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Channel: 95歳ブログ「紫蘭の部屋」
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(94)アヤメとカキツバタ

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         (94) アヤメとカキツバタ

     ○ 「あやめ」

            【アヤメには紫色の花びらに網目模様があります】

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  あやめ(文目)は山野の乾いたところに生育しているアヤメ科の多年草です。
 葉は直立していて高さは40~60cmぐらい。花は5月ごろに径8cmほどの紫色の花を1~3個付けます。

        前の方に垂れ下がった花びらに網目模様があるのが特徴です。

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       ○  「杜若・かきつばた」

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    【かきつばたには紫色の花びらに、網目模様でなく、黄色い筋が一本あるだけです】

 カキツバタ は「杜若」とか「燕子花」と書きますが、日本や朝鮮、満州などの沼沢
地に自生するアヤメ科の多年草です

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 むかし、衣に色を摺りつけて使ったので「書き付け花」と言っていたのが「カキツバタ」となったと言われています。アヤメより少し遅く、6月ごろに紫色の花を開きますが、園芸種には白や紫に斑にある花もあるようです。

 古くから美しさのたとえに「いずれアヤメかカキツバタ」と言う諺がありますが、
両者はよく似ています。
 その違いは「アヤメ」の葉の幅が1センチなのに対し「カキツバタ」の葉の幅は3センチほどあります。また、「あやめ」の花びらには網目模様がありますが、「かきつばた」の花びらには縦に黄色い筋が一本あるだけです。


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        息つめて莟(つぼみ)をきるやかきつばた     梅室



 *昔、日本一の美男子と謳われた在原業平(ありひらのなりひら)が、都に愛しい妻を残して東へ下る途中、カキツバタの名所・三河の国の「八橋」で昼飯を食べているとき、従者が「カキツバタと言う五文字をそれぞれの句の上に置いて旅の心を歌に作ってください」と頼みました。
 そこで業平は(かーきーつーばーた)を入れて

        からころも きつつなれにし つましあれば
            はるばるきぬる 旅をしぞ思う

  と、詠んだので
 「みな人、干飯(ほしい)の上に涙おとしてほとびけり」 と、伊勢物語に書いてあ
ります。

  「ほとびる」とは水分を含んで膨れる。ふやける。と言う意味ですが、この潤びるという言葉は方言とばかり思っていましたが、標準語だったんですね。

 子供の頃、何時までも風呂に入っていると、母から 「早う上がらんば、ほとびて
しまうばい」 と、叱られたことがあります。
 




(95)ハナショウブ(花菖蒲)

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           (95) ハナショウブ(花菖蒲)

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   「ハナショウブ・花菖蒲」 アヤメ科の多年草で、野花菖蒲の園芸種です。

* (一般にショウブと言うと、ハナショウブの事ですが、五月の節句のときの菖蒲湯に使われるショウブ(菖蒲)は、サトイモ科に分類される別種の植物です。菖蒲の花は蒲の穂に似た地味なもので、観賞用には耐えません。)


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 ハナショウブはアヤメやカキツバタに比べて花も大きく、色も白や赤紫、白紫が多く、派手な風姿なので比較的見分けがつきやすいです。
 また、花菖蒲は葉の中央を通る中脈が目立って高くなっているので、カキツバタやアヤメと区別ができます。


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              紫のさまで濃からず花菖蒲    久保田万太郎

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 「花菖蒲」にはとても種類が多く、様々な色合いの花があります。
 およそ500年前の書物に初めて「花菖蒲」の名前が記されていますが、現在のハナショウブは山野に自生している赤紫色の「野菖蒲」から改良されたものです。

 はじめ、江戸・麻布の旗本「松平金吾」が自ら「菖翁」と号し「野ショウブ」を栽培して改良に努め、さらにこの改良された花の数種が細川公の所望で熊本に渡り「肥後菖蒲」になりました。 
 その他、江戸系、伊勢系、肥後系に大別され、夫々に多くの品種が生まれています。


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                   ↑  これは黄ショウブかな?


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   *今日は曇りがちの典型的な梅雨空で肌寒いくらい、長袖を着ました。
    でも、風は爽やか、空気もさっぱりとして気持ちがいいです。

  三年前の母の日に息子から送って来たミゼットカサブランカの花が、不意に一輪だけ咲きました。
  一輪だけに、充実したのかミゼットとは言えないくらい大輪になりました。
  花径が18センチもあります・・





    

(53)梅ちぎり

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              (53) 「梅ちぎり」 

 今の季節、スーパーに行くと梅やガラスビン、焼酎などがいっぱい並んでいる。果実酒の季節だ。
 うちでも昨年までは梅の塩漬けと梅酒を作っていたが、さすがに今年は家内ももう体力が続かないようで、漬ける気配はない。梅漬けに使う紫蘇モミが案外体力を使うようである。

 
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  昔の農家にはどこでも果樹を何本か植えていていた。今のようにスーパーや果物屋はないので、自分の家に自生している果物をちぎって食べるのである。もちろん、今のように甘くておいしいものではない、ほとんど野生に近いものなので酸っぱかったり固かったり・・でも、子供たちは喜んでガリガリ食べていた。
 柿はもちろん梨や葡萄、蜜柑などはどこの農家にも植えてあった。野菜同様、果物も自給自足だったのだ。


