(19) 「へっちぃさん」
漱石の猫の話が出てきたついでに、その黒猫が死んだ「へっつい」について少々。。
炊事用のカマドやクドのことを佐賀では「ヘッチイさん」と呼ぶ。「へっつい」と言う言葉は、関西の言葉だそうだが、「吾輩は猫である」で有名な夏目漱石の実際の飼い猫の「猫の死亡通知」にも、へっついと言う言葉が出てくる。
「辱知猫儀、久々病氣のところ療養相かなわず昨夜いつの間にか、うらの物置のヘツツイの上にて逝去致し候」
とあるから、「へっつい」と言う言葉は、あながち関西だけの言葉でもないようだ。
ついでながら、漱石の猫は小説の中では、主人のビールを盗み飲んで酔っ払ってしまい、水がめに落ちて溺れてしまうことになっている。
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* 「吾輩の最後」 小説の本文より
吾輩はクシャミ先生のコップの中のビールを飲んで、酔っ払って水カメに落ちた。
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水からカメのふちまでは4寸余もある。足をのばしても届かない。飛びあがっても上がれない。もがけばガリガリとカメに爪が当たるばかりで、すべれば忽ちぐっともぐる。潜れば苦しいのですぐがりがりをやる。そのうち体が疲れてきた。気は焦るが足はさほど利かなくなる。ついにはもぐるためにカメを掻くのか、掻くために潜るのか自分でも分かりにくくなってきた。・・・
もうよそう。勝手にするがいい。
ガリガリはこれ位にして、前足も後ろ足も頭も尾も自然の力に任せて抵抗しないとにした。
次第に楽になってくる。苦しいのだか有難いのだか見当がつかない。水の中に居るのだか、座敷の上に居るのだか、判然としない。どこにどうしていようが差支えない。ただ楽である。いや楽そのものすら感じ得ない。
日月を切り落とし、天地を粉砕して不可思議の太平に入る。
吾輩は死ぬ。 死んでこの太平を得る。
太平は死ななければ得られぬ。
南無阿弥陀仏々々々々々々。 有難い々々々。
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* 漱石の黒猫の死に際して松根東洋城が俳句仲間の高浜虚子に対して電報をうった。 これに対して、虚子も返電を打っている。
センセイノネコガシニタルヨザムカナ 東洋城
ワガハイノカイミョウモナキススキカナ 虚子
猫がへっついの上で死ぬとそれまで冷淡だった漱石の妻の鏡子さんが、わざわざその猫の死に様を見に行き、庭の一隅に墓標を立てて、何か書いてくださいと漱石に頼んだ。
そこで漱石は表に「猫の墓」と書き、裏に「この下に稲妻起こる宵あらん」と書きつけた。漱石の四女だった「愛子」さんが墓標の横にガラスビンを二つ置いて、萩の花をさし、猫に供えた茶碗の水を飲んだ。(*どうしてかなぁ?)
奥さんは花も水も毎日取り替え、命日には鮭とかつお節を供えた。しかし、そのうちいつの間にか庭までは出てこなくなり、茶の間のたんすの上に置くようになってしまった。。。
← 「猫の墓」
漱石山房に残るねこ塚。
漱石没後40年の1953年の撮影。
モンペ姿の小学生が珍しいですね。
ちなみに「へっつい」のことを京都地方では「おくどさん」と呼ぶそうだ。今の佐賀では「へっつい」も「くど」も「かまど」もみんな同じように使われている。
母の実家は農家だったが、里帰りで盆暮れにはよく連れて行って貰った。昔の農家では、門口を入るとすぐに広い土間があり、そのまま裏口の川端に続いている。その土間の右手に座敷や居間の部屋があり、左手にヘッチイさんが鎮座しているいわゆる「釜屋」がある。釜屋とはいわば炊事場とでもいうべきか。。
「釜屋」は、もともと牛馬の食べ物を煮る七升鍋、飯炊き用の羽釜、煮しめ物やみそ汁用の鍋や茶釜用の大小のカマドが別々に並んでいた。これらのへっちいさんは赤土をこねて作られているが、これは縄文・弥生時代からのカマドの構造で、シランの子供の頃の母の実家では大釜用と羽釜や鍋用のカマドが全部一つになっており、真ん中に茶沸かし用の茶釜のくどがついていた。中間の中釜を使うときは、鉄の鋳物の「釜輪」を段々に重ねて焚くのである。
焚き物は山村では芝や薪だが、平野部では主に稲藁や麦わらを燃やしていたが、そのほか割れ木や豆ガラ、など燃えるものはなんでも使った。炊事が終わり、燃えカスの「オキ」が出来るとこれを火消しツボに入れて火おこし用の消し炭や自家用の火鉢の木炭にする。
冬は子供までみんなへっついさんの前に集まって、暖をとる。燃料はただだし、遠慮なくどんどん燃やし、隣近所も遠慮なく集まってきて世間話に花が咲く。特に子供はよその釜屋でも天下御免で勝手に入り込み、ワラで編んだ円座に座って、降りしきるボタ雪を眺めるのも、中々楽しいものだった。
どこの農家でも縁の下に飼っている鶏の卵を採ってきて、卵飯や里芋の味噌汁を食べ、サツマイモや餅を藁の中に投げ込んで焼いて食べるのである。子供は冬は火が恋しくて親より早く起きだして、飯を炊く。火鉢の中の埋もれ火から硫黄のついた「つけ木」で火を採り、藁に火を点ける。へっちいや釜の底のは真っ黒いヘグラ(スス)がこびりついていた。
画 ・ 南窓さん
しかし、我が家は農家ではないので、かまどは鉄製のが二つ並べてあった。梱包用の木箱を壊した板切れをくべて焚く。水道は井戸端に一つしかない、他は洗面、洗濯、風呂水とみんな井戸の水を使う。夏は残りご飯をざるに入れて、井戸の中につるして冷やしたり、井戸水を汲んだバケツに西瓜を冷やして食べたり。。
幼いころは、電灯は座敷と居間だけしかない、台所の格子窓にまだガラス製のランプや提灯がぶら下げてあったり・・
そうだ、ライオン歯磨きの紙袋と竹製の歯ブラシがが棚の上に置いてあったっけ。。
今はピカピカのステンレスの時代、泥くさい「へっちいさん」も文化的なきれいなガスレンジに変わってしまった。
思えばすでに一世紀近く、世の中、変われば変わるものだ。