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Channel: 95歳ブログ「紫蘭の部屋」
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(169)芭蕉(ばしょう)

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                    (169) 「芭蕉」
 
 
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 「芭蕉」はバショウ科の多年草で、古代に観葉植物として原産地の中国から渡来しました。
  松尾芭蕉の草庵の庭に、弟子がこの植物を植えたので「芭蕉」という俳号になったとか・・
 本来は「松尾宗房」という名前でした。
 
 
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 「芭蕉」は花も独特ですが、葉の大きさには驚かされます。バナナも同じですが、これが樹木ではなくて草だとは到底思えませんね。葉の大きさは2mほどにもなり、秋風に音を立てるようになります。この葉はとても傷みやすく、やがて葉脈に沿って破れていきます。
 これを破れ(やれ)芭蕉と言います。
 
                   芭蕉の葉傲然として破れけり    和賀世人
 
 
       (芭蕉の花)
 
       花も独特の形で、ちょっと他では見られません。
 
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  芭蕉にはバナナに似た実が生りますが、黒い種ばかり多くて食べられないそうです。
  それに、花は鳥媒花で日本には適当な媒鳥が居ないのでめったに結実はしません。
 
              (芭蕉の実)
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       独居(ひとりゐ)や芭蕉をたたく雨の音    二葉亭四迷
 
 
*地場スーパーに買い出し。
  今日ぐらいは晴れてもよさそうなものなのに、帰りにはまた降り出しました。
  8月に晴れたのは2日だけ、9月になってもまだ二日しか晴れていません。
  そのせいか相変わらず野菜が高い、キュウリ一本66円。
  今年は涼しすぎて西瓜もあまり食べなかった。
 
 薬師岳で京大生二人遭難、山岳部だというのにこのゲリラ豪雨の多い時に沢登りとは無謀すぎる。。
 と、言いながらウチの息子も脚の骨折以来、もう2か月もたつというのに、まだ松葉杖だそうだから、人のことを言えた義理ではないのだが。。
 
 しかし、将来ある優秀な若者が山で命を絶つのは、何とも痛ましい。。
 
 
 

 

(170)棉の花

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      (170) 棉の花
 
      【棉の花は淡いクリーム色です】
 
 
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   「棉・ワタ」はアオイ科の植物でハイビスカスやオクラは同じ科に属します。
 棉の花は薄いクリーム色で8月ごろに咲き、大きさは4,5センチくらいですが、花は朝開いて夕方にはしぼんでしまいます。
 
 
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               次第に淡いピンク色に変わります。
 
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      不思議なことにしぼんだ花は翌日には、こんなピンク色に変わっています。
 
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   夏から初秋にかけて、花が終わると、コットンボールという緑色の実が出来てきます。
 
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  10月ごろになるとその実がはじけて中から白い綿花が出てきます。
  これを刈り取ったものが「綿・わた」というわけです。
    木綿や布団の材料になります。
 
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                   秋風や むしりたがりし 赤い花  一茶 
 
 
*今朝も曇りがちのパッとしないお天気でしたが、先ほどから久しぶりに青空が広がってきました。
   庭の柿の実も少し色づいたようだし、これからは本格的に秋がやってくるかも。。
 
    
       秋近う野はなりにけり白露の
         置ける草葉も色は変はりゆく
 
                     古今集  紀友則
    
 

(171)フジバカマ

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      (171) 「フジバカマ」  
 
     秋の七草の中では、フジバカマは花が地味であまり見栄えがしません。
 
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  藤袴(フジバカマ)は日本、中国、朝鮮に自生するキク科の多年草で、日本には奈良時代に中国から渡来したそうですが、最近は野生のものは殆ど見られません。
 地味な花なので観賞用としてはあまり栽培されていないようです。
 
 地下茎が横に長く伸びて夏から初秋にかけて薄紫色の花をたくさん咲かせます。
 草丈は1m位で、葉が三裂しているのが特徴です。
 
 
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 「フジバカマ」は少し地味な花ですが、秋の七草のひとつに数えられて万葉の時代から国民に親しまれてきました。 源氏物語の中にも、夕霧が「藤袴」を差し出して
 
     おなじ野の露にやつるゝ藤袴
        あはれはかけよかことばかりも

                                 と詠っています。

  これに寄せて「与謝野晶子」
 
     むらさきのふじばかまをば見よと言ふ
        二人泣きたきここち覚えて 
                                   という歌を詠みました。
 
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                  ↑  大きな蜂・スズメバチだろうか。。
 
 
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    今日は朝から秋晴れの青い空が広がっています。
    こんな青空は何日振りだろう。
    日差しは強いが、からりとした肌合いで心地よい。
 