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          夕日いま 高き実梅に 当たるなり     星野立子


 街の子は、家にそんな果樹は植えてないので、近くの家の柿を盗み食いしたり、桑の実やグミの実をちぎって食べた。昔の子供が木登りがうまくなるはずである。子供はいつでも、高い所に上がるのが好きなのである。紫蘭も小さいころはよく庭にあった柿の木や楠の木に登ったり、枝にぶら下がって遊んだものだ。柿の木はもろくて折れやすいので、あまり上には登れないのだが。。

 先日、同窓会に枇杷とスモモを持ってきた友達の家はもともと農家なので、枇杷、スモモのほか柿の木とイチジク、夏ミカンやグミ、などを植えているそうたが、梅の木はどこの家にも2,3本は植えてあった。梅干しの自給のためである。


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                                                     (グミの実)


 子供は買い食いの小遣いが無いので、梅雨の頃には青梅をちぎって塩をつけて食ったものだ。未熟な青梅は毒になるとは知っているが、子供は食べごろを知っていて器用に見分けて食べていた。
 梅の実の収穫は、木の下にムシロを何枚も敷き、竹竿で叩き落とすのである。子供は日ごろ木登りで鍛えているので、木の上から高い枝をゆすって加勢する。


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                                                      【画・南窓】


 「梅干し」という佐賀の民謡に「わたしゃ藪梅 揺り落とされて・・」と言う文句があるが、このことを言うのだろう。

    民謡 「梅ぼし」

     ♪ しわはよれども あの梅ぼしは
       色気はなれぬ すいな奴
       わたしゃ藪梅 ゆり落とされて
       紫蘇となじんで 赤くなる
       今は梅干し 昔は花よ
       うぐいす鳴かせた ときもある


 「梅ぼし」は都都逸風でなかなか節回しが難しい歌だが、幼馴染の友達が酒席でよく歌っていた。
芸者さんの三味線を横取りにして、渋いのどを聞かせていたが、若くして肺癌で亡くなってしまった。薔薇が好きで畑いっぱいにバラ園を作っていた。よく脚立に乗って、ホースを引っ張って消毒をしていたのだが。。

 あるいは長年、消毒用の農薬を吸い込んだために肺がんになったのかも知れない。
 せっかく愛したバラの花が、逆にあだ花になったのか。。

  



(96)スイカズラ

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     (96) 「スイカズラ」

                     【珍しい形のスイカズラの花】 

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  「スイカズラ」は常緑のつる性植物で野原や空き地のどこにでも見られます。
 五月ごろに花が咲き甘い香りがあります。長さ5センチくらいの筒状の花は、は
じめ白くて段々に黄色くなります。ですから、ちょっと見ると別の色の花が混じっているように見えます。そこで「金銀花」と言う別名も生まれました。

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 一方、冬でも寒さに耐えて生い茂るので「忍冬・ニンドウ」と言う別名もあります
。 
 スイカズラとは「吸い葛」の意味で花を口に含んで吸うと、香りのよい甘い蜜が
吸えるので「吸いかずら」の名前が付いています。
 砂糖のなかった古代日本では砂糖の代わりにされていたそうです。
 つぼみは「金銀花」という漢方薬として使われて、抗菌、解熱作用があるそうです。


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   *朝は細かい霧雨が降って居ましたが、どうやら少し明るくなってきました。
    明日は晴れるといいなぁ。。

 麦秋の田んぼも、あっという間に田植えが終わり、さみどり緑色に変身しました。
 機械化のおかげですね。。

 中学生時代、戦時中の勤労奉仕で、出征兵士の居る農家に、田植えの手伝いに行ったのを思い出します。 腰が痛かったなぁ。。


(97)山のツツジ

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         (97) 山のツツジ
 
     ①  「ミツバツツジ」

 ミツバツツジ(三葉ツツジ)はツツジ科の落葉低木で関東・近畿の太平洋側に分布し、主にやせた尾根や岩場や、里山の雑木林などに生育しています。。

 4~5月頃に咲く紅紫色の花が美しく、花が終わってから葉が出てきます。
 枝先に三枚の葉がつくことから、三つ葉つつじの名前がつきました。

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                        (愛媛・銅山越え)

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         ②  「アケボノツツジ」

 「アケボノツツジ」 は紀伊半島と四国に分布するツツジ科の落葉低木で、石鎚山の1700m付近から、山頂にかけての急崖地に生育しています。

  アケボノツツジは5月ごろに、葉を開く前に美しいピンク色の花を咲かせます。花は枝の先に1つ付き、直径は5cmほどで、全体に丸みがあって優しい感じの花です。


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                   (四国・石鎚山東稜)


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                       (四国・ 筒上山)

   
   ③ ミヤマキリシマ

 ミヤマキリシマ(深山霧島)はツツジ科の落葉低木で、名前のように九州のキリシマ山のほか阿蘇、九重ウンゼンタケなど九州の鉱山に分布しています。
高さは1m程度の低木で、花は5月下旬から6月中旬ごろに、枝先に2,3個ずつ薄い紫紅色の花をつけます。

