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Channel: 95歳ブログ「紫蘭の部屋」
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(29)陽光桜

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         (29) 陽光桜
 
             「西堀端の散歩道」
 
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    【ヨウコウサクラ】
 
 最近、公園などで派手なピンク色の桜が目立ちます。
 桜の中では一番有名な「ソメイヨシノ」は花色が白っぽくて病虫害に弱く、寿命も50~60年なので、花色が良くて樹勢の強い桜を求められていました。そして、色々と試行錯誤の末、200種余りの桜の中から最良の組み合わせとして「陽光桜」が作り出されました。

  「陽光桜」は天城吉野と寒緋桜との交配種で、色合いもちょうどその中間を採ったような明るい緋色です。
 
 開花時期はソメイヨシノよりも少し早く、3~4㌢くらいの大輪の花が3,4輪下
向きについています。
 別名「紅吉野」、白っぽいソメノヨシノよりも一断番と目立つ桜です。

 
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   *今日もいい天気です。
    なのに、明日は雨の予報・・
    またまたゴルフをキャンセルせねばならない。
    嗚呼、無情。。
 
        ♪ 「無情の夢」   昭和10年
 
            あきらめましょうと 別れてみたが
            何で忘りょう 忘らりょうか
            命をかけた 恋じゃもの
            燃えて身を灼(や)く 恋ごころ
 
    

(66)親鸞

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     「4月1日」 親鸞

 
イメージ 1 1173年の今日、4月1日に京都で浄土真宗の開祖親鸞」が生まれて居ます。

 親鸞は初め天台宗に学び法然上人に師事しました。肉食妻帯を認め、農民の間に絶対能力の信仰を広めました。
 
 
 「一日一言」
 * 「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」
 
 * 「親鸞は弟子一人も持たずそうろう。
そのゆえは、我がはからいにて人に念仏を申させ候わばこそ弟子にても候わめ。弥陀の御もよおしにあずかりて
念仏申し候う人を我が弟子と申すこと、極めて荒涼(乱暴)のことなり。
 如来より賜りたる信心を我が物顔に取りかえさんと申すにや、返す返すもあるべからざる事なり。」   (歎異抄)

(67)アンデルセン

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      (67) アンデルセン
 
イメージ 1 童話作家のアンデルセン(1805-1875)は1805年の今日、4月2日にデンマークで生まれました。「赤い靴」や「人魚姫」「即興詩人・森鴎外訳」などが有名です。
 
  「一日一言」   アンデルセン
「すべての人間の一生は、神の手によって書かれたおとぎ話にすぎない。」

「いかなる高所も人間の達する能わざるはなし。決意と自信を持ってこれに登らざるべからず」
 
 
 *アンデルセンは病気がちの靴屋の父と数歳年上の母親の家で産まれましたが、家は貧しく、一つの部屋で全員が眠る、という貧困家庭に育ち、ヨーロッパの各地を放浪しました。
 
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 彼は幾人かの女性に熱い思いを寄せながら一度も愛が実らず、一生独身でした。子供の頃の彼は自分で針を持って人形の服を縫ったり、花を集めたりする、女の子の遊びを好みました。
 
 
 大人になってもこの性向は変わらず、関心は外に向かわずにナルシス的でした。男性的な気迫には欠けていましたが、彼は暖かい愛情を小さな虫にも、一本の草にも注いでいたのです。
 
 
 
                                                                                          
 優しい性格の彼はまた極度の心配性だったそうで、外出する時は建物の窓からすぐに逃げ出せるように必ず非常用のロープを持ち歩いていました。また、眠っている間に死んだと勘違いされて埋葬されてしまった男の話を聞いて、いつも眠るときは枕元に「死んでません」という書置きを残していたそうです。
 肝臓がんで死去、享年70歳。

(30)十月桜

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       (30) 【十月桜】  
 
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 十月桜は「、寒緋桜」と「大島桜」の雑種で「四季桜」ともいわれ、秋と春の2回花が咲きます。
 秋は花数が少なくて、3分の1ぐらい、 残りの3分の2が春4月、ソメイヨシノよりも少し早く咲き出します。
  花も2センチ足らずで、ソメイヨシノにくらべると、だいぶ小さくなっています。
 
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  十月桜には一重と八重があるようで、花色も淡いピンクの花と白色が同居していました。
 やはり、強い緋色の寒緋桜と白色の大島桜の雑種のせいでしょうか・・
 
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         ゆふ空の暗澹たるにさくら咲き    山口誓子
 
 
*夜明け頃からポツリポツリと降りだし、昼過ぎまで降り通し・・
 せっかくのゴルフが、またオジャンになってしまいました。
 若い時は雨が降ろうが槍が降ろうが、何が何でも出かけたものですが、さすがにこの年では。。
 
  恨めしい春雨の中、パソコン相手に蟄居の一日でした。。(^_^:)
 
 * 昨日、ラジオで動画サイトの「You Tube」が4月1日で終わると言っていました。
     え~っ・・そんなことありィ・・?!
 