    *急用ができて、午後から博多まで出かけます。
 
 
 

(172)すすき

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        (172) ススキ     
 
 
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                   (佐賀・北山ダムの湖水)
 
 
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                   (熊本・阿蘇山の米塚)
 
 
 
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                 (長崎・雲仙岳・仁田峠のススキの野道)
 
 
               この道の 富士になりゆく すすきかな   川東碧梧桐
 
 
 ススキは「芒」とも「薄」とも書きますが、中国から日本にかけての原産のイネ科の多年草で、山野の日当たりのよい場所に自生しています。
 
 ススキは古名を「萱・カヤ」といい、茅葺きとして屋根をふく材料に使われました。秋の野山に日本らしい趣を添える植物としてだけでなく、屋根のほか、炭俵、草履、縄、すだれ、箒など実用面でも日本人の生活に深くかかわっています。
 また若葉を家畜の飼料としたり、根を煎じて漢方の解熱剤としても使われました。
 
  
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                ↑  (佐賀の吉野ヶ里のススキ)              
 
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                                       (佐賀・天山山頂の秋の空)
       
 
 ススキは秋の七草のひとつですが、万葉集には「尾花」として歌われています。
尾花とはススキの花穂を雄鶏の尻尾に見立てた言い方で、ススキの別名になっています。
 
 大正時代の流行歌「船頭小唄」にも「♪俺は河原の枯れすすき・・」と、儚いこの世を象徴するものとして枯れた尾花が使われています。
 
 
    ♪  おれは河原の 枯れすすき
        同じお前も 枯れすすき
         どうせ2人は この世では
        花の咲かない 枯れすすき
 
 
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              をりとりて はらりとおもき すすきかな     飯田蛇笏
 
 
 *昨日は夕方、博多までの帰りの電車の車窓から、東の空に出てくる仲秋の名月を見ました。
   大宰府付近を通るとき、かって登り馴れた宝満山の山陰に上る大きな、大きなお月さん。。
   餅つきのうさぎさんも見事に見えて、感動的でした。
 
 家にあれば、ビルや建物の陰になって月の出を見ることは殆どありませんが、地平線近くに浮かぶ月の出が、あんなに大きくて赤いとは思いませんでした。
 我が家の物干し台からは、名月も中天に輝く青い冴えた小さい月しか拝めません。
 おまけにネオンの明るい光に妨げられて、満点の星さえも淡くしか見えません。
 
  輝く名月のおかげで、気の重い病院帰りも、なんだか少し慰められた思いでした。
 
 
      月見れば 千々にものこそ悲しけれ
        わが身一つの 秋にはあらねど      
 
                         古今集・大江千里
 
 
 
 

(173)ケイトウ(鶏頭)

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        (173) 【ケイトウ・鶏頭】 
 
 
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       鶏頭の十四五本もありぬべし     子規 
 
 
 「ケイトウ」は熱帯アジアが原産のヒユ科の一年草で、花の形が雄鶏(おんどり)のトサカに似ているので、「鶏頭」という名前がつきました。

 漢名も「鶏冠花」と言いますが、花の形は、丸いものや鶏のトサカのようなもの、槍のように尖ったもの
(ヤリケイトウ)ふさふさしたもの(ウモウケイトウ)などと、さまざまです。。
 
 
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                    ↑ 槍型
 
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                     ↑ 丸型
  
          
 ケイトウの花言葉は「おしゃれ」ですが、そういえば、なかなかお洒落な色と形ですね。
 古く中国から渡来しましたが、万葉時代には韓藍(からあい)と呼ばれ、草染めの原料として使われたようです。
 子供の頃には、墓場によく咲いていて、血の色のように鮮やかなので、生花としては敬遠されていました。今でも、盆花に使われているようです。
 
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                    ↑ 鶏冠型
 
 
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                  ↑ 槍型
 
 
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 * 同じヒユ科の「葉鶏頭」は花は緑色で小さく目立ちませんが、花期が長く、秋の遅くまで咲き続けるので、「しぼまぬ恋」という花言葉がついています。
 
 葉鶏頭の葉は、晩秋になると美しく紅葉して鮮やかな色に変わります。別名「雁来紅」「かまつか」といます。
 
  「雁を待ちて紅く染まる」を縮めると「かまつか」になります。
 

  葉鶏頭(かまつか)のいただき躍る驟雨かな 
 
                       杉田久女   
 
  
 
 
 