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                                         (九重・北大船山) 山頂のミヤマキリシマ


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                                               (九重・三俣山)


 1866年に坂本龍馬が新婚旅行で霧島を訪れた際、姉に宛てた手紙の中で「きり島つゝじが一面に生えて、綺麗だ」と書いて居ます。また、1909年に同じく霧島に新婚旅行で訪れた植物学者の「牧野富太郎博士」がこれを発見して、「深い山に咲くツツジ」という意味で「ミヤマキリシマ」と命名したそうです。

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                     (九重・平治岳山頂)


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                     ( 阿蘇山・仙酔峡 )


(98)オランダガラシ(クレソン)

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                      (98) オランダガラシ(クレソン) 

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 「オランダガラシ」は欧州の原産でアブラナ科の多年草、明治初年に日本に渡来しました。
 別名を「クレソン」と言い、5,6月頃に、茎の先に白い小花を咲かせ、その後細いさや状の種子をつけます。

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 フランス語では「クレソン」と呼ばれて、ステーキなど肉料理の付け合せやサラダにして食用にされています。「クレソン」別に何も加工せずにそのまま食べられるので、急場の酒のつまみにもなります。
 
 清流を好むと言われ、繁殖力が旺盛で、茎を水に付けておくだけで根が出てきて
不生育します。
 よく小川の縁にこのみずみずしい花の塊があちこちに見られます。


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         【派手な花ではありませんが、清流を好むだけあって花もさわやかです】

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  *梅雨寒むというのかな・・今日は半袖では肌寒い。
   と言っても、梅雨明けの蒸し暑さよりは、ま、いいか。。

   
       きのふ拭き今日もまたかびぬ舞扇      武原はん
   

(54)田植え女

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         (54) 「田植え女」

  ついこの間まで麦秋の田園風景だったのが、あっという間にもう薄緑のじゅうたんのようになっています。農作業もすっかり機械化されて、ほんとに便利になりました。

 今は農村にも田植え機械が普及したので、田植えもわずか一週間ほどで済みますが、昔はどこも人の手で苗を一つずつ(と言っても数本が束になっていますが・・)植えていました。佐賀平野は肥沃でコメも良く採れます、それにどの農家も水田が広く、短期に済ませねばならない田植えの時期には人手が足りません。そこで、佐賀平野の田植は、人手不足を補うために山間部の農村からくる出稼ぎの娘さんたちを雇いました。

 彼女たちの事をこちらでは、田植え加勢(手伝い)と言い、昔の佐賀平野の田植えはこの「田植え加勢」の彼女たちによって支えられていたのです。
 山の方は気候の関係で平野部よりも田植えの時期が早く、自分の家の田植えを終えた農家の娘さんたちが田植えの加勢(手伝い)にやってくるのです。 山の方から順番に下流の農家の家に下って行きます。

 山間の農家の娘さんたちは4,5人で組を作って予約した農家に泊まります。
 彼女たちは平野部の農家が驚くほどの田植えの名人で、一人で一日に一反(10アール)を植えますから、二町歩の田んぼでも四、五人で4日間で植えてしまいます。
 その間,頼んだ農家の女衆(オナゴシュ)は、苗取りから苗運び、馬と人間の炊事から田植え女の寝泊まりの世話まで、てんてこ舞いの忙しさです。


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                        【 画・南窓 】

 一方、男衆(オトコシュ)はその間、馬を叱咤して,戦場さながらの代かきの作業に当たります。代掻きのあとは田植え綱を張る前に、苗の束をあちこちに放り投げて塩梅よく配置します。また、後すざりして、植えて行く田植え女の手の中の苗が少なくなったのを見計らって、その女の足元に苗を投げてやるのはなかなか頭の要る仕事でした。

 もともと田植えは全国的には前に進んで植えて行くのが普通ですが、佐賀平野を中心に、福岡、長崎、熊本などの有明海沿岸地方では、田植えの際に、あとすざり(後退)して植えていくのです。
 あとすざりしながら植えていく田植え女のお尻はたくましくて、赤い腰巻が目に焼き付いて、子供でも胸がときめきます。

 田植え女を雇った農家の親父さんは、この中から息子の嫁を・・と、彼女たちのお尻に目を光らせます。 24時間起居を共にするので、気心も分り、縁談成立も多かったようです。

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  娘さんはオヤジさんのおメガネ通り、よく働き、七人も八人も子供を産んで、大和撫子として、「産めよ増やせよ」の当時の国策に応えました。
  ほんとに田植え女は田も作り、子も作るヨカ嫁さんでした。

 田植えと言えば、戦時中の中学時代に勤労奉仕でよく田植えや稲刈りに行かされました。
 出征兵士の留守宅の農家に、お手伝いに行くのです。田植えの時は、右手の親指三本で苗を握り、泥の中に植えこむ寸前に親指を話して、人差し指と中指の2本で苗を挟んで植えこみます。
 うまく植えないと、苗が横倒しなって浮き上がってしまいます。それに田植え綱は張ってあるものの、苗の列がゆがんでしまい、なかなか真っ直ぐになりません。後で農家のオバさんは改めて植え直したりしたのかも知れませんね。。

