(99) 救国の少女「ジャンヌダルク」 5月8日
「ジャンヌ・ダルク」 は15世紀、イギリスとの百年戦争で活躍したフランスの救国の少女です。
1412年、フランス東部のドルメニー村の羊飼いの娘として生まれた「ジャンヌ」は子供のころから不思議な能力を持っていました。彼女はいつも自宅の庭で神の声を聴き、常人とは違ったイメージを持った娘でした。
そんなある日彼女は「オルレアン(フランス中部の都市)を救い、シャルルをフランス王にせよ」と言う神の声をはっきりと聴きました。当時は1337年から続いているイギリスとフランスのいわゆる百年戦争の末期で、フランスの国土は大半をイギリスによって奪われていました。
そのころフランス王「シャルル6世」の王妃は、なんと自分の子であるシャルルを放り出してしまったのです。そして王妃は敵国であるイギリスと王位継承権に関する条約を結び、イギリスのヘンリー5世の嫡子ヘンリー6世がイングランド王位とフランス王位とを継承したのです。しかしシャルルはれっきとしたシャルル6世の王太子だったので、自分でシャルル7世を自称しました。つまりフランスには二人の王様が居るというおかしな事態になりました。ジャンヌが聞いた神の声は「シャルルこそがフランスの正統の王であり、その王のために戦え」と言う意味だったのです。
ジャンヌは奇跡的にシャルル7世との謁見を許され、その超人的な能力により「軍司令官」となり、4000人の兵を率いてイギリス軍を攻撃することになったのです。神がかり的になったこの少女の前に、イギリス軍はほとんど無抵抗のまま敗退してしまいました。
陥落寸前だったオルレアン包囲戦では、わずか8日間でロワール河に陣取ったイングランド軍を打ち破り、1429年5月8日、イギリス軍はオルレアンから退却し、シャルル7世は目出度くフランス国王としてランスの大寺院で戴冠式を上げました。このときジャンヌはその国王のそばで軍旗を握り締め、この晴れがましい一日を過ごしています。
↑(男装のジャンヌ・ダルク)
そしてオルレアンでの劇的、奇跡的な勝利が、さらなるフランス軍の攻勢の発端となり、次々にイギリス軍を打ち破ってフランス領土を回復して行きました。フランス軍がパリへ攻撃を開始したのは1429年9月8日(パリ包囲戦)でしたが、この戦いでジャンヌは石弓の矢が当たって脚を負傷しましたが、最後まで戦場に残って軍の指揮を直接とり続けました。
しかし、翌1430年の5月23日、ジャンヌが率いる軍がマルニーの敵軍を攻撃したとき、この短時間の戦いでジャンヌは一本の矢を受けて馬から転がり落ちつつも、最後まで戦いを諦めませんでしたが、ついにイギリス軍の捕虜になってしまいました。
捕らえられたジャンヌは、異端の徒として宗教裁判にかけられて、火あぶりの刑になりました。時に19歳。死刑執行人はジャンヌの黒焦げになった遺体を群衆の前にさらけ出しました。そして黒焦げの遺体をさらに燃やして灰になし、橋の上からセーヌ川に流しました。ジャンヌが異端とされた原因は,彼女が男装していたからだそうですが、シャルル7世はこの時少しも救いの手を差しのべようとはしなかったそうです。何と不人情な。。
(火刑台のジャンヌ・ダルク)
ジャンヌ・ダルクは戦場での男性からの性的暴行から身を護るために男装をしていたのですが、魔女として処刑されたため、その後ずっと魔女のままになっていました。しかし1456年7月7日に復権裁判法廷はジャンヌの無罪を宣告し、さらに1920年5月6日に、ローマ教皇によって名誉を回復して聖人に列せられています。
ジャンヌが採用した積極的な砲火の集中と正面突破作戦が、その後のフランス軍の戦術に影響を与えたそうですが、この不思議な巫女「ダンヌ・ジャルク」によってフランスのナショナリズムの基礎が築かれ、彼女は救国の少女として今なお、フランスの国民的ヒロインとなっているのです。
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