(174)芙蓉

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      (174)  「芙蓉」

      【大柄であでやかな芙蓉の花】
 
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  「芙蓉・フヨウ」は中国の原産で、秋に咲く花の代表的な花として観賞用に庭や花壇によく植えられています。
 初秋のころ淡紅色の美しい5弁の花を咲かせますが、一日でしおれています。
 むくげによく似ていますが、葉が大きく花も10センチほどもあります。
 
 
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 「芙蓉のかんばせ」という言葉があるとおり、芙蓉は美人の別称にもなり、また「芙蓉峰」といえば富士山の別名にもなっています。
  それだけ芙蓉は美しい花、ということでしょうか。。
 花は新枝の頭頂部につき、朝咲いて夕べにはしおれてしまいます。
 
 
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           逢ひにゆく袂(たもと)触れたる芙蓉かな   日野草城
 
 
 
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 花の色が朝のうちは白くて、昼過ぎると次第に赤くなっていく「酔芙蓉」という品種がありますが、花の時期はも少し先になります。
 
 
 
 
 
 
 
 
  *今日も朝から天高く馬肥ゆる絶好の行楽日和ですが、
    午後、博多まで野暮用があって出かけねばなりません。
         夜は飲み会に直行。。
 
 
 

(175)デュランタ・タカラズカ

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       (175) デュランタ
 
  【すみれ色がやさしいデュランタ】   
 
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 「デュランタ」は熱帯アメリカの原産で、常緑性の低木、和名は「タイワンレンギョウ」と言います。
「ジュランタ」というのは、ローマ法王の侍医で植物学者のデュランテスに由来しているといいますが、熱
帯地方からローマに渡ってから命名されたのでしょう。
 
 
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 花木として扱われる代表的なものには「デュランタ・タカラヅカ」という品種があります。
 明治中期に渡来したそうですが、おそらく初めに生産した所が「宝塚」だったのかもしれません。
 また、この花の色がスミレ色なので、これにちなんで宝塚歌劇団のタカラヅカの名がついた、とも言われ
ています。
  夏の終わりごろに濃い紫色の小花を房状に垂れ下がった状態で咲かせます。
 
 写真の花はいずれも「デュンタ・タカラズカ」だと思われますが、シランの素人と判断なので定かではありません。
 
 
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       「すみれ花咲く頃」

        ♪  春すみれ咲き 春を告げる
        春何ゆえ人は 汝(なれ)を待つ
        楽しく悩ましき 春の夢 甘き恋
        人の心酔わす そは汝
        すみれ咲く春
 
 
 学生時代に大阪に住んでいたので、千日前の大劇の「松竹少女歌劇」は何度か見たが、宝塚には行ったことがない。戦時中なので、そんな柔弱な少女歌劇など見る気がしなかったのか、それとも単に金がなかったのか。。
 その頃の大劇のOSKのトップスターはたしか「秋月恵美子」と「芦原千津子」「勝浦千浪」だった・・
 
 
*雲はありますが、今日も秋らしい爽やかなお天気、朝晩は半袖では肌寒くなりました。
  そういえば、今年は夏らしい夏が来ないので、アイスクリームもほとんど食べませんでした。
  雨ばかりで変な夏だった。。
 
  民生委員さんから、敬老の品とお祝い金を貰ました。
   ありがたや、ありがたや。。
 
 
 

(176)セイタカアワダチソウ

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       (176) 「セイタカアワダチソウ」  
 
     【秋の水辺】   
 
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                  さざなみを たたみて 水の澄みにけり   久保田万太郎 
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 秋も酣ともなれば、あちこちの空き地や野原には毒々しいほど真っ黄色の「セイタカアワダチソウ」の花が目立ちます。
 「セイタカアワダチソウ」はキク科の植物で、10月ごろに原野や空き地に群落を作る帰化植物です。
 北アメリカの原産で、明治30年ごろに渡来したといわれています。
 
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 戦後、アメリカからの救援物資のメリケン粉の袋に種がついていて、急速に全国区に広がりました。急速に全国区に広がり、一時、この帰化植物のおかげで日本古来のススキなどが駆逐されました。
 その後、喘息や花粉症の元凶だと騒がれたせいで除去されたのか、あまり見かけなくなりましたが、最近はまた勢いを取り戻したようです。
 しかし、この花はブタクサのような「風媒花」ではなく、花粉が飛ばないので、「喘息の元凶」と言うのは濡れれ衣だったようです。

    花は蜂蜜の源として、よく利用されています。
 
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 *今日も爽やかな秋風が吹いています。
  地場スーパーに買い出し。相変わらず野菜が高い。。
  ここは、食品関係の雑貨が安くて繁盛していますが、最近イオンの傘下にはいるとか。。
  いずこも同じ、秋の暮れ・・寄らば大樹の陰でしょうか。。
 