 何しろ素人の少年ばかりですから、 かえってありがた迷惑だったかも・・と思いながらも、
 足にはヒルが吸い付いて血を吸われるし、腰の痛かった思い出だけが残っています。

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(55)沖縄戦最後の日

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     (55)  「 沖縄戦最後の日 」

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                            (平和の礎)   友人です。

 今日、6月23日はは沖縄・慰霊の日ですね。あれからもう、70年も経ってしまいました。
 昭和47年に沖縄が返還される10年ほど前に、沖縄に行ったことがあります。
まだ、為替が固定相場で1ドルが360円の時代、日本で一万円していたウイスキーのジョニーウォーカーの黒が、空港の免税店では半額の5千円でした。一ドルが100円の現在、ジョニ黒も3千円くらいになり、しみじみと時代の変遷と、日本経済の復興を痛感します。

 当時の沖縄には観光資源もなく、見物と言えば沖縄戦の戦跡巡りばかりでした。
 ひめゆり部隊の最後の地だった洞窟の前にバスが着くと、小さい体の粗末な着物を着た沖縄の女性たちが、窓から花束を買ってくれと、我先きにと手を差し伸べていたのを忘れることが出来ません。結縄はまだまだ貧しかったのです。
 本島最南端の「摩文仁の丘」の洞窟に着いて、ここが日本軍司令官中島中将が自刃したところと知りました。 なんとも切ない複雑な気持ちで一杯でした。

  70年前の今日、昭和20年6月23日、沖縄方面軍司令官牛島中将が「摩文仁の丘」の洞窟内で自刃して、日本軍の組織的な戦闘は終わりを告げました。
 沖縄戦は大本営にとって本土決戦の捨石であり、切り捨てられた沖縄守備軍と沖縄住民の犠牲は、今次戦争においては際立って大きなものでした。

       ・・・・・
 
 1945年(昭和20年)4月1日の朝、沖縄西方から押し寄せたおびただしいアメリカ軍艦艇から数百の上陸用舟艇が沖縄本島の中ほどにある「北谷の浜」に向かってまっしぐらに進攻を開始した。
 沖縄守備軍第32軍司令官であった牛島満中将は、日米の戦力の差を考えて水際
作戦をあきらめて、海岸線の陣地を撤収し、散在する洞窟を陣地として戦い、本土決戦を遅らせようという持久作戦を採った。

 米軍の敵前樹陸はいわば無血上陸であったが、これに怒った大本営は強く出撃を命じ、4月13日、14日の両日、日本軍は総攻撃を行ったが、これは失敗に終わった。ついで5月4日にも総攻撃を行ったが、米軍の圧倒的な火力のためにこれまた失敗に終わってしまった。


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 その後、アメリカ軍が上陸してからの2ヶ月間は、沖縄は血と硝煙で煮え立った地獄の島であった。山は裂け、谷は吹っ飛び、すべての物は焼けただれ、止むことのない砲爆撃の轟音と地響きの中に、戦争という悪魔が狂い回ったのである。
  この小さい島の中で、1万2千人を越える米軍の戦死者を含めて、なんと20数万の人間が阿鼻叫喚の地獄の中でのたうち廻って死んでいった。
 
 最もすさまじい悪魔の日々は、6月中旬から下旬にかけてであった。
 5月下旬に首里の日本軍が南に向けて退却を始めてからは、軍司令部は摩文仁(まぶに)という小部落に移り、日本軍は北側から攻め寄せる米軍にじりじりと押されて、島の南端まで追い詰められてしまった。
 
 この時、ともに散ったのが沖縄県立第一高女と沖縄女子師範の生徒・職員たちである。彼女たちは、みな従軍看護婦として野戦病院に勤務し、軍と行動を共にしていた。最後に糸満市伊原の洞窟に立てこもり、みんな自決して果てた。その数、158名といわれている。
 
 これらの職員生徒らを「ひめゆり部隊」と呼び、それが合祀されて建てられたのが「ひめゆりの塔」である。ひめゆりとは、沖縄第一高女の校章「乙姫」と女子師範の校章「白百合」を合わせて、「ひめゆりの塔」と名づけられたという。
 
 かくて6月23日、牛島司令官は摩文仁の丘の洞窟内で自決して、日本軍の組織的戦闘が終わった。 牛島司令官の辞世の歌が当時の自分の日記に載っている。
   
  ○ 「昭和20年6月21日」の日記に
 
    特攻隊、何たる世紀の悲壮ぞ!
     6月20日、沖縄最後の突撃決行!
 