     〇■#%&*+?=*!?・・・・
 
    !!??#%$=***?
 
 
             良く考えたら、なーんだ!  4月1日は(???) だった。。 (^^)/
 
 
 
    
 

(31)大島桜

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        (31) 【大島桜】
  
 日本に自生している桜の代表的なのが、山桜大島桜です。
 どちらも新葉とともに開花するのが特徴ですが、山桜の新葉は茶色っぽく、大島桜は薄緑色の新葉とともに花が咲きます。。
 
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 「大島桜」は伊豆大島に自生しているので、この名前があります。
 花は純白で香りがあり、 緑の葉とともに咲くので、花から先に咲く「ソメイヨシノ」とはすぐ見分けがつきます。
  花が白く、青葉も混じっているので、さくらの木としては全体的に白っぽいイメージがあります。
美味しい桜餅を包んでいる桜の葉は、この大島桜の葉を塩漬けにしたもので、山桜の葉よりも大きく少し厚くなっています。
 
 
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       逢うすべのなく隔(へだ)つ友 花は葉に    大島蓼太
 
 
 *若いころから、桜の花にはいろんな思い出がある。
   しかし、友達もみんな老いてしまった。
   ほとんどが音信不通である。
   便りを出すだけの余力ももう残って居ないのだろうか。
   みんなどうしているんだろう。。
  

(68)聖徳太子

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       聖徳太子 (574~622)
 
 推古天皇12年(604年)の今日、4月3日に聖徳太子によって「憲法十七条」が制定されました。
 太子は大陸文化の移入に熱心で、仏教を盛んにし、日本文化に新しい道を開きました。
 
    「一日一言」
 
 *心の怒りを絶ち、おもての怒りをすて、人のたがうことを怒らざれ。
 人みな心あり。心おのおの執ることあり。彼よみすれば、我非なり。我よみすれば即ち彼非なり。我必ずしも聖にあらず。彼必ずしも愚にあらず。共にこれ人のみ。
 是非の理(ことわり)、いずれか定むべき。相ともに賢愚なり、鐙(あぶみ)の端なきが如し。                                     (憲法第十条)
 
 
 *聖徳太子と言えば、紙幣の顔としても有名ですね。
1930年に百円紙幣に太子の肖像画が載って以来、百円札、千円札、5千円札、1万円札と7回も使われています。
 
 「聖徳太子」と言う名前は生前には使われておらず、本名は「厩戸の皇子」と言いました。
 皇子は誓願に来た10人の話を一度に聞き分けたと言われるほど、頭が良かったそうです。
 
     しなてるや片岡山に飯に飢えて臥(ふ)せる旅人あわれ親なし 
 
                                    聖徳太子 「拾遺和歌集」

(32)ヤマザクラ

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           (32)  「山桜」
  
 
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  「山桜」 は日本特産の桜で、山地に広く自生しています。
 奈良の吉野山や奈良公園など、昔からの桜の名所はみんな「山桜」です。

 普通、桜は花が葉に先立って咲きますが、ヤマザクラは茶褐色の新葉とともに花が開くのが特徴です。
 ですから、花一色のソメイヨシノなどに比べて、写真に撮ると、ちょっと地味な感じがします。 
 それが、日本的な奥ゆかしさとも言えるでしょうが・・

    花の色も淡白で、やや白色に近い淡紅色をしています。
 
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      敷島の大和心を人問わば
         朝日ににおう山桜花      本居宣長
 
   *初期の神風特攻隊の名称は、この歌の中から採られました。
          パッと咲いて、パッと散る。 日本男子の心意気でした。
          敷島隊   大和隊   朝日隊    山桜隊
 
  「同期の桜」
 
        ♪ 貴様と俺とは同期の桜
          離れ離れに散ろうとも
          花の都の靖国神社
          春のこずえでまた会おう
 
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* 花冷えというか、気温の割には肌寒い感じがします。
   食料が無くなったので、スーパー3軒、ハシゴ買い出し。
   食べ物だけはみんなよく買いますねー。
 
 
       しきりなる落花の中に幹はあり   長谷川素逝
 
 

(69)大菩薩峠

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       中里介山の「大菩薩峠」
 
 1885年(明治18年)の今日、4月4日に作家 (中里介山) が生まれて居ます。
 
   「一日一言」  介山

 何か我々に窮屈を感じせしむるものは、偉大なものじゃありません。
感激というものは、その偉大なものが、ある隙間からほとばしった時に、初めて我々に伝わるので、偉大そのものの方から言えば、むしろ破綻に過ぎないと思います。
 