 
 

(177)ニラの花

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            (177) ニラの花
 
 
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   【こんな小さいニラの花にも、造化の妙が見られますね】 
 
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 「韮・ニラ」はアジア原産のユリ科ネギ属の多年草で、秋に茎の先端にごく小さい白い花をたくさん咲かせます。
 韮はねぎの一種で、葉をちぎると独特の臭いがありますが、ビタミンAとカロチンをたくさん含んでいて、 消化を助け、風邪の予防にもなるそうです。
 
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      きはつくの  岡のくくみら  我摘(つ)めど   
          籠(こ)にも満たなふ  背なと摘まさね      万葉集 
                  (* くくみらとはニラのことです)
 
 
  *今日も青空が広がって絶好の行楽日和。
   連休で野に山に、家族連れでにぎわうことでしょう。
   ニラの花など目にもかけられず、踏みつけられてしまうかも。。

(77)月待ちの話

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     (77) 「月待ちの話」

 仲秋の名月も過ぎて月の出も遅くなり、もう月を愛でる間もなく寝てしまうようになりました。
 早いものです。
 
  「八月十五夜の月・・」   白居易
 
      銀台 金闕 夕べ沈沈  
      独宿 相思ひて翰(かん)林に在り
      三五夜中 新月の色
      二千里外 故人の心

 中秋の名月は旧暦の8月15日で今年は9月8日でしたが、昔はこの15日に月見をしたら、翌月の13夜にも月見をしないと「片月見」として嫌われていました。 
 その「十三夜」は平安時代に貴族たちが集まって、月見をしながら詩歌を詠んだのが始まりです。
  
      
    「十三夜」
         ♪ 河岸の柳の 行きずりに 
            ふと見合せる 顔と顔 
            立止まり 懐しいやら 
            嬉しやら 青い月夜の 
            十三夜
  
 「十三夜」には栗や豆を供えるので別名を「栗名月」といいます。
    また十三夜は十五夜の次の月の月見なので「後の月」とも言われています。
 「十五夜」には里芋を供えることが多いので「芋名月」です。
 「十六夜」、「十六夜・いざよい」です。
    十五夜の月の出よりすこし遅く出るので「月のいざよう姿」を味わうものです。
 「十七夜」は、さらに遅く出るので、立ち上がって月の出を待つ「立待ち月」
 「十八夜」は待ちきれずに座って待つので「居待ち月」
 「十九夜」は待ち続けてついに「寝待ち月」
 「二十夜」はさらに夜更けて待つので、とうとう「更け待ち月」となります。
 
 そのあとは、うーんと・・
 それ以後は月が出ないので「宵闇」として闇の情緒を味わってください(^^)
 
   「君恋し」
      ♪ 宵闇せまれば 悩みは果てなし
         乱れる心に うつるは誰が影 
         君恋し くちびるあせねど
         涙はあふれて 今宵も更けゆく
 
 ところで、こちらでは昔から「月待ち」という一種の信仰行事がありました。
 二十三夜の夜に講の仲間が集まり,供物をそなえて月の出を待ちながら,飲食をともにし,月を拝む行事で【三夜待ち】といいます。
 
       (昔の三夜待ち) 
 
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 「月待ち」の日は男の場合は毎月23日、女性は26日の夜で、それぞれ「三夜待ち」「お六夜さん」と呼ばれていて、最近は本来の月の出を待つ「観月会」の意味よりも、いわば親睦会としての「飲み会」「食事会」になっています。
 シランの毎月の「飲み会」も昔の「三夜待ち」の名目です。勿論部屋の中なので月は見えませんし、花より団子・月より一杯・という親睦のための楽しみ会になっています。いわば、三夜待ちという言葉は、飲み会の代名詞みたいなものになっているのです。
 
 月待ちが23日,26日が多いのは十五夜が過ぎて満月の後にくる半月の形が重視されていたからで、母たちの「六夜さん」の集まりでは、半月に乗った菩薩像を描いた掛け軸を床の間に飾って拝んで居ました。この半月の月光の中には弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩の三尊が現れると言い伝えられています。。
     
 
 

(178)蒲(ガマ)

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    (178) 蒲(ガマ)        
 
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 蒲(ガマ)は沼や池の浅い所に自生するガマ科の多年草で、菖蒲に似た葉の間から2mぐらいの花茎を出して、真夏に上部に黄色い雄花がつき、下部には緑褐色の雌花を密生させています。その形が犬の尻尾に似ているので、アメリカでは「キャッツテイル」という名前で呼ばれています。
 