           沖縄方面軍司令官・牛島中将     「辞世」
    
           秋を待たで枯れゆく島の青草は
           皇国(みくに)の春によみがえらなむ
     
                                    とある。。


          (沖縄で戦死した学友の矢野君の刻銘を探す)
                       「平和の礎」   友人のK君です。

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  彼、Kも見習士官として広島に配属中、原爆の洗礼を受けた。
  学生時代、矢野とKは同じ下宿にいて特に親しかったが、
  片方は21歳で沖縄で戦死し、片方は原爆で傷つきながらも91歳まで生き延びた。

       人生とは実に不可思議なものだ。。

      ・・・・・・



(56)アメリカデイゴ

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      (56) アメリカデイゴ   


                 【真紅の花が目立つアメリカデイゴ】

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  アメリカデイゴ は南アメリカ原産の落葉低木で、日本では庭木として使われて
います。
 花期は6月から9月ごろまでですが、真っ赤な花はいかにも夏らしい雰囲気がし
ます。
 豆科の植物で、別名を「海紅豆・カイコウズ」といい、これは「海外から来た
赤い豆」と言う意味です。
 

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 アメリカデイゴ は寒さに弱いので関東以南でしか栽培できません。
 鹿児島県の県木になっていて、またアルゼンチンの国花でもあります。


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*明日からまた雨が続くという予報なので、朝8時過ぎに公園まで蓮の花を取りに行きましたが、
 紅蓮はまだでした。  でも睡蓮がいっぱい。。

  ついで佐賀城の堀端に行ってみたところ、蓮の花がだいぶ咲いて居ました。
  八重咲きの白い蓮の花が珍しかったです。

  

(57)あじさい

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         (57) あじさい (藍色)

    毎日の梅雨空ですが、梅雨には紫陽花がよく似合います。

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 「アジサイ」はユキノシタ科の常緑低木で、日本特産の植物です。
 アジサイの花は咲き進むにつれて色が変わるので、「七変化」と言う別名がついています。

  あじさいにはいろいろな色と、品種があります。
    青、赤、白、薄緑、藍色、
    あじさい、山アジサイ、西洋アジサイ、ガクアジサイ、シチダンカ・・・

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                               【憂いを含むアジサイの花】
    
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                 明日知らぬ命のきわに思うこと
                      色にいずらむあじさいの花       有島武郎 
    
 
 紫陽花は日本原産で、幕末にシーボルトが来日したとき、このアジサイが好きで、愛人だった長崎丸山遊郭の遊女「お滝さん」の名をとって「オタクサ」と名づけて西洋に紹介しました。
 以後、西洋で改良された園芸種が、いろいろな品種と色合いの「セイヨウアジサイ」として、日本に逆輸入されました。



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         【目が覚めるような藍色でした】 
           アジサイは、やっぱり藍色が一番似合うようです。
 
     
       紫陽花の藍をつくして了(おわ)りけり    安住 敦

 
  * 雨の予報でしたが、案に相違して薄日も漏れてきました。
     部屋の掃除機かけから、ベランダの雨樋の掃除、
     脚立を出したついでに浴室の電球をLEDに取り換え、
     エアコン二台のクリーナーの掃除、年に二回だけなので取り付け方に戸惑いました。
     やれやれ。。
   



       

(100)アジサイは色もいろいろ

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       (100)  アジサイは色もいろいろ

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    【あじさいの色もさまざま七変化】 

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 紫陽花の色はさまざまですが、これは土壌の質によるもので、アルミニュームの吸収の程度によると言われています。
 中学の化学の時間に習ったリトマス試験紙とは逆に、土壌が酸性だと青色になり
、アルカリ性だと赤い花になります。 
 酸性の土にあるアルミニュームは吸収されやすいので青くなり、アルカリ性だと
アルミが吸収されにくいので赤くなるのだそうです。

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       紫陽花や縹(はなだ)の露のありどころ     大谷可津子


    【白あじさい】   

  純白のアジサイもきれいですね。。
 アジサイは土質でも色が違いますが、花のはじめは葉緑素が入っているので薄緑
色ですが、だんだんに花が【実際はガク】が大きくなるにつれて葉緑素が分解されて赤や紫に色変わりしてきます。

 

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  花の盛りが過ぎると、再び薄い色になり、きれいな青色の花は紫色になってきます。
 これは花の酸性度が強くなってきたからです。
 はじめから終わりまで白いアジサイはどうなのか・・しらんです。


       傘重しアジサイどきの出あるきに    遠藤正年


  
   

(101)ガクアジサイ

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          (101) ガクアジサイ

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 「ガクアジサイ」は本州の太平洋に面した房総、三浦半島、伊豆諸島などに自生している日本特産のアジサイです。「ガクアジサイ」という名前は「額アジサイ」という意味で、周囲に装飾花がついていて、ちょうど絵の額のように見えるからです。 

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 いろいろあるアジサイはみな、このガクアジサイから出たもので、いわば紫陽花の祖先とも言うべきものです。
 日本古来のアジサイは「ガクアジサイ」でしたから、アジサイを西洋に紹介したシーボルトの愛人、お滝さんもきっと「ガクアジサイ」のような気品と色気を持った美人だったに違いありません。


            あじさいや よれば蚊の鳴く 花のうち    暁台

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 あじさいの色はさまざまですが、ガクアジサイも白、ピンク、藍色といろいろあります。 或いは白から、青、ピンクと変わって行くのかも知れません。
 アジサイと同じく,土壌が酸性かアルカリ性によっても違うようですが・・