 この平々凡々たる大海のある部分に波が立つとか、岩に砕けるとかした時に人は壮快を感じたり、恐怖を覚えたりして初めて海の威力に感激します。
 しかし、海が平々淡々として親しみを感ずるところに、海の本色と、その偉大さがあると言っていいのです。
 
    ・・・・

 
イメージ 1 *「中里介山」は神奈川県の貧しい農家に生まれ、電話交換手、教員や新聞記者をしながら小説を発表しました。大正2年(1913年)には「都新聞」に長編小説「大菩薩峠」を連載し始め、ついで「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」「国民新聞」「讀賣新聞」と連載を続け、連載以後は書き下ろしとして大正7年に自ら印刷して自費出版しました。
 この「大菩薩峠」は昭和16年(1941年)まで書き続けられましたが、遂に未完に終わっています。
 
 介山は好男子だったので女性には大変もてたそうですが、一生妻帯しませんでした。青春時代から「独身主義」を貫き、勤務先の都新聞では「独身会」を結成しています。これは、幼少のころ味わった家庭の暗さがトラウマになっている、からだと言われています。

 介山の言によれば「女遊びは構わない、それは魂を傷つけぬから。然し恋はいけない、魂を傷つけるから」だそうです。
 
イメージ 2 小説「大菩薩峠」の発端は幕末の甲州(山梨県)の大菩薩峠が舞台で、虚無の剣士「机龍之介」が甲州街道の大菩薩峠で意味もなく一人の老巡礼を切り殺す所から始まります。
 
 介山は、非情で虚無的な机龍之介を主人公に、不条理の世界を描きながらそこに勧善懲悪の仏心を見出だそうとしたのでしょう。
 
 「大菩薩峠」は30年にわたり世界最長を目指して書かれた大長編小説で全41巻、大衆文学の先駆けとされる不朽の名作,として、広く国民に愛読されました。
 また、戦前の「大河内伝次郎」や「片岡千恵蔵」戦後の「市川雷蔵」などの主演で何度も映画化されました。
 
 
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                (市川雷蔵の盲目の剣士・机龍之介)
 
  * ウワーッ!  かっこういい!! パチパチ・・
     子供の頃のチャンバラ映画そのものだ。。
 
 
 
 
 
 
 

 
 

(33)花ずおう

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      (33) 【赤い花がいっぱい・花ズオウ】 
 
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 ハナズオウはマメ科の落葉ていぼくで中国が原産、江戸時代に日本に渡来しました
 春、葉に先立って独特の紅紫色の、蝶型の小さい花を枝いっぱいに咲かせます。
  マメ科なので、花が終わると枝には扁平なサヤがぶら下がっています。

  ハナズオウは漢字では「花蘇芳」と書きますが、 これは花の色が昔から使われていた染料の
「蘇芳・スオウ」の色に似ているからです。
 
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                  びっしりと花ととのえし蘇芳かな   一閑子
 
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  *春の日差しがとても暖かくなりました。
    自転車で佐賀城周辺を散策2時間半。
 
    今年はハナズオウ、ハナカイドウ、八重桜やツバキなども例年いなく花が早くて戸惑いました。
    早くもハナミズキやツツジ類まで開き始めています。
    今年はなんだか変です。。    

(70)僧・空海

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    (70) 「空海」 774-835
 
 平安初期の高僧「空海」の生まれた日は明らかでは有りませんが、835年3月22日(旧暦)に亡くなっています。死後に「弘法大師」のおくり名を享けました。
 
イメージ 1 「一日一言」
 
 * 嫉妬は自分とそれ以外の人とは別々の存在だと思う心から生じる。
 もし自分と自分以外の人を別ではなく、同じ存在だと見ることが出来れば、嫉妬することがなくなり、公平な心になり、全ての人の善行を心から賞賛できる。
 
 * 心を和らげて耐え忍ぶという心の鎧を着て、目的に向かって努力するという兜をかぶり、人として守るべきルールや道徳を守るという馬に乗り、心を静めて落ち着けるという弓を持ち、正しい事と悪い事を分別するという矢を射って外には悪の軍勢を破り、内には心の賊を滅ぼす。
    これを仏という。

 
 
イメージ 2 *空海は29歳の若さで唐の都「長安」に留学、帰国後(天台宗)を開き、高野山や東寺を建立しました。哲学、文学などあらゆる大陸文化を移入した当時最高の知識人でその達筆は有名です。
 真偽のほどは判りませんが、「いろは47文字」も空海の作とも伝えられています。
 