 
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  秋になると、雄花はしぼみ、雌花はしぼんだあとも蒲の穂として残り茶色の花穂が伸びてきます。その花穂は晩秋にはふわふわの穂綿となって風のまにまに飛んで行きます。この綿毛の中には10万個も種が入って居るそうです。
 
 「蒲の穂」から「蒲鉾」という言葉が生まれましたが、蒲鉾と言うよりも「竹輪・ちくわ」に似ていますね。そのほか、蒲の付く言葉がいろいろあります。
 「蒲団」はこのふわふわの綿毛のイメージからでしょうし、「蒲焼」も切った形や色ががこの花穂に似ているからでしょう。「蒲田」とか「蒲原」という苗字もあるくらいですから、昔は蒲の生えた原っぱも多かったことでしょう。
     
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           蒲の穂や たまたま遠き 薄日射(うすひざし)    北原白秋
 
 
   この「穂綿」は火傷どに効くそうで、ワニをだまして丸裸にされた因幡の白兎が、大国主命の言いつけでこの穂綿にくるまって傷を治したという神話があります。
 
     「大黒さまの歌」       小学校の唱歌で習いました。
 
   ♪   大きな袋を 肩にかけ
        大黒さまが 来かかると
       ここに因幡の 白うさぎ
       皮をむかれて あかはだか
 
 
                大黒さまは あわれがり
              「きれいな水に 身を洗い
             蒲の穂綿 に くるまれ」と
             よくよく教えて やりました
 
                    大黒さまの いうとおり
                    きれいな水に 身を洗い
                   蒲の穂綿 に くるまれば
                  うさぎはもとの 白うさぎ 
 
 
 この因幡の白兎の話は、日本最初の医療についての記述だと言われています。
 花粉も止血剤に使われ、また茎ですだれを作るので「御簾草・ミスダレソウ」の別名もあります。
  
  
 

(179)スイフヨウ(酔芙蓉)

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      (179) 「スイフヨウ」

    【秋空に映える酔芙蓉】  赤くしぼんだのは昨日の花
 
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 「芙蓉」は暖地の沿海地方に自生していて、高さは2mから5mにもなり、葉も花も大きく立派な植物です。
  その「芙蓉」のなかでも特に八重咲きの「酔芙蓉」は有名で、朝の咲き初めには白色、昼ごろには桃色、夕べには紅色に変化するので、人が酒に酔っていくのと経過が似ているので、「酔芙蓉」という名前がついています。
 
 
                まだ純白ですね。
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            おや、ほんのりと・・
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              ちょっと効いてきたようですね。
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            飲める人も、飲めない人も仲良く。。
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                                  良い色ですね。
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          白き芙蓉 あかき芙蓉とかさなりて
              児のゆく空に 秋の雨ふる        与謝野鉄幹
 
 
 
 *今日もいい天気、昼から同窓生の食事会に行きました。
  二、三十名はいた同窓会も今日はわずかに4名、さすがに90才にもなると、ご馳走ももお酒もすすみません。
  幹事役としては楽チンですが。。
  また来月。。

(180)里山の花たち

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          (180) 「里山の花たち」

            天山山頂 (1046m)
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 紫蘭のふるさとの山「天山」は佐賀県の中央にそびえる標高1000m余りの里山ですが、山頂はなだらかな草原になっていて、ハイキングには最適です。山頂には足利尊氏の軍と戦って討ち死にした南朝方の「阿蘇八郎正惟直」の墓石も建っていて、周囲遮るもののない佐賀平野の大展望が望めます。
 
 
                     ススキがいっぱい・・
 
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  肥後・阿蘇神宮の大宮司「阿蘇八郎惟直」は、足利軍と多々良川で戦って敗れ重傷を負い、天山山麓までたどり着いたところを、小城城主の千葉太郎胤貞に襲われて自刃して果てたと言われています。
 今は、遥かに故郷・阿蘇の噴煙を望む天山山頂に惟直の墓石がひっそりと建っています。
 
 
       ふるさとの尾鈴の山のかなしさよ
          秋もかすみのたなびきており     若山牧水
 
  
 熊笹やススキに覆われたなだらかな山頂を歩いていると、いかにも山の花らしい小さい見知らぬ花々が目につきます。。
 
   これは「ヤマジノギク」かな?
 