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              「シチダンカ」

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「シチダンカ」は山アジサイの一種で、アジサイのまわりの装飾花が八重になっているものです。
 シーボルトが「オタクサ」として西洋に紹介したのがこの「シチダンカ」と言われています。 
 1959年、神戸の六甲山中で発見されるまでは「まぼろしの花」と言われていましたが、 
 最近は園芸種として全国に出回っているようです。


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 花柄が長く、白い花(実はガク)が八重になっているので、「七段花」と言うのでしょう。
  少し紅を含んだ白色のシチダンカはとても清楚できれいですね。 
  お滝さんも、恐らくこんな可憐な美人だったのでしょう。

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 *今日は晴れるかと思っていましたが、一日中シトシトと降り続いて居ます。
  地場スーパーへの買い出しも、少々方が濡れました。
  でも、ビールも二ケース買ったし、ガマン、ガマン。。


(102)サフランモドキ

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         (102) サフランモドキ

        【すっきりしたピンク色のサフランモドキ】 

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 「サフランモドキ」はメキシコや西インド地方が原産のヒガンバナ科の多年草です。
江戸時代の終わりごろに日本に渡来した時は「サフラン」そのものと間違われていました。

 花は色は違いますが「サフラン」そっくりで、6センチほどの淡いピンク色で、とてもすっきりとした色合いのきれいな花です。


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 梅雨時に野原を歩いて居ると、今まで何もない草むらだったところに突然に花だけが咲きだしているのに驚かされます。
 雨のあとで地下の球根が湿ると、一斉に花を付けるのだそうで、一名「レインリリー」とも呼ばれています。

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     *   「サフラン」  ↓

  サフランモドキは「夏の花」でピンク色、【おしべが黄色い】ですが、「サフラン」は秋に咲き、紫色の花で【しべが赤い】のが相違点です。

 サフランの赤いめしべ からは、高貴薬が作られるので、古代の西欧では珍重されていました。
 日本では、今でもお湯に煎じて咳止めやも強壮薬に使われるとか。。

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*朝、さっぱりと秋の空のように晴れあがりましたが、日中の暑いこと。。
  洗濯物を取り込むのに汗が出ました。

  窓々を開け放って、乾燥した風をとりいれました。
  明日からまた雨だそうで。。

(103)オオキンケイギク

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             (103) オオキンケイギク
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 最近、野原や土手などにこの黄色い花が目につきます。
 オオキンケイギク(大金鶏菊)と言い、キク科の多年草で北アメリカの原産の帰化植物ですが、黄花コスモスに似て花が美しいので園芸用に栽培されました。その栽培されていたものが野生化して今では河原などに繁茂して各地に広がりました。


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 しかしあまりにも繁殖力が強く、在来の植物に与える影響が強いので、「特定外来生物」に指定されて、栽培や販売は原則禁止になりました。ですから庭や花壇に植えてはいけません。

 野生化したオオキンケイギクは昼間の草むらに群生していて、黄金色の花がまぶしい位に、夏の陽に映えています。

               【黄色が目に沁みるオオキンケイギク】 

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     *世の中、いろんなことが起こりますね。
       新幹線の中で焼身自殺とは。。
       乗客はもちろん、これから家族もたいへんだ。。




(104)ハーブの花

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    (104) ハーブの花

 最近はハーブが流行っていますね。
一般的に料理の香り付けや保存料、薬、香料、防虫などに使われるそうですが、紫蘭は使ったことはないし、関心もないですが、薬草園の花壇に咲いていたので、撮ってみました。

       ベルガモット(モナルダ)

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 「ベルガモット・モナルダ」はシソ科の多年草で背丈は1mくらい、原産地は北アメリカです。初夏から夏にかけてすっきりしたピンク色や緋色の花を、枝の先端にぐるりと取り巻いて咲かせます。赤い花の様子がタイマツのようなので「タイマツ花」の別名があります。ハープの一種で、葉っぱをお茶にしたり、料理の香りつけに使います。


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      (赤色)

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    ↓ 「オニサルビア」

 「オニサルビア」は別名「クラリーセージ」といい、ハーブの一種です。
シソ科の二年草で、南ヨーロッパから西アジアの原産。背丈は90センチくらいで5月~7月にかけてピンクや紫色の花をつけます。 


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 葉から採る精油は、消化不良や強壮剤として薬用にしたり、調味料としてスープに入れて食べます。 民間療法として、種子を目薬に使ったりもするそうです。


       ↓ バラの花  「プリンセス・アイコ」

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 薬草ではありませんが、隣のバラの花壇に「プリンセス・アイコ」と言う名前のバラが咲いて居ました。 愛子様がお生まれになった時に誕生した新種の薔薇でしょうか。。


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       *夜来、激しく降った雨もようやく止み、さきほどから薄日が漏れてきました。
      窓を開けると、もう7月だというのに、爽やかな風が吹いて居ます。

      若葉の候ならさしづめ「青嵐」とでもいう爽やかな風です。
      雨に洗われた緑の木々を吹きわたって、心地よい風が吹き抜けていきます。


         夏嵐 机上の白紙 飛び尽くす        正岡子規

          昼から月一の検診です。
      


(105)半夏生(ハンゲショウ)

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              (105) 「半夏生・ハンゲショウ」