 
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          ↑ 空海の筆
 
 ←  「いろは歌」

 これは、明治38年、17歳の娘時代に両腕を養父に切られた「大石順教尼が、手の代わりに筆を口に含んで書いた「いろは歌」です。  (*明治38年・堀江廓6人斬り事件)
 
 順教さんは腕を亡くしたあと「見せ物」として巡業に出る日々を送りましたが、19歳の時、カナリヤが口で雛に餌をやる姿を見て、口に筆を含んで文字を書くことを思いついたそうです。
 
 我が家の法事やお彼岸にはいつも、この
(いろは歌)を床の間に飾ることにしています。
 
 
 
  ちょっと色あせていますが、たおやかな筆致の中に、彼女が過ごした運命の非情さ、人生の悲哀がうかがわれます。
 
  高野山の奥ノ院には、この切り落とされた腕を納骨して建てられた「腕塚」があります。  ↓
  
 
     色はにほへど 散りぬるをイメージ 4
     我が世たれぞ 常ならむ
  
      うゐの奥山今日越えて
      浅き夢みし えいもせず
  

(34)花カイドウ

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        (34) ハナカイドウ
 海棠(カイドウ)には、「花カイドウ」「実カイドウ」があります。
 普通、観賞用として植えられるのは「花カイドウ」の方で、バラ科サクラ属の落葉低木、中国の原産で日本には室町時代に渡来しました。
 
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 ハナカイドウは別名を「垂糸海棠」と言い、うつむき加減に咲く花カイドウの花は、とても可憐で妖艶でもあります。
 花弁の外側は桃色、内側は白色をしています。
 古くから、雨にぬれた花海棠の様子は、女性の艶姿(あですがた)にたとえられています。

 
     海棠のつぼみを染めし朝(あした)かな    武定巨口
 
 
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  【ねむれる花・ハナカイドウ】 

  花海棠の別名を「ねむれる花」というのは、中国の楊貴妃の故事から来ています。
「海棠未だ睡り(ねむり)足らず」という言葉がありますが、これは酒に酔った「楊貴妃」が目覚めたあとも酔いが残っているなまめかしい様子を「玄宗皇帝」が海棠の花にたとえたという故事から来ています。
 
    
       海棠やまたの妃(きさき)も藤原氏     柴 浅茅 
 
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  *  【楊貴妃】 

 中国四大美人の一人に数えられる「楊貴妃」は玄宗皇帝の寵姫で、玄宗が楊貴妃との愛欲の生活に溺れて全く政治を顧みなくなり、「安禄山」の反乱を引き起こしました。
 そして、兵士達の要求で楊貴妃は玄宗によって縊死させられました。 享年38歳。

  これから次第に唐の時代が没落していくので「傾国の美女」という言葉が生まれました。
 はじめ、「楊玉環」は玄宗の息子の嫁でしたが、あまりの美しさに血迷った玄宗は、745年自分の愛妾として「貴妃」の称号を与えて後宮に入れ、愛欲におぼれました。
 
  初めて出会ったとき、玄宗は56歳、玉環22歳のときでした。
 ちなみに、当時の後宮には3000人の美人がいて、
 玄宗は男30人、女29人、合計59人の子供はを作ったという話です。
 
   59人・・!!   ヘ、 ヘェ ~  @@/

(35)モクレン(紫木蓮)

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     (35) 木蓮(紫木蓮)
 
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  木蓮(もくれん)はモクレン科の落葉低木で中国の原産、木の高さは3mぐらいにもなります。
 花の形がはすの花に似ているので「木蓮」という名前がついていますが、
花が白い白木蓮(はくもくれん)と区別して紫木蓮(しもくれん)という別名もあります。
 
 モクレンの花弁は6枚で、春、葉に先立って鐘状の花をあおむきに咲かせますが、花びらが狭かったり、広かったり、色も紫一色だったり、中が白かったり・・さまざまのようです。
 
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 もくれんは花が蘭に似ているので、「木蘭・もくらん」とも言いますが、戦時中、学校で「木蘭従軍」という中国の物語を勉強したことがあります。
 これは老病の父に代わって、娘の木蘭が男装して従軍し、異民族(主に突厥
)を相手に各地を転戦して、自軍を勝利に導いて帰郷するという物語で、歌や京劇にもなって居ます。
     ・・・・
 
*花も散ってもう葉桜だというのに、なんと今日の風の寒さや。。
  朝のうち、ボランティアの川掃除、河岸には八重むぐらがもりもりと。。
     八重葎茂れる宿のさびしきに・・・
 
  風の冷たさの逆効果で汗もかかなくて済みました。
  ただし、腰の痛みが。。。(^^:)
 
 今日は「佐賀・さくらマラソンの日、今年からフルマラソンになりました。各地から1万名のランナーが参加、佐賀城→多布施川河畔→吉野ヶ里まで桜の下での一周コースです。
 鳥栖のミス・インターナショナルも参加して桜のもとで楽しい汗を流していました。
 
 最近は、ほんとに走るのが好きな人が多いですね。
 サロンパスの元社長は90歳を越えてもまだ走って居られましたが、シランはとてもとても。。
 サロンパス貼って走っても、骨が折れるぅ~~!