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 ↓ これは「アキノキリンソウ」でしょう。花が頭部に集まっているし、山中の花なので「ミヤマアキノキリンソウ」かもしれません。
 
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            ↓  「マツムシソウ」
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 ↑「マツムシソウ」は北海道から九州に分布する多年草で、山地や草原に生育しています。「松虫草」といっても別に花が松虫に似ているわけではなく、単に松虫の鳴くころに咲く花という意味のようです。
 
 マツムシ草の丈は高さ50~90cmで、4cmぐらいの美しい淡青紫色の花を咲かせて草原の初秋を彩っています。 花は長い柄の先端に多くの花が集まったような形をしています。

 
                    行水の捨てどころなき虫の声    鬼貫(おにつら)  
 
  
 
         ↓ 【きれいな藍色・山トリカブト】  
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 「ヤマトリカブト」は中国の原産で、花の形が舞樂の時にかぶる、鳳凰を形どったカブトに似ているので、トリカブトの名前がついています。 単に「トリカブト」という植物はなく、みんな「山トリカブト」だそうです。
 藍色の花はきれいですが、昔は毒矢に使ったほどの猛毒があります。 毒の強さはフグ毒に次ぐといわれ、植物の中では最強です。 前にも何度かトリカブトを使った殺人事件が起こりました。

  草全体に毒があり、特に根には強い毒がありますが、触ったぐらいでは大丈夫です。
  でも、山菜と間違えて食べたら大変ですよー。 きれいな花には毒がある。。 
  だから、写真のトリカブトもどこに咲いていたかは、どなたにも教えません!(^^:)
 
 ↓これは何だろう、ネジバナのようでもあるし,ミズヒキのようでもあるが、でも少し違うようだ。
 
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    ↓  これでも花かなぁ? へんなの。。
 
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        ふるさとの山にむかいて言うことなし
 
           ふるさとの山はありがたきかな      石川啄木
 
 
 *昨日は博多まで出かけて遅くなりました。
   相変わらず電車も満員、街中もどこもかしこも満員で、少々疲れました。
 
 
 
     
 

(181)ヒガンバナ

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       (181) 「ヒガンバナ」
 
      【棚田を真っ赤に彩る彼岸花】 
 
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 彼岸花はヒガンバナ科の多年草で、秋のお彼岸のころに咲き乱れるので「彼岸花」の名前があります。
別名の「曼珠沙華・まんじゅしゃげ」は梵語で「赤い花」という意味で「法華経
」の中に出てきます。
  また、「天上の花」という意味もあるそうで、彼岸花は、花にも根にもリコ
リンを含む有毒植物なので、食べると死に至ることもあります。
 そこで、「食べた後は彼岸(死)しかない」という意味で「彼岸の花」だ、とい
う説もあります。
 
 
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 ヒガンバナは花の様子から、「天蓋花(てんがいばな)」「狐の松明(きつねのたいまつ)」「狐のかんざし」「剃刀花(かみそりばな)」など、全国にはたくさんの呼び名があります。
 
 彼岸花は突然に花だけが咲きだすので、キツネにだまされたような気がするのでしょう。
 
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      秋風の吹きゐたれば遠方の
        薄の中に曼珠沙花赤し      斉藤茂吉
 
 
 
*朝からシヨボショボと小雨が降っています。
  秋はなんだか侘しいのに、雨まで降ると気持ちがよけい滅入りますね。
 
 
 「秋の子」   サトーハチロー 作詞
 
      日暮れに走る子 一、二の三人
      風呂たきしてる子 三、四の五人
      こおろぎあちこち 鳴きだした
      さみしく聞く子は 何人だろな
     
 
  

(182)棚田のヒガンバナ

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       (182) 【棚田の彼岸花】
 
 
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 彼岸花(曼珠沙華)は、田畑のあぜによく見られます。
 これは彼岸花の球根にある毒を嫌って、野ねずみやもぐらが穴を掘らないように植えたのだそうです。 先人の知恵ですね。
 
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      「棚田の曲線」    真っ赤な彼岸花とみのりの稲田とは良く似合います。
 
 
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       彼岸花の花言葉は「悲しい思い出」で、歌にもよく使われています。
 
    「長崎物語」
 
     ♪  赤い花なら 曼珠沙華(まんじゅしゃげ)
         オランダ屋敷に 雨が降る
         濡れて泣いてる じゃがたらお春
         未練な出船の あゝ鐘が鳴る
          ララ鐘が鳴る
 
 
 むかし、長崎の平戸城の展示場に「じゃがたらお春」のぼろぼろになった布に書いた便りが展示されていましたが、本物かどうか。。
   「あら日本恋しや、ゆかしや 見たや 見たや」。。 
 