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 今日は7月2日、暦の上では「半夏生」です。
夏至から数えて11日目をハンゲショウと言い、農家ではこの日を田植えや畑仕事を終える目安にしています。  この時期に生える植物が「半夏生」です。


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 「ハンゲショウ」はドクダミ科の多年性落葉草本で、北海道を除く日本、中国などの主に水辺や湿地帯に自生しています。

 夏至を過ぎた頃に長さ15cmほどの穂状の花序を葉の付け根につけ、花びらを持たない小花をたくさん咲かせます。 稲穂のような花穂がその花です。


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 そして花の季節になると、必ず花のすぐ下にある葉の片方が白く変化します。それが半分化粧したように見えるので「半化粧」と言う意味もあるようです。
また、日本名を「片白草」と言うのも、葉の片方が白くなるからなのでしょう。
 そして花が過ぎるころになると、又元通りの緑の葉に戻るのが何とも不思議です。

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 このころに降る雨を半夏雨(ハンゲアメ)といい、雷を伴った梅雨末期の激しい雨が降ります。
こちらでは「ハゲあめ」といい、この「ハゲアメ」が降らないと梅雨は明けないと、言われています。
 子供のころは「ハゲ雨」を頭が剥げるように雨が無くなって、梅雨が明けるのだ、と思っていました。     ・・(*^^*)


  *少し晴れ間も見えたので、朝のうち佐賀城の堀端一周の自転車散策、
    蓮の花がいま満開です。
    岸の木の枝に掲示板が下がっていました。

   
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 「6月11日、今年最初に咲いた蓮の花4本のうち2本が持ち去られました。
 仏様に上げる気持ちは分かりますが、蓮の生育の記録を撮っているので、持ち去らないでください」 
         蓮の花再生実行委員会
                           
                                          と、ありました。。
 

  数年前まで、外来種の緑カメに食い荒らされて蓮の花が全滅していたのです。
  官民の努力で、やっとまた元通りに、南堀いっぱいに蓮の葉が広がって居ます。
     


(106)睡蓮

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          (106) 睡蓮 (すいれん)

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  睡蓮(スイレン)は水生の多年草で、世界の熱帯、温帯のどこでも見られますが、日本に自生する睡蓮は、もともと白くてやや小さい未草(ヒツジグサ)だけでした。(4センチくらい)


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 未草(ひつじぐさ)は未の刻、つまり午前2時ごろから開花するので、この名がついたそうですが、 実は朝になってから開花します。自然の山の池などにはこの羊草が見られますが、最近の公園などではやや大きい10センチ位の外来種の睡蓮ばかりです。


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           睡蓮の隙間の水は雨の文(あや)   富安風生 

 
        「紅い睡蓮」

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  睡蓮という名前は、蓮に似ていて、夕方に閉じて翌朝にまた開くので「睡蓮」といいます。 
  (蓮の花は大きくて20㌢ほどもあり、朝早く開いて、3時ごろにには閉じてしまいます。)

 最近の「睡蓮」は外来種が多く、在来種の白い「未草」と違って、白、黄、紫、青、赤と花の色も多く、形も大きくなっています。

           睡蓮の 水澄まば 筆洗うべく    会津八一 


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 戦前の昭和14年に、「紅い睡蓮」という歌がはやりました。
 「シナの夜」という映画の主題歌で、映画の中で李香蘭が歌っていました。
 妖艶な紅い睡蓮同様、李香蘭のあでやかさが目に残っています。
 
  
イメージ 11  「紅い睡蓮」   

              作詞    西條 八十  作曲    古賀 政男


      ♪ 花の北京の  灯点し(ひともし)頃よ
        わたしゃ夢みる シナ娘
        芙蓉散れ散れ 君待つ窓に
        花は九つ 花は九つ  
        願いは 一つ 



   ← 李香蘭

(56)蛍の話

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      (56) 「蛍の話」 

 蛍と言うと、最近は卒業式に決まって歌った♪「蛍の光」の歌を聞いたことがない。むかし小学校の卒業式で、若い担任の先生がハーモニカで「蛍の光」を吹いてくれたことが忘れられない。
 別れの曲にふさわしい、ほんとにいい曲だった。。

 今年も夏が来て蛍の飛び会う季節になったが、最近はホタルにもとんとお目にかかったことがない。
 むかしは、蛍は川岸の草むらだけでなく、家の中にまで入ってきた。
 夜、寝ていると蚊帳の周りのあちこちに蛍が止まって、青白い幻想的な光を点滅させていた。それだけ家屋が開放的だったとも言えるだろう。

  何しろ寝間の外は,障子一枚ですぐ濡れ縁になっていて、外の冷気が直接漂ってくる。冬や雨の日は雨戸を繰るので部屋の中は真っ暗になるが、まだガラス戸のない時代だから仕方がない。
 夏の間は暑いので雨戸を繰らずに障子も開けて休む。夜の爽やかな風が入ってきて、蚊帳を撫でてていくにつれて蚊帳が柔らかく膨らんだりする。  夜のしじまの中から、蛍が何匹も入ってきて蚊帳の周りを飛んだり、蚊帳に止まって淡い神秘的な光を点滅するのも至極当然の風景だった。
  雨戸も障子も開け放して寝ていても、怪しい奴は一人も入ってこない。
  思えば、のんびりとした平和な時代だった。