(36)サラサモクレン

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      (36) 【更紗木蓮・サラサモクレン】
 
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  「さらさ木蓮」は白木蓮と紫木蓮との雑種です。
 ハクモクレンのように花びらが大きく、外側は淡い紫色で基部に近いほど紅色が濃く、内側は白くなっています。
 
 外側の紫色と内側の白色との対照がとても美しい花です。
 木蓮の花の咲く順序は、白木蓮、さらさ木蓮、紫木蓮という順に咲きます。
 
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        木蓮の花ばかりなる空を見る   夏目漱石
 
  *春の嵐も収まって今日は穏やかな上天気に戻りました。
  桜も散って、これからは八重桜の季節になります。
 
    「晩春の別離」   島崎藤村
  
      時は暮れ行く春よりぞ
      また短きはなかるらむ
      恨みは友の別れより
      さらに長きはなかるらむ
 
      君を送りて花近き
      高楼(たかどの)までもきて見れば
      緑に迷ふ鶯は
      霞(かすみ)空しく鳴きかへり
   

(71)合格通知

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      (71) 合格通知
 
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                  サクラサク
                            
 四月、さくらの季節は新入学のシーズンでもある。思えば遥かむかし、入学試験と言う人生の一大難関を潜り抜けた記憶は未だに生々しい。何しろ戦前の大学進学率はわずか3%にすぎず、大学の数も数えるほど少ない時代だった。
  
   「合格通知」
 以前は、受験の合格者発表は校庭に張り出されていたので、ハラハラドキドキ、現場は悲喜こもごもでした。 今は事前にパソコンで簡単に分かりますが、ひところ大学の合格通知には電報が使われていました。
 大学の合格電報が最初に登場したのは昭和31年の早稲田大学で、そこで使われたのが「サクラサク/サクラチル」で、その後他の学校でも使われるようになり、次第に各地の大学が郷土色のある独特の電文を使い始め、昭和50年代後半まで使われました。
 
 息子は昭和52年の入学ですが、やはり電文を受け取りました。このころは電報を打つのは大学当局ではなく、学生がアルバイトで請け負っていました。
 合格電文は各大学の特色が出ていて中々ユニークで面白いものでした。
 ・・・
 
 早稲田大学○サクラサク(合格) 
         ×イナホチル〈不合格)
 小樽商大 ○「アカシアの花ガサク」
         ×「ジゴクザカ コロゲオチル」
 東北大  ○「アオバモユル」 
        ×「ミチノクノ ユキフカシ」
 秋田大  ○「オバコ ワラウ」
        ×「オバコ ヒトリネ アキタ」
 
 御茶ノ水大 ○「オチャカオル」
         ×「木の芽時待て」
 東京商船大  ×「チンボツ」
 静岡大  ○「フジサンチョウ セイフクス」
        ×「スルガワン イマダナミタカシ」
 信州大  ○「コマクサノハナ ヒラク」
        ×「シナノジノユキ フカシ」

 
 大阪大歯学部 ○「ニュウシ ハエル(入試/乳歯生える)
 奈良教育大  ○「ダイブツ ヨロコブ」 
           ×「ダイブツノ メニナミダ」
 三重大  ○「イセエビ タイリョウ」
        ×「イセワンニテ ザショウ」
 高知大  ○「クジラガツレタ」
        ×「リョウマノ メニナミダ」
 
 鹿児島大 ○「北辰カガヤク」
         ×「サクラジマ フハツ(桜島不発)
 長崎大  ○「マリア ホホエム」 
         ×「アメノナガサキ」
 佐賀大  ○「アリアケノ ムツゴロウ飛んだ」
         ×「勝ちガラス鳴かず」
 
 なお、母校の「九大」はまだ旧制だったので帝国大学(九州帝大)と呼ばれていた。戦後の合格通知は京大・東大と同じく「ゴウカクオメデトウ」だが、シランの場合は戦時中だったので電報ではなく、速達の葉書一枚だった。
 大阪外語も合格通知は葉書一枚だったが、「官報」に合格者全員の名前が載った。
 
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(下の欄に福田君(司馬遼太郎)の名前も見える)

