ、これに備えて、上野動物園の猛獣たちを処分する事(つまり殺すこと)が決められたのです。
その殺し方は「非常手段をとらず、穏やかな方法で処置した」と言うことになっていましたが、実際はかなり「悲惨な処分」だったようです。
昭和18年の8月から9月にかけて処分が行われ、まず8月17日に「北満ヒグマ」と「クマ」一頭が死にました。
(熊ン子)
翌18日には、エチオピア皇帝から天皇に贈られた「ライオン」に硝酸ストリキニーネを飲ませて殺すことになりました。 しかしさすが百獣の王だけあって、薬だけではなかなか死なない。そこで係員が涙を飲んで槍で突き殺したそうです。
(インドのタクシー・冷房完備)
ニシキヘビは思い切りよく首を切断したが、胴体はなかなか動きをやめず、心臓を取り出して見ると、2時間近くも動いていたとか。。
最も哀れをとどめたのは、子供たちに一番愛されていた三頭の象たちで、これは絶食させて餓死させることにしました。象は敏感な動物で、薬を飲ませようとしても、決して飲まなかったからです。
食べ物を与えられず、フラフラになりながらも、象たちは何か芸をすれば餌のジャガイモにありつけると知っていたので、よろめく足を踏みしめながら、象が芸をしてみせるのには、係員一同、涙なしには見ていられなかったそうです。
戦争とはひどいものです。人間の争いには何の関係もない動物たちにまで悲しい運命を背負わせてしまいます。
○ 「処分された動物たち」
【昭和18年8月】
17日 北満ヒグマとクマ
18日 ライオン、ヒョウ、朝鮮黒クマ
19日 北満ヒグマ
20日 朝鮮黒クマ、クマ
22日 ライオン(2頭)、トラ、チーター
24日 北極熊
26日 黒ヒョウ、ヒョウ、ガラガラヘビ
27日 ニシキヘビ、ヒョウ、マレーグマ、黒ヒョウ
29日 アメリカ野牛、北極グマ、象(ジョン)
【9月】
1日 アメリカ野牛
11日(象・花子)
23日 象(トンキー)
合計27頭