 江戸時代初期の鎖国政策のため、混血のお春は15歳で長崎の平戸からジャワに追放されました。
 悲劇のヒロインというイメージが強いお春ですが、その後オランダ人と結婚して、経済的には恵まれた人生を送ったそうです。
 
 
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 お春のほかに平戸のコショロ、コルネリア、フクという3名の女性のものと合わせて4通の「ジャガタラ文」が現存しているそうです。
 
 ←これは「コショロ」という女性のじゃがたら文です。
 市松模様に縫い合わせた布地にの
白い部分に書いてあります。
 大きさ20センチくらい。。
 
 


 「うば様まゐる」
  日本こいしやかりそめにたちいでて又とかへらぬふるさとゝおもへば心もこころならずなみだにむ せびめもくれゆめうつゝともさらにわきまえず候共あまりのことに茶つゝみひとつしんじあげ候あらにほんこいしや  
                                                                               こしょろ


(183)曼珠沙華もいろいろ

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      (183) 「曼珠沙華」

  ヒガンバナは別名を「曼珠沙華」と言います。
 「まんじゅしゃげ」という言葉は法華経の中に見えますが、梵語で「赤い花」という意味だそうです。
 
        「花と蝶」    彼岸の花には黒蝶が似合う・・
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 そのほか「まんじゅしゃげ」は葉を出す前に茎を伸ばして開花するので、「まず咲き」といい、それが仏教と結びついて「まんず咲き、まんじゅしゃげ」・・となったという、面白い説もあります。
 いずれにしても、曼珠沙華はお寺や墓地などに多いので、つけられた名前でしょう。
 昔はどこのお寺でも土葬でした。その土葬した死体を野鼠が食い荒らさないために球根に毒がある「曼珠沙華」を植えた、という説もあります。
 
 
         むらがりていよいよ寂びしひがんばな  日野草城 
 
 
    彼岸花はふつう真っ赤なのが多いですが、まれに白やクリーム色の花を見かけます。
  いずれも園芸種のようです。
 
 
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        ↓  「ショウキズイセン・鍾馗水仙」
 
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   【黄色い彼岸花のように見えますが、これはショウキズイセンです】 
 
 この鮮やかな黄色い彼岸花は、実は同じヒガンバナ科のショウキズイセン(鐘馗水仙)です。
そういえば、花の形が少し違うのと、花びらの縁が反り返っていて、やや縮れているようですね。
 
 五月の端午の節句に、飾り物に使う「鐘馗さん」は、悪魔祓いの髭むじやの神様、その髭が伸びたように見えるので、この名前がついたのでしょうか。。 
 
 
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 *曇りがちですが、昨日より少し暖かい。
  庭のオシロイバナがすごくはびこったので、一斉に刈り取り。
  ついでに、雪柳や南天もばさり、バサリと切り落とし。。どうやらすっきりしました。
 
 
  ♪ 「秋風の中で唄う」     サトーハチロウ作詞
 
     秋風の中でわたしは唄う
       森でみつけた クルミのからに
       黒い涙の しみがある
       枝にないてる かけすの声が
       なぜかこの頃 かすれてる
       それを それを 私は唄う
 
 
    さぁ、あとひとはたらきだ。。
 

(184)ホトトギス

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          (184)  「ホトトギス」   
 
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     【きれいなのか、不気味なのか、独特の紋様のホトトギスの花】 

 「ホトトギス」と聞けば、鳥のホトトギスを思い出しますが、これは植物の方で、ユリ科の多年草です。北海道から九州まで、各地の山野の林の中や林縁、崖や傾斜地などの、日当たりの弱いところに自生しています。
 
 
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 花の模様の点々が、鳥の不如帰の胸の紋様と似ているので、「ホトトギス」という名がつけられました。
 漢字では「杜鵑草」という難しい文字がつけられています。
 晩夏から秋にかけて山野に自生していますが、きれいな・・というよりも独特の花の模様で目立ちます。 花の大きさは2,5センチぐらい、3~4日は咲いているそうです。
 
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         名前の割には、お世辞にもきれいな花とは言えませんね。
 
 
*鳥の方の「ホトトギス」は、古くから詩歌にも取り上げられ,俳人の「子規」の名前も「ホトトギス」と読めますし、明治の作家「徳富蘆花」の小説にも「不如帰」があります。

 夏山を歩いていると、「てっぺんかけたか」とか「特許許可局」とか聞こえる、ホトトギスの鳴き声がどこまでも後を追ってきます。
口の中が赤く血の色にも見える上に、いつまでも鳴き続けるので「鳴いて血を吐くほととぎす」という言葉もあります。

        谺(こだま)して 山時鳥(やまほととぎす) ほしいまま      杉田久女 
 
  