 *最近の入学式、卒業式には多くの父兄が参列するようだが、小学生のころ父が亡くなって母子家庭だったシランは母親が家業に忙しく、入学式は勿論、小、中学の父兄会【PTA】にも一度も来てもらった事がないし、勉強しろと言われたこともない。 
 
 ただ一度、九大の入学式には母が同席した。戦争が厳しくて制服、制帽が作れず、シランは仕方なく知り合いの家の先輩の角帽を借りて出席した。
 その10日後に軍隊に入ることになって居たので、きっと母は二度と帰れないかも知れない息子の晴れ姿を目に焼き付けて居たかったに違いない。
 女手一人で、母にはほんとに苦労をかけた。。
 
 
      たわむれに母を背負いてそのあまり
        軽きに泣きて三歩あゆまず         石川啄木
 
 

(37)ボケの花

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           (37) 木瓜(ボケ)
 
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                                          【緋ボケ】
 
 木瓜(ボケ)はバラ科の落葉低木で平安時代に中国から薬用植物として渡来しました。
 漢字では「木瓜」と書きますが、これは実が瓜に似ていて、木になる瓜という意味で「木瓜(モケ)」とよばれたものが「ぼけ」に転訛したと言われています。
 また「木瓜(ボッカ)」から「ぼけ」に転訛したも言われています。
 
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 ボケは日本に渡来後、観賞用に改良されて花色、花の形など変化した多くの園芸種が作り出されました。
 木瓜(ボケ)の花には紅白ありますが、深紅色のを「ひぼけ」・白色を「しろぼけ」・紅白混じったのを「さらさぼけ」といいます。
 
 実は黄色で爽やかな香りがあります。その実を漬けた「木瓜酒」は絶品で、咳止めの効用もあります。
 
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       ゆく春の木瓜(ぼけ)は葉ふかく燃えまさり   皆吉爽雨
 
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                   【緋ボケと更紗ボケ】           
 
 
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                     【ピンクボケ??】
 
 
 *サッチャー首相も亡くなりました。さすがの「鉄の女」も最近はボケ症状だったとか・・
   アメリカのレーガン元大統領も最後はボケていたそうです。
   ともに小さな政府を目指し、日本の中曽根さんの行政改革のお手本になりました。
   認知症も真似てはイカンゼヨ~
 
   今日は、寒いのか、暖かいのか、さらさボケのようなお天気です。
   週一のイオン買い出し。
   桜並木もすっかり葉桜となり、早くもツツジや花ミズキが咲き出していました。
    ほんとに今年はお天気同様、花の咲くのも気まぐれです。

(72)怒鳴り歓迎会

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       (72) 「怒鳴り歓迎会」
 
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        (上本町にあった外語の旧校舎・20年の空襲で燃えてしまった)
 
 18歳、田舎の中学から希望にあふれて大阪外語に入学して、驚いたことがある。入学後しばらくして、先輩たちのいわゆる「怒鳴り歓迎会」なるものが開かれたのだ。

 
イメージ 2 ある日、我々新入生は先輩から校舎北側にあった別棟の中教室に集められた。
 何事ならんと思って行ってみると、当時の国情を反映して国士的,壮士的風貌の上級生たちが「オース、オース」と言いながら、どやどやと下駄履きのままガタガタと音をたてながら入ってくると、いきなり「こらーッ!頭を下げんかぁ~!」と怒鳴りながら竹刀や木刀を持って机や頭を叩き回るのである。
 な、なんと理不尽な。。
 
 新入生の多くは肝を冷やして小さくなっているが、その中にも元気なやつが居て、昂然と頭を上げて睨みつけたりすると、容赦なく竹刀が彼の頭上に舞い落ちてきたり、ビンタの洗礼を受けねばならない。
 
(特に怖かったのは、中馬サンという馬術部のキャプテンで、いつも乗馬用の鞭を持って歩き回っていた。その鞭を振り回すと耳元でビュンビュンという音がする。時々、鞭で机の上をピシャリと叩かれると我々は首筋がゾクッとして少しでも目立たないようにと、うつむきながらつい亀の子のように首をすくめてしまうのである。・・(^^:)
 
 そのあと、上級生たちは代わる代わる教壇に立って、それぞれ得意げに説教を始める。「現在の非常時日本について」とか、「大陸雄飛」や「満州馬賊」の話から始まり、最後はガリ版刷りの豪快な「昭和維新の歌」や「馬賊の歌」を歌わせられるのである。
 