 蛍狩りには、近くのお寺の竹藪から笹竹を切ってきて、笹の葉を束にした物を使う。膝ぐらいまで水に浸かり川岸の蛍を笹の葉に留まらせて取るのである。
 近くのおもちゃ屋から買ってきた青い金網製の蛍かごにはあらかじめ「蛍草」を入れて置く。捕って来たホタルはほのかに青くさい水草の匂いがする。 幼い頃の懐かしい思い出の匂いである。

        ♪ ホー ホー 蛍こい
           あっちの水は 苦いぞ
           こっちの水は 甘いぞ
           ホー ホー 蛍こい
           山路 こい
          行燈の光で またこいこい


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                                                 (画・南窓さん)


  子供の頃は、ほんとに蛍が多かった。

 しかし、母の実家の農家に泊まりに行くと不思議に蛍に出会わなかった。居るのは藪蚊ばかりである。何しろ、戦前の佐賀は田んぼとクリークばかりの田園都市なので蚊が多かった。文化都市ならぬ「ブン蚊都市」だ、と揶揄されたほどだった。

  母の実家の周りは堀ばかりなのに、なぜ蛍が居ないのか。。 と、不思議に思っていたが、大人になって思いついた。蛍の幼虫はカワニナを餌にしている。カワニナは清い水の流れる川にしか棲まないのだ。流れずに淀んでいる農家の周りの堀には、カワニナが棲まないのである。蛍の幼虫は川ニナを食べて大きくなり、水辺の土中でサナギになり、羽化して成虫になる。ニナは陽が西に傾くころ砂の上に這いあがる。
 ニナを取りに行くのはこの時刻だ。川の近くのオバチャンたちは「ホウジャーは色の黒うならんごと、オテントさんの引っ込んから出てくる。。」と言って笑っていた。

 カワニナは巻貝の一種で、佐賀では「ホウジャーガイ」と言う。昔はこれを醤油で煮てよく食べたものである。小さな巻貝なので、尻の方から針で押して空気穴を作り、反対側を吸って、中の身を食べる。 川ニナは清流にすむのできれいだし、みそ汁や醤油で煮ると、少しジャリジャリするが、酒飲みが好きそうな珍味になる。

 子供の頃は、家の裏の小川もまだまだきれいだった。母が若いころは、川岸に棚地を作って、鍋釜を洗ったりしていたそうである。カワニナが繁殖しそれを餌として蛍の幼虫が成長し、初夏になれば蛍が乱舞するというわけである。
 今は川もきれいになって、蚊も居なくなったが、肝心の蛍もすっかり居なくなった。護岸が整備されたのと、ひところの農薬散布のせいかも知れない。

                          。。。。。


(107)クチナシ

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       (107) クチナシ(梔子)

                      【清純で甘い香りのクチナシの花】 

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  ↑ 「梔子・クチナシ」はアカネ科の落葉低木で、梅雨時に甘い香りを放ちながら純白の六弁の花を開きます。 クチナシの意味は、実が熟しても裂けないので、「口なし」という名がついたそうです。

 クチナシの実の熟した実の黄色い色素は全く無害なので、たくあんやキントンの着色に使います。
 また、漢方では、解熱剤として用い、黄疸にも効果があると言われています。 

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         「コクチナシ・小梔子」

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 「コクチナシ」は、別名「ヒメクチナシ」とも呼ばれていて、クチナシの変種で八重咲きです。 
クチナシが樹高1~2mになるのに対し、「コクチナシ」は樹高30センチ前後と低く、花も5センチぐらいの小型です。


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  咲き始めは白いバラのようにも見えますが、花の寿命は1週間ぐらいで、花が終わるころには黄色くなってしおれてしまいます。一重咲きには実がなりますが、八重咲きには実がなりませんから、もっぱら観賞用として植えられています。  


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    「くちなしの花」  渡 哲也  S、48年

       ♪  いまでは指輪もまわるほど
           やせてやつれたおまえのうわさ
            くちなしの花の花のかおりが
            旅路のはてまでついてくる
            くちなしの白い花 おまえのような花だった



     

(108)オオヤエクチナシ

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       (108) オオヤエクチナシ (大八重梔子)


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 「ヤエクチナシ」はクチナシの園芸品種で、八重咲きです、中国産のクチナシがヨーロッパに渡り改良されたもので、別名「セイヨウヤエザキクチナシ」とも呼ばれています。

 バラの花のような大輪の美しい大八重梔子(オオヤエクチナシ)は,もちろん大型の八重咲きクチナシという意味で、香りの強い大型の白い花です。


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 西洋では男性が女性をダンスパーティに誘うときに贈り、ウエディングブーケにも使われています。 7月4日のアメリカの独立記念日には、女性がこの花を頭にさして祝うそうですよ。 
  くちなしの実は紅黄色できれいですが、くちなしの八重咲きは「花くちなし」と呼ばれて、実が生りません。

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                 薄月夜 花くちなしの 匂いけり    子規


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