(185)キバナコスモス

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     (185) 【キバナコスモス】 

 
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 「黄花コスモス」はコスモスの仲間で、同じく菊科に属しています。
メキシコの原産で、日本には大正初期に渡来しています。
頑丈で繁殖力が強く、今は野生化して6月から10月ごろまで土手や草地に群生しています。
 花が黄色かオレンジ色なので,「黄花コスモス」の名前がついています。
 
 
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 コスモスよりも花の時期が少し早く、いかにも夏らしい強い花色をしていています。
 葉っぱもコスモスより大きくてギザギザがあります。
 
 
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      晴天や コスモスの影 撒きちらし   鈴木花蓑
 
 
 
  *台風の余波か、雲の多い一日でした。
   でも、暑からず寒からず、 イオン買い出しもさして苦にならず。。
 
 
 

(186)ひまわり

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        (186) コスモス
 
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 「コスモス」は明治中期にメキシコから齎された外来植物なのに、すっかり日本の風土に根付いて、「秋桜」という名前が付くほど、いまや日本の秋の風物詩になっています。
 ギリシャ語ではコスモスは調和、善行、名誉などの意味があるそうです。
 
     
               【山路に咲いていたコスモス】  
 
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 秋に咲く草花は、夏の強烈な日差しが衰えて日照時間が短くなると開花する「短日植物」ですが、
 弱弱しい茎のわりには、コスモスは倒れてもまたそこから根が出てくるという丈夫な草花です。 
 
 
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        コスモスの一重の花の
          つましき姿をぞ願う われの起居(たちゐ)に     若山喜志子
 
 
 :*台風の余波でしょうか、雨が降りだしました。
   あちこち電気掃除機をかけていたら腰が痛くなりました。
   やせ我慢しても、やっぱり年は争えないなぁ。。
 
   またまた、無残な少女の死。。
   世の中が平和で豊かになると、逆に人間は狂暴になるのだろうか。。
   戦争は悪いけど最近、戦時中には考えられない事件が多い。
 
 
 

(78)ヒグラシの記憶

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        (78)  「ひぐらしの記憶」
 
 長い夏も過ぎて、もうすっかり秋の気配だ。
今年は雨が多くて、セミの声も少なかった。この季節にはまだ多いはずの「ツクツクボウシ」や「ヒグラシ」の鳴き声も聞けないこの頃である。
 「ヒグラシ」の声は、カナ、カナ、カナといかにも秋を思わせてかぼそく侘しい。名前の通り日暮れ時は尚更である。
 その侘しいヒグラシの声を聞くといつも70年前の秋の一日を思い出す。
 
 昭和18年、戦局の逼迫とともに、それまで行われていた大学・高専の文系学生に対する徴兵猶予が取り消され、いわゆる学徒出陣として学生たちは戦陣に赴くことになった。母校の大阪外語の級友の多くが夫々陸海軍に入隊し、年齢の関係で学校に残った我々約三分の一の学生も、翌19年秋には第二次の学徒出陣として軍隊に入ることになった。 
 
 そこで、入隊を前にして私たち同級生一同(19名だった)は、主幹の吉野教授とともに京都の「石清水八幡宮」に出かけて武運長久を祈願した。まだ夏の名残りの暑さ厳しい秋の一日であった。その際、級友の一人だった赤尾が私に一句作ってくれた。
 (私は、この記念写真の裏に、この句を書きとめていた。彼の句集にはない。)
 
      蜩(ひぐらし)や 空蒼々と君が眸(め)に    俊郎
 
 みんなまだ、戦争の現実を知らず、ただ「祖国の急に赴く」という一念に燃える純真な学生たちだったのである。  青空のように澄んだ瞳の20歳の若者たちであった。・・・
 
 
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 戦後、前衛俳句の旗手として俳壇に活躍したその赤尾もすでに亡く、70年の歳月とともに、ともに聞いたヒグラシの声も今は遠く消え去ってしまった。
 この学友たちの中で、今も健在なのはわずかに3人に過ぎない。
 宿昔青雲の志・・往時茫々として、ただ煙霧のごとき昨今である。 
 
          
     黄砂降る 国へゆく日は兵として
     征(ゆ)きて死ね 寒の入日といま別れ
     ほろぶもの すべて帰らず年暮るる 
     年用意 我には胸に隠す遺書
     思う事なし ただ白菊の吹き散るか         赤尾兜子 (20歳)
 
 
 (昭和19年12月、彼は加古川の軍隊に入りました。戦後京大に入り、中国文学を専攻しています)
 
 
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