   「馬賊の歌」  
 
     ♪俺も行くから 君も行け
      狭い日本にゃ 住みあいた
      波隔(た)つ彼方にゃ 支那がある
      支那にゃ 四億の民が待つ
 
   「昭和維新の歌」    三上 卓 作詞
 
     ♪汨羅(べきら)の渕に波騒ぎ
      巫山(ふざん)の雲は乱れ飛ぶ
      混濁(こんだく)の世に我れ立てば
      義憤に燃えて血潮湧く
 
         と、言った調子である。【作詞の三上卓は5,15事件に連座した最右翼の海軍中尉】
 
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                                 (校舎玄関・昔の腕白達は今いずこ・・)
 
 何のために説教されているのかさっぱり訳が分からぬままに、少しでも頭でも上げようものなら竹刀や鉄拳が頭上に飛んでくる。大和魂や皇国史観、剛毅木訥、半暴力的な風潮が何の疑いもなく受け入れられた時代である。我々新入生の向うべき道は「五族協和」の礎として大陸に雄飛せねばならないのである。
 かくして外国語学校という自由で文学的な我がイメージは,この「怒鳴り歓迎会」によって、忽ちにして崩れ去ってしまったのであった。 
 
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              (コワイ!先輩たち。 今思うとやはりまだ子供だなぁ。。)
 
 蒙古語の司馬サンもおそらく同じような「怒鳴り歓迎会」の洗礼を受けたのであろう。後年、彼が「草原の記」や「韃靼疾風録」などを著し、西域の「シルクロード」などに強い関心を示したのも、満州馬賊や大陸雄飛の夢がこのころの学生生活によって培われたからに違いない。ただ、司馬サンはこんな蒙古語部の歓迎会の際にも、並み居るコワイ先輩たちを前にして、縁日などで香具師がやる「がまの油」を一席やってのけたと言うから、その強気と天性の明るさには驚かざるを得ない。。
 
 悲憤慷慨調の放歌高吟がすむと、今度は部活の話に飛んでいく。歓迎会と言うよりも要するに「体育系」入部の勧誘が目的だったのである。怒鳴り散らして気合を入れられたあと、次々に部長たちが教壇に立って夫々の部員の勧誘演説をする。勧誘といっても半強制的で新入生全員がどこかの部活をせねばならないのである。
 
 とにかくこういう荒くれ男たちに取り囲まれては、新入生はグウの音も出ない。剛毅木訥の尚武の時代だから、力関係でまず柔道部、剣道部が最初に決まる。戦時中だけに野球やサッカーなどはやや不人気であった。 蹴球(サッカー)排球(バレー)庭球(テニス)と次第に決まって行くが、もともと我々のような体育系でない「ヘナチョコ」たちは入る場所がない。
 
 卓球や山登りはあまり技術も要らないだろうと思ったが、みんな考えは同じなのか、もうとっくに塞がってしまっている。あれこれ迷っているうちに一番人気がない「射撃部」だけが残ってしまって、私はここに入らざるを得なくなった。 
 
 しかし、残り物の「射撃部」ではあったが、中学時代に弓道部にいた体験が、同じように的を打つと言う技能に何らかの恩恵を与えたのだろうか、射撃部では不思議によく弾が当たって、その後、部長をさせられ、真摯な友人たちにも恵まれて、その経験が軍隊でも大いに役に立った。
 「ひょうたんから出た駒」とでも言うべきであろうか。。
 
 
    友はみな或る日四方に散り行きぬ
    そののち八年(やとせ)
    名挙げしもなし                     石川啄木

(38)ヒュウガミズキ

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          (38) 「日向水木・ヒュウガミズキ
 
 
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 「ヒュウガミズキ」はマンサク科の落葉低木で近畿北部の山地に自生しています。別名を「伊予ミズキ」とか「ヒメミズキ」と言います。
 「日向」と言う名は「明智日向守光秀」の領地である丹波地方に多いからと言う説があります。

 木の高さはせいぜい1m~2m位で、庭木や生垣によく植えられます。地際から出ている細い枝がたくさんに別れていて、早春3月ごろに淡黄色の小さな花をいっぱいつけます。
 花は8ミリくらいとごく小さくて、うつむいているので小さい鐘がぶら下がっているように見えます。
 ちょっと見ると、黄色いロウバイの花に似ていますが、大きさが半分くらいしかありません。

 
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   *ほんとにいつまでも寒いですねー。
     桜の春も終わろうとしているのに。。
    

(73)李白

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     (73) 「李白」 701~762
 
 杜甫とともに唐代を代表する詩人。生命力にあふれた自由奔放な人柄で、一時宮廷詩人ともなったが、その多くは放浪の中で生活した。
 杜甫が「李白一斗、詩百篇」と称したほどの酒好きで、李白の詩には、酒を歌った豪放なものが多い。
 
  杜甫は船に乗っている時、酒に酔って水面に映る月をとらえようとして船から落ち、溺死したと言われている。
 
 
イメージ 1   「まさに酒を進めん」   李白
 
   君見ずや 黄河の水 天上より来たり
  奔流し海に到って また廻(めぐ)らざるを
  君見ずや 高堂の明鏡 白髪を悲しむを
  朝には青糸の如きも  暮れには雪を成す
  人生意を得なば すべからく歓を尽くすべし
  金樽(そん)をして空しく月に 対せしむるなかれ
 
  天の我が材を生ずる 必ず用有ればなり
  千金散じ尽くせば 還(ま)た複(ま)た来たらん
  羊を煮(に) 牛を宰(ほふ)りて
    且(しばら)く楽しみをなせ
  会(かなら)ず須(すべか)らく 一飲三百杯なるべし
              
                                                    
 
イメージ 2   「白髪三千丈」
 
    白髪三千丈                                              
    愁(うれい)に縁(よ)ってかくの似(ごと)く長し
    知らず明鏡の里(うち)
    何れの處にか秋霜を得たる

 
  「黄鶴楼にて孟浩然が広陵にゆくを送る」
 
   故人西のかた黄鶴楼を辞し
   烟花(えんか)三月揚州に下る
   湖畔の遠影碧空に尽き
   ただ見る長江の天際に流るるを
 
          
      (*烟花は春霞の中の美しい花のこと)
 

(39)しだれ桜

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      (39) 枝垂れ桜
 
 
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 「しだれ桜」はバラ科サクラ属の落葉小高木で、エドヒガン系の桜の変種で枝が下垂するものを言いますが、ほかにも「山桜の菊しだれ」、「エドヒガン系の八重紅しだれ」、「糸桜」などがあります。
 
 エドヒガン系のしだれ桜は性質が強く長命で、各地に残る名木にはこの系統の老木が多くなっています。
 もともと、植物は重力に抗して上向きに太陽に向かう性質がありますが、しだれ桜は反対に地面に向かって垂れ下がっています。  それだけ、しだれ桜は重力に対する復元力が弱いのでしょう。
 
 
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   多布施川河畔の枝垂れ桜はエドヒガン系の「八重紅しだれ」のようです。
 
                 まさをなる空より枝垂桜かな     富安風生 
 
 
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   *思いがけず朝から小雨模様、
   多布施川の八重桜見物の予定も急きょ中止。
 
   今夜は飲み会です。 いつもの飲み屋は先日ボヤ騒ぎでお休みだそうです。
   さて、今日の飲み屋はどんな御馳走やら。。     
   まぁ、酒さえあれば何でもいいか。。             

(74)杜甫

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    (74) 【杜甫】  712-770

 杜甫」は李白とともに中国・唐の時代を代表するのみならず、中国四千年の歴史を通じて最大の詩人です。 戦乱の中で各地を放浪し、770年、貧困と病の中で不遇のうちに生涯を閉じました。
 李白の「詩仙」に対し杜甫は「詩聖」と言われ、その詩は雄大にして悲壮、作品は千五百篇にも及んでいます。
 
 「春望」   杜甫    
 
      国破れて山河在り
     城春にして草木深し
     時に感じては花にも涙を濺(そそ)ぎ
     別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
 
     烽火(ほうか)三月に連なり
     家書萬金に抵(あた)る
     白頭を掻かけば更に短く
     渾(す)べて簪(しん)に勝(た)えざらんと欲す
 
 
イメージ 1   杜甫」の前半生は、玄宗皇帝と楊貴妃の恋物語に彩られた華やかな時代に、仕官の望みを抱きつつ焦慮する不遇の時代であり、後半生は俄かに起こった戦乱のさなかを中国・西南地方の四川、湖北、湖南の各地をさ迷い歩く不幸な家長であった。 
その詩が憂愁に富むのはまさにそのためである。
 
 しかしその憂愁が生まれたのは、その為ばかりではない。
その誠実な人柄ゆえに、世の中の不合理、不公正をに対する誠実な憤りが常にその心にあった。
  そうして常に虐げられた者の友であろうとしたからである。
 
 「語、もし人を驚かさずんば死すとも休(や)まず」
 と自ら言う通り、その表現は命がけであった。
 

 
  「登高」  杜甫
 
      風急に天高くして 猿嘯(えんしょう)哀し
     渚(なぎさ)清く 沙(すな)白くして 鳥飛び廻る
     無辺の落木 蕭蕭(しょうしょう)として下り
     不尽の長江 滾滾(こんこん)として来る

     万里悲秋 常に客となり
     百年多病 独り台に登る
     艱難 苦(はなは)だ恨む 繁霜(はんそう)の鬢(びん)
     潦倒(ろうとう) 新たに停(とど)む 濁酒の杯
 
 